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■6:03
早朝のホテルの駐車場から、空を見上げると星が輝いていた。
美しく澄んだ空に向かって、大きく深呼吸をする。
いや~あ!空気がうまい。 |
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■6:14
ナーン市を一望出来る寺院、プラタートカオノイに行く。
この寺院は、市の中心部から南西方面に約2キロ。
高さ250mほどの丘の上にある。
朝靄の中にナーンは隠れ、遠くルアンプラパーン山脈の上に朝焼け雲が見える。
素晴らしい景色だ。仏像の黄金色も朝日を浴びて輝く。 |
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■6:26 ナーン市内は薄絹で覆われた様に見え神秘的だ。 |
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■6:33 朝靄の上に朝焼けの雲が見える。感動的な日の出だ。 |
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■6:31
プラタートカオノイで感動的な景色を眺め、神経を集中して写真を撮っていた。
足元に、いつの間にか犬が来ていた。 |
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■6:41
シティパークホテルへの帰り道、101号線のスタンドで給油する。昨日のナノイでは、何故か満タンにしてくれなかった。
満タン!と言うと、給油係りのお兄ちゃんは、豪勢だなという表情をして「ウヒョー」と声を発した。
他を見ると、数百バーツの給油が多い。
★給油DATA
720バーツ
28.7L、1L/25.1バーツ |
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■6:58
シティパークホテルのレストランからは、朝靄に覆われたホテルのプールが見える。
なかなか、感じが良い景色だ。 |
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■7:06
朝食は、アメリカンブレックファーストのセットメニューだ。
この少ない宿泊客では、セットメニューなのは仕方が無いネ。
味は合格点。 |
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■7:35
今日はナーン大周遊だ。かなりの山道を覚悟しなくてはならない。
ガソリンは満タンだし、四輪駆動のCR-Vの調子もいい。
期待に胸膨らまして、ホテルをスタートする。
そして、ナーン川の畔に出た。朝靄の川岸の公園は静かだ。
この川を渡って、1169号線に出なくてはならない。 |
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■7:38
ナーン川の橋を渡るために迂回したら、朝市に出てしまった。 |
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■9:38
朝市の様子を眺めながら、ナーン川に架かる橋を渡る。 |
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■7:45
橋を渡り左折して、1169号線を走る。
朝靄も少し晴れてきたようだ。
今日は、快晴の乾季のナーンの山道を楽しもう。 |
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■8:16 早速、山道に入る。アップダウンの途中に素晴らしい景色が眺められた。低地には、朝靄がかかっているのが良く分る。 |
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■8:25
1169号線を下り、朝靄がかかったサンチスクという村に出る。
ここを直進すると、1225号線になる。
「ふうみん」は左折して、1169号線をそのまま走り、1081号線で山越えを試みる。 |
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■8:35
右折して、1081号線に入る。
この1081号線は、ナーン最北のフアイゴーロムの国境ゲートまで続く。
ここを直進すると、古都プアに26キロで着く。 |
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■8:38 山道を登ると、先程のサンチスク村が朝靄の下に見える。 |
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■8:41
山の稜線を走る。 |
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■9:04
右から、1257号線が合流する。
我々は、直進して1081号線を進む。 |
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■9:17
道路は工事中で、ブルトーザーに道を作ってもらう。
その道の上を走る。 |
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■9:51 ボーグルア手前の棚田の田園風景が美しい。日本に居るみたいだ。 |
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■9:58
左折して、1256号線に入ると「ボーグルア」の村だ。
数百メートル先のナーン川の流れに沿って村はある。
ちなみに、ボーグルアとは井戸「ボー」塩「グルア」という意味だそうだ。 |
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■9:59
直進する1256号線は、ドイプーカー国立公園を通り古都プアに続く。
ナーン川の橋は、雨季末期の集中豪雨で流され仮橋が架かっている。
ボーグルアの村は、橋の左手前の細い道に沿ってある。 |
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■10:05
ボーグルアの村の細い道を入っていくと、広場があった。
車を停めて前を見ると、小さな可愛らしい郵便局が建っていた。 |
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■10:07
広場には、今は使われなくなった塩水を汲み上げる井戸があった。
ボーグルアで豊富に産する山塩を求めて、ラーンナー王国の第9代のティロカラート王が1448年に軍隊を送り、ナーンを支配下に置いた。
…ナーンの悲劇①だ!
こんな山奥だが、スコータイ、シーサッチャナーライやラオスとの交易が盛んだった。 |
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■10:17
少し道を戻ると、現在使用中の井戸があった。
ボーグルアの塩水の井戸と塩を煮詰める窯の建物。
この様な井戸は、現在3ヶ所が使用されており、7月からの3ヶ月間は休業との事。
真ん中の竹のを上下させて塩水を汲む。モーターで汲み上げる何て事はしない。
何百年も昔のままの製法に、感動を覚える。 |
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■10:18
小屋の裏のナーン川で、中年の女性が洗濯をしている。
洗物を石の上に叩き付けそして、また川の水ですすぐ。
洗剤など使用しない、昔からの洗い方だ。
…また、感動する。 |
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■10:18
井戸から汲み上げた塩水を煮詰めて塩を造る。
昔ながらの製法だ。
なにか、タイムスリップした感覚に陥る。 |
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■10:20
井戸の中を覗く。 |
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■10:21
小屋の入口に数軒の売店があり、車を停めた前の店で塩を買う。
お土産に写真の3キロ入りの塩が20バーツ。
しょっぱい中にほんのりと甘さがあり、1袋購入。
それと、プファ産のウーロン茶50g、150バーツ(これは高い)を2個購入した。 |
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■10:53
ボーグルアからの1081号線は、写真のように狭く路面も悪くなる。
フアイゴーロムの国境ゲートまで59キロの地点。 |
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■11:11
現地の家族に出会った。
ミエン族?、フモン族? |
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■11:14
ここにも、 ナーン川の橋が集中豪雨で流され仮橋が架かっている。
車高の高いCR-Vだからいいが、普通乗用車だったら間違いなく腹を擦っているだろう。 |
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■11:23
この辺りのナーン川は、まだ小川だ。 |
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■11:14
右折すると、1307号線だ。
こんな辺境にも、まだラオス国境への道があるとは驚きだ。
この先のルアンプラバーン山脈を越した、その先のメコン左岸まではナーン王国の領地だった。
しかし、1904年の「フランス・シャム条約」で、フランスに領土を割譲された。
…ナーンの悲劇②だ! |
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■11:48
1081号線のスカイラインは、何処までも続く。
アクセルを強く踏み続ける右足が、カッタルクなってくる。 |
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■11:51
絶壁の斜面に、カモシカの親子を発見し、車を停める。
親と黒毛の子供が2頭いる。
日本でも信州の林道で二度ほど見かけたが、タイでは初めてだ。
日本の場合は「日本カモシカ」だし、「台湾カモシカ」も聞いたことがある。
そうすると、「タイカモシカ」と言うのだろうか? |
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■11:57 ラオスの山並みと青い空と白い雲。車を停めて、しばし素晴らしい風景を眺める。 |
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■12:24
フアイゴーロムの国境のチェックポイントまで後わずかだ。 |
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■12:32 「フアイゴーロム」のタイ・ラオス国境のチェックポイントに到着。
タイの国境の建物は、隣国との経済格差を誇示するように総て立派に建てられている。 |
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■12:39
直ぐ横にある食堂に入り、昼食にしょう。 |
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■12:40
この食堂は、地元の人や国境事務所の職員も利用している。
食堂は、坂に沿って建てられているため、床が斜めでテーブルが安定しないし椅子も斜めだ。
しかし、タイの辺境ではこれもご愛嬌だ。…マイペンライだ! |
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■12:51
隣のテーブルで食べている、玉子焼きごはんが旨そうだったので注文する。
あと、ビールとコーラなどで、代金は155バーツ。 |
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■13:26
チェックポイントから、1080号線に入る。
ナーンまでは、138キロだ。
ここから、道は良くなっているので、先程までとは異なり快調に飛ばす。 |
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■14:11
辺境に建つ民家。 |
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14:33
明日の朝に予定していた、ナーンの国立博物館見学を今日中にしたいと思った。
有名な「黒象牙」が見たい。
国立博物館の開館時間は4時までだ。
それに、間に合うように100キロ超で走る。 |
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■15:34
「ナーン国立博物館」に無事到着。
この建物は、1903年に建てられた。
当時のナーン領主、スリヤポンパリデートの住居を使用している。
30バーツの入場料を支払って入ると、受付の女性が4時に閉館と念を押される。
今日の入場券で明日も入っていいとの事、感謝して入館する。 |
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■15:38
時間が無いので、まずは二階の左奥の部屋に飾られている目的の黒象牙と対面する。
黒象牙というが、実際見ると茶褐色だ。
長さ94cm、外周47cm、重さ18kgの立派なものだ。
1353年に、第五代のナーン王がミャンマーのチェントゥン王から贈られたという。 |
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■16:00
国立博物館と道路を挟んだ対面に「ワットプーミン」がある。
1596年に、当時のナーン領主によって建てられた寺院。
本堂は、二匹のナーガの背に乗った形で建てられた十字型の建物で、入口が4ヶ所ある。
ここで是非見たいものは、有名な壁画だ。
この壁画は、1867年~74年に描かれたという。 |
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■16:02
有名な「刺青男と婦人の会話」。
この絵は、昔1バーツ紙幣の絵柄として使われ、タイ航空機内誌「サワディ」の1999年2月号の表紙を飾っている。
刺青の男と上流階級の奥様の会話する、奥様の目つきがとてもいい。
「ふうみん」は、「チャタレー婦人の恋人」の貴族夫人と森番の関係を連想した。
壁画で描かれている他の男性達とは異なるヘアスタイルをしたこの刺青の男こそが、壁画の作者ではないかとの指摘がある。 |
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■16:10
「ふうみん」のオススメの壁画は、この「髪を結う女」。
見た瞬間、とても美しいと感じた。
「yayo」もこの絵が一番素敵とだと云う。
胸を露にした美しい女性が、結い終わった髪に、一輪の花をまさに挿そうとした瞬間の絵だ。
残念な事に、胸の部分の薄黒い汚れは、心ない鑑賞者の手で破損したのだと思う。
アンコール遺跡のデバター(女神)像にも、同じ現象があった。
描いた画家について、特定されていないが、タイルー族であったであろうと推測されている。 |
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■16:10
男性が、上半身裸の女性の後ろから抱きつき乳房を弄んでいる。
その横には、赤い布に包まった少年が覗き見をしている。
お寺の壁画としては、画期的?で、おおらかな当時の生活ぶりが分るようだ。
ワットプーミンと翌日に見学したワットノーンブアの壁画はこちらから ↓ |
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■16:20
ワットプーミンの斜め前、博物館の隣にある1406年に建立された寺院、「ワットチャンカムウォラウィハーン」に向かう。
金色の仏塔が輝き、その基壇には塔を支える象が配置されている。 |
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■16:22
大きな本堂の破風には、黒象牙を支えているのと同じガルーダの紋様があった。
多分、ナーン王家の紋章なのだろう。
とても愛嬌があって、可愛いガルーダの紋章だ。 |
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■16:22
扉の木彫りの仏の表情が柔和だ。
ナーンの風土の「やさしさ」を表している様だ。 |
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■16:33
チーク材で建造された、「ナーンファーホテル」を見学させてもらう。
ナーンファーホテルは、木造の築100年以上の3階建てのホテルで、3階まで伸びるチーク材の大黒柱が有名だ。
黒光りし、磨き上げられたチーク材の室内に、三階の天井の明り取りと窓からの明かりが差し込む。
歴史と人の営みを感じさせる、素晴らしい室内空間だ。 |
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■16:34
ホテルの2階の風通しの良いスペースに、外からの光が差し込む。
床の黒光りしたチークの床に、思わず感動する。
人工的な建材とは異なった、木造の良さと素晴らしさを再認識する。
フロントに見学のお礼を言って、後ろの壁を見たら、宿泊代350バーツと書いてあった。 |
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■16:47
ナーンファーホテルを出て、タイマッサージは無いかと、隣の「テラワートホテル」のボーイに聞いたら、うちのホテルにあると言って案内してくれた。
タイマッサージは、二時間300バーツとチップ100バーツ。
なかな上手だった。 |
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■19:00
夕食に良い店はないかと、ロンリープラネットで調べる。
ナーンファーホテルの近くに、「ルンティップサウーイ」という古いレストランがあるという。
店を訪ねたら、残念な事に休みだった。
その近くの「スアンイサーン」に入る。 |
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■19:09
この店は、名前の通りイサーン料理店だ。
「ラオス風タイスキ」をメインに色々と頼む。
それにビールとコーラを加えて、286バーツと激安で美味しかった。 |
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■20:03
お腹が一杯だ。
美味く安い料理に満足してスアンイサーンを出て、街外れのシティパークホテルに戻る。
まだ夜の8時過ぎだというのに、ナーンの街中は明かりが暗くとても静かだ。
辺境の県都に居るんだな~あと、つくづく実感した。 |