|
|
ポーロメ(Po
Rome)遺跡に向う。
ドライバーはこの遺跡には行った事が無く、商店で場所を聞く。
幾つかのチャム人の村を抜け、何度も道を聞き遺跡に向う。 |
|
|
|
|
|
ポーロメ遺跡の祠堂が見えるが、道路からその先500メートルはダート道になる。
ドライバーは車では入れないという。仕方が無い!遺跡に向って歩く。
サボテンや潅木がまばらな、荒涼とした風景の中を歩く。 |
|
|
|
|
|
従来、丘の上に続く階段は東向きに作られていた。
この階段は、1960年代の修復時に北向きに新しく造られたものだ。 |
|
|
|
|
|
祠堂はポークロンガライを模した物だが、造形力と建築技術は格段に劣っている。 |
|
|
|
|
|
ポーロメの葬儀の際のクット(石碑)がポッンと立っている。 |
|
|
|
|
|
祠堂の内部を見たかったのだが、残念な事に扉には鍵が2ヶ所もかけられていた。
祠堂内部には、シヴァ神を模した8本の手を持ったポーロメ王の像が納められているという。
階段下にある管理人小屋?に頼むと開けてくれるという。 |
|
|
|
|
|
岩盤の上に建てられたレンガの祠堂。
レンガの大きさや積み方は不揃いで、明らかに建築技術が落ちているのが分る。
このレンガの壁を見ただけでも、チャンパ王国の衰亡が如実に現れている。 |
|
|
|
|
|
宝物庫は20世紀初頭には残されていたが、今はその痕跡のレンガの壁が残るのみ。 |
|
|
|
|
|
クット(石碑)が2つ並んで立っていた。
王と王妃の墓か? |
|
|
|
|
|
祠堂の屋蓋の3層はよく残り、各層の同様式の4つの隅尖塔と壁龕がある。
壁龕には砂岩製の神像が安置されている。 |
|
|
|
|
千数百年も続いたチャンパ王国は、この地において衰亡し消滅した。そして、チャンパ王国が存在した事さえ、ほとんどの人は知らない。
丘の上に立ち荒涼たる大地を望む。農耕に全く適さないサボテンと潅木がまばらに生えている不毛の土地を眺め、吹きつける風を頬に受けながら、過ぎ去った歴史の長い歳月の重さを思う。
まさに、旅の醍醐味がここにある。…地元のドライバーも知らず、観光客もいず、人知れず佇むチャンパの祠堂に、あらためて歴史のロマンを感じる。 |
|
|
|
|