カンボジア国境の情景







ハートレーク(Hat Lek)


タイのハートレーク(Hat Lak)から国境を越えると、カンボジア側はコッコン(Koh Kong)になる。右側に見えるグランドホテル(Koh Kong International Casino Resort)にはカジノがあり、タイ人のギャンブル好きの金持ちがやって来るらしい。とてもローカルな国境の情景。(2007/09)




ハートレークの海の桟橋に出たら、カンボジアのホテル(Koh Kong International Casino Resort)が良く見えた。写真左側の国旗が国境線になる。(2008/06)




ハートレークの店頭のファランのバックパッカー。これから、カンボジアに入るのか?タイに入国して、トラートまでの車を待っているのか?国境ならではの情景。(2008/06)



ムックケイビーチ( Mook Kaew Beach)


Mook Kaew Beach にある Haad Mook Kaew Resort に立ち寄ると、レストランはオフシーズンで修理の真っ最中だった。オープンしているのかな?レセプションの女の子に声を掛けると、オープンしていると言う。女の子に連れられ、工事中のレストランに案内される。客は誰もいない。

その、Haad Mook Kaew Resort から眺めた、トラートの海。右に微かに見えるのがチャーン島だ。(2008/06)

白いデッキ

白いチェアー

エメラルドグリーンの海

果てしなく広がる、紺碧の空

そして、皓い雲

…表現する言葉を失う、南国の海。



ボーライ( Bo Rai )


ボーライの街中にあった、唯一の信号機つきの交差点。その交差点一角に、アンコールワットの女神のレリーフがラテライトの壁にはめ込まれていた。BORPLOY MUENG NAR YOO と書かれている。何かこの街で、クメール遺跡に関係したものがあるのだろうか?と探して見たが分らなかった。(2008/06)



キリータンダム(Khiri Than Dam)


Khiri Than Dam 。ダム湖を眺めしばし休息をとる。 このダムは多目的ダムで、標高205メートル、貯水量76百万立方メートル。 (2008/06)



ソイダオ(Soi Dao)


雨の中を昼食の場所を探して、ソイダオ(Soi Dao)の街中を貫く317号線の側道を走る。車を停めるスペースのある食堂に入り、クイッテイヤウとビールを頼む。うれしい事に食事中に雨が上がった。食堂を出てチャンタブリーへ向う。昼食代は90バーツ。(2007/09)



クローンハート(Khlong Hat)


3395号線を走っているとクローンハート(Khlong Hat)の近くで、目の前に奇妙な形の石灰岩の山が現れた。この岩山の後ろ側にカンボジア国境がある。(2007/09)



プラサートカオノイ(Prasat Khao Noi)


アランヤプラテート(Aranyapraathet)の国際マーケットの近くから、カンボジア国境に沿った3367号線を走ると、5~600メートルおきに検問所がある。このカオノイ遺跡(Prasat Khao Noi)は、タイで最も古いクメール遺跡の一つといわれており、7世紀に建てられた3基のレンガの祠堂が建っている。

カオノイ遺跡は小山の上に建てられており、急な階段と山道で登るのはかなりハードだが、その途中からカンボジアの大熱帯雨林が眺望できる。すばらしい眺望で、千数百年も昔に何故この場所に遺跡が建築されたのか?その理由が分るような気がした。(2005/06)



アランヤプラテート(Aranyapraathet)


アランヤプラテート(Aranyapraathet)の国境のイミグレ近くのフレンドシップマーケット。ここは大規模なマーケットで品数が多そうだが、この炎天下では見て歩く元気は出ない。「ふうみん」は両替えに銀行に行く。外で待っていた「yayo」は、「アンニョンハセヨ!」とか、「ニイハオ!」とか、怪しげな男たちに声を掛けられて、この場所に居るのが嫌になり、早くここから出ようと言った。(2007/09)




アランヤプラテートのアランマーメードホテル(Aran Mermaid Hotel)に宿泊した。ホテルの横の348号線の踏切と通過する列車。(2007/09)



プラサートサドックコックトム(Prasat Sdok Kok Thom)


プラサートサドックコックトム(Prasat Sdok Kok Thom)は937年に建造され、1057年に再建された。この遺跡は、クメールの歴史上貴重な碑文を刻んだ2つの石碑があることで有名だ。

「ふうみん」は、ここで確認したい事があった。アンコールの泰斗、石澤良昭教授の本「アンコール・王たちの物語」に次のような記述があった。…スドック・カック・トム遺跡はタイ=カンボジア国境線上のタイ側に数メートル内側のところある。

この写真の後、50メートルほどでラテライトの参道が切れる。その先に、カンボジア側に向って細い道が続いている。細い道に沿って100メートルほど歩いて行くと、道はだんだんと細くなり、道の脇には地雷が埋まっているようだ。危険なので、その先まで行って確かめるのは断念したが、少なくとも、石澤教授の言う様な「国境線上のタイ側に数メートル内側」と言う事は無い。(2007/09)



古代クメールの採石場の跡(Ban Kruat Stone Quarry Site)


採石場の脇にWat Padhammasilaram という寺院があり、そこの僧侶が古代の採石の跡に案内してくれた。その後、僧侶は自分の寺に案内してくれた。僧侶の後について行くと、Wat Padhammasilaram という寺院があり、まだ建設中だった。(2007/09)



バイベーグ(Prasat Baibaek)


224号線からダート道を5キロほど入った、カンボジア国境近くにバイベーグ遺跡(Prasat Baibaek)はある。11世紀のレンガで出来た3基の祠堂が建っており、破損が激しい。この遺跡自体はたいした事が無いが、周りを見渡すと北海道の様な青い空と白い雲の下、たおやかでゆったりとした風景が展開し、周りには遺跡の朽ち果てた砂岩が多数散乱している。

バイベーグ遺跡は、ピマーイからアンコール都城を結んだ線上にあり、最初の「王道」の中継点の一つだった。その後に、ダンレック山脈越えに楽なタームアン経由に「王道」は変更になり、かなり古い時期にバイベーグ遺跡は忘れ去られ放置されたのだろう。さわやかな風に当たりながらこの景色を見ていると、何か歴史の「栄枯盛衰」を感じる。(2005/06)



タームアントム(Prasat Ta Muean Thom)


タームアントム遺跡(Prasat Th Muean Thom)は、11世紀に建てられた規模の大きなバプーオン様式のヒンドゥー教のシヴァ神殿だ。神殿は南向きで、回廊の中に主祠堂と2基の祠堂があり、裏にバライを持つ。この、タームアントム遺跡はカンボジア領内にある?かも知れない、微妙な位置にある。遺跡の南側に急な階段があり、その先はカンボジア国境の鉄条網が張られているが、今回、何とカンボジア領内に向かいトイレの標識?が出ていた。



2008年8月5日  バンコク週報 

ブンサン国軍最高司令官は8月4日、カンボジアに隣接するタイ東北部スリン県の国境地帯にある『タームアントム寺院』遺跡はタイ領であると明言し、同エリアに近づかないようカンボジア軍に警告した。これは、同遺跡を自国領と主張するカンボジアが先に、「自国兵がこのエリアに入るのをタイ軍に阻止された」と抗議したことによるもの。ブンサン司令官は、「カンボジア兵が侵入すれば追い返す」と明言している。なお、この寺院遺跡の位置するエリアも、カンボジアの単独申請により世界遺産に指定されたばかりの『プレアビヘア遺跡』周辺エリアと同様、国境未画定区域となっている。



「ふうみん」は、上記の記事などにより、国境の現状が知りたかった。

2007年9月訪問時に比べ、
・先ず最初に感じたのが新たに「地雷の標識」が設けられていた。
・国境警備員が2名配置されていた。
・カンボジア領内のトイレにファランの観光客が国境を越えて入り、カンボジア人と記念写真を撮っていた。
・国境紛争中の状況に無く、以前と同じくのんびりしていた。

特に、国境紛争を懸念する状況ではない様だ。(2009/01)



チョーンチョム(Chong Jom)


プラサートから、214号線を40キロほど南下するとカンボジア国境のチョーンチョム(Chong Jom)に着く。いってみれば、この214号線は現代の「王道」だ。カンボジアに陸路の入国は、アランヤプラテートが一般的だがこのチョンチョムもある。チョーンチョムは新しく開放的な雰囲気を持ったボーダーだった。(2005/06)



カオプラヴィハーン(Khao Phra Wihan)


カオプラヴィハーン遺跡(Khao Phra Wihan)へ向う階段の途中に金網のゲートがあり、ここがタイとカンボジアの国境だ。金網ゲートの下を横ぎる、この小さな川が国境だとは?タイ側が怒るのは無理も無い。(2005/06)



カンボジア北部、タイとの国境を走るダンレック山脈上にあるカオプラヴィハーン遺跡は、1904年フランス・シャム(タイ)協約によりフランス領カンボジアに帰属した。しかし、第2次大戦中からタイが占拠し、その後両国の国境紛争に発展した。標高657mのこの寺院を含む地域は、戦略上の要地でもある。1953年カンボジアは兵員を派遣したが、タイ軍に阻まれた。両国間で交渉が重ねられたが、1958年外交関係の断絶にまで発展した。

1959年カンボジアはハーグの国際司法裁判所にこの寺院の領有問題を提訴し、1962年国際司法裁判所はカンボジアの主張を認める裁定を下した。タイは領有権を保留としながらも、裁定に服し、カンボジア側がこの遺跡の主権を回復した。




中央塔の崩壊した石に登って、回廊の上にカンボジアの大平原を望む。(2007/09)




今回で3度目の見学になる。カンボジアの村が来る度に整備されている。(2007/09)



国境警備隊221部隊のキャンプ


カオプラヴィハーンから、ドントーラン遺跡の前の道をそのまま走っていると車止めがあった。それを、無視して進むとタイ軍の国境警備隊221部隊のキャンプがあった。隊員がいたので、車を急いでUターンしょうとしたら手で招く。隊員のご好意に従いキャンプ内を見学する。崖の上のキャンプの建物。この下にはカンボジアの大平原が眺められる。ここはカンボジア領で、タイが実効支配しているのだろうか?(2007/09)





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