23 立石寺、善寳寺、羽黒山神社を巡る 2019.11
「ふうみん」は、友人たちと「山歩きの会」を結成している。

今回は「山形」を歩くことになった。参加メンバーは「さっぽろさん」が抜けて4人となった。

・・・とても、寂しい。

東京駅9:24発の「つばさ131号」で「山形駅」に向かう。



山形駅に着き山交ビル地下の「伝承そば処 みちのく亭」に入る。山形名物の「板そば」を食す。さすがに山形のそばだ!旨い。


レンタカーを借りて、「山寺」向かう。

本当は「湯殿山」に行く予定だったが、先週閉山したとの事で急遽行き先を変更した。



山寺は、正しくは「宝珠山 立石寺」といい、貞観2年(860年)清和天皇の勅願のよって慈覚大師が開いた天台宗のお山。



おどろおどろしい「姥堂」の「奪衣婆」の石像。ここから下は地獄、ここから上が極楽という浄土口で、そばの岩清水で心身を清め、新しい着物に着かえて極楽の登り、古い衣服は堂内の奪衣婆に奉納するという。



仙山線「山寺駅」を望む。


「山寺」の見事な紅葉。


「せみ塚」。

芭蕉翁の句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」をしたためた短冊をこの地に埋めて、石の塚をたてたもの。



今晩の宿「東京第一ホテル鶴岡」に投宿し、夕食の居酒屋を探す。電線にとまるカラスの大群が、ヒッチコックの映画「鳥」を思い起こさせる不気味さだ。


鶴岡市内の居酒屋を物色し、「魚串 銀 gin」に入る。


・・・藤沢周平の小説に描かれた庄内の「海坂藩」の情景を思い出しながら、今宵は鶴岡で日本海の魚と山形の地酒に酔うのもまた一興。





「東京第一ホテル鶴岡」周辺を朝の散歩。



早朝の鶴岡の駅前。


「鶴ヶ岡城跡」のパーキングに車を停めて散策する。

「鶴ヶ岡城跡」は、かつて庄内藩酒井家が居城とした鶴ヶ丘城の跡で、現在は公園として整備されている。

敷地内の「藤沢周平記念館」は、開館前だつた。



きれいな毛並みの猫がいた。


「致道館」を見学。

「致道館」は、庄内藩の士風の刷新と、優れた人材の育成を目的に、文化2年(1805年)酒井家九代目藩主・忠徳公が創設した藩校。



「龍澤山 善寳寺」の縁起は、平安時代中期の天台宗の僧、善寳寺開基龍華妙達上人は、出羽国の庄内平野の南の山に天暦5年(951年)龍華寺という草庵を開いた。



「五百羅漢像」は天保6年(1835年)、京都の仏師(庄司覚太一門)の作といわれ、酒田から最上川をのぼり長井から馬で運ばれてきた。色彩が見事だ。


「羽黒山の爺杉」。

羽黒山参道にある杉の巨木で、根周り10.5m、幹囲8.25m、高さ43mに達する。

推定樹齢千年以上といわれており、羽黒山で最大にして最古の巨木である。

付近に「婆杉」があったというが、明治35年(1902年)の暴風で倒れたという。


「羽黒山の五重塔」。

羽黒山参道の杉並木の中にあり、東北北地方では最古の塔といわれ、平将門の創建と伝えられている。

現在の塔は約600年前に再建され、高さが29.0mの三間五層柿葺素木造で、昭和41年に国宝に指定された。


「随神門」近くの「お休み処 Zuisin門」で、十割そばの昼食を摂る。



「羽黒山三神合祭殿」は、羽黒山頂の中心に建つのが羽黒山、月山、湯殿山の三神をあわせて祀る祭殿。現在の社殿は文政元年(1818年)の再建だが、山伏が滞在する長床など中世にさかのぼる構造を残した貴重な茅葺木造建築物だ。



羽黒山の帰路に眺めた見事な紅葉に染まる山並み。


山形駅17:05発の「つばさ154号」で帰路につく。
イサーンの大地走行2000キロプラス 小さな旅のアルバム
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