ビルマ国境の情景 Ⅱ







メーサムレップ(Mae Sam Lap)


メーサリアンから1194号線を50キロほど、1時間10分のドライブでサルウィン河を望むメーサムレップのビューポイントに着いた。右下手前にメーサムレップの集落とボート乗り場。向って右側がタイ、左側がビルマだ。

サルウィン河(Salween、Salwine、Thanlwin)は、チベットを源流とし雲南省を流れ、ビルマ北東部からアンダマン海に注ぐ河で長さは2815キロ。

「ふうみん」がこの地点にどうしても来て見たかったのは、タイとラオスの国境のメコン沿いの道を走り切り、タイの地図を見ていて無理だと思っていたタイとビルマ国境のサルウィン河に、このメーサムレップで出会える事を知った。その時からこの地に憧れて、どうしても来たかった。(2006/11)




川原に精悍な表情をした長身の国境警備隊員がいたので、断ってカメラを向けたら精悍な横顔が少しはにかんだ。後でこの隊員たちが「ふうみん」のチャーターしたボート乗り込んできて、一緒になるとは夢にも思わなかった。。(2006/11)




メーサムレップのサルウィン河の船着場から、乗客と荷物を満載したボートは下流のバーンソップモエイ(Ban Sop Moei) に向って出発した。このボートは地域住民の貴重な交通手段なのだろう。(2006/11)




メーサムレップのサルウィン河の船着場。河原はコンクリートの突堤などは無く、白い砂浜のままだ。その場所で、麻袋に入った穀物をビルマ側からボートで運び、タイ側のオンボロのトラックに積んでいる。

麻袋の重量は50~60キロは優にあろう。ビルマ人の作業員は黙々と運ぶ。彼らの1日の賃金は100バーツにも満たない。そして、ここでは公然と密貿易が行われていると云う。もしかして、これも、そうなのであろうか?(2006/11)



バーンタタファン( Ban Tha Ta Fang )


メーサムレップから50分ほどの船旅で、カレン族の村 Ban Tha Ta Fang (Mae Ka Hta) に到着。そのエキゾチックなカレン族の村を、ロンジーを腰に巻いた船頭のお兄ちゃんの案内で見学する。その時、村のベンチに座っていた女の子。とても暗い表情が、すごく印象に残った。(2006/11)



メーオウ(Mae Aw)又はバーンラックタイ( Ban Rak Thai …タイを愛する村)


メーホーソンから1095号線を走り、パイ川に架かる橋の先を左折してメーオウ(Mae Aw)に向う。TATでもらった地図やパンフには Mae Aw の表示は無く、バーンラックタイ( Ban Rak Thai …タイを愛する村)と書かれている。タイの地元の女の子も Ban Rak Thai と呼んでいた。すごい急な山道をローギアで登り、メーホーソンのホテルから40キロの距離を50分ほどでメーオウの村のゲートをくぐる。

メーオウは国民党(KMT)の村で、タイにある最後かつ本当の国民党前哨基地だ。また、悪名高き麻薬王クンサーの居住地もこの近くだ。メーオウは小さな湖(貯水池)の周りに木造の家屋が点在する小さくて素朴な村だった。(2006/11)




村の中の小学校、泰文学校の門に THE BORDER OF THAILAND と書かれていた。その書かれた文字を読んでいると、やっと、ビルマとの国境に来たな!との実感がふっふっと湧いてくる。(2006/11)



バーンラームタイ(Ban Ruam Thai)


シャン族の村バーンラームタイ(Ban Ruam Thai)に向う。村の中は意図的にきれいに整備されていた。村の突き当りには、静かなダム湖と緑の森、そして放牧された牛が陽光のもとのんびりと草を食べていた。近くにはキャンプ場があり、想像していた国境沿いの村の緊張した雰囲気は全く無かった。(2006/11)




Ban Ruam Thai の村のゲートを出た所で彼女たちに車を停められる。先ほど行ったBan Rak Thai (メーオウ)に3名ほど乗せて行ってくれないか?との依頼だった。

「残念だけど、今行って来たばかりなんだ!」と今メーオウの売店で買って来たウーロン茶を見せて「ゴメンネ!」と丁重に言うと、「マイペンライ!」との言葉と素晴らしい笑顔が返ってきた。だから、タイの人が好きだ!特に女の子はいい!(2006/11)



バーンナパーペーク(Ban Na Pa Paek )


国民党とフモン族の村バーンナパーペーク(Ban Na Pa Paek )の村では、おばあさんが日向で刺繍をし、お嫁さんが子守をしていた。ほのぼのとした辺境の村の光景だ。(2006/11)



パイ(Pai)


パイの夕暮れとともに、バーンクラティンパイ(Baan Krating Pai)のシンボルの野牛を連れたホテルの係員が牛舎に帰る。ビルマ国境の山並みに沈む夕日がパイ川の水面に映る。パイ川の向こう岸には、高級リゾートのベルビラの民家風の建物が夕闇にかすみ幽玄な世界を醸成している。(2006/11)



唐窩村(Tham Ngop = Santi Wana)


KMTの唐窩村近くのビューポイントから眺めた国境の山並み。左の山並みはビルマになる。このビューポイントには唐窩村の物産を売る売店が数店出ており、ファランのアベックが焼き芋を食べていた。「ふうみん」は旨そうなアボガドを買うが食べる機会が無く、日本に持って帰れずに最終日に空港で破棄せざるを得なかった。残念。(2006/11)




KMTの唐窩村に入ると「唐窩客棧」と書かれたゲストハウスがあった。この村は第3軍(李将軍)の本拠地になる。(2006/11)



アンカーン山(Doi Ang Khang)


アンカーン山の駐車場には、土産物屋や食堂ゲストハウスがある。アンカーン山王室プロジェクト(Doi Ang Khang Royal Project)に入る。王室プロジェクトとは、この地域では以前ケシが栽培されていた。ケシの栽培は現地住民の生活手段だったが、王室のプロジェクトによってケシに変わる食材や花の栽培などをする様になった。

その隣にアンカーンネーチャーリゾート(Ang Khang Nature Resort)がある。最初ここに宿泊しょうと思ったが5000バーツもするので断念し、1/3で泊まれるタートンのホテルにした。(2006/11)



タートン(Thaton)


この村を一望出来るワットタートンの参道を登る。思ったより奥が深い。一番奥の仏塔まで登る。一番奥の仏塔の展望台から眺めたタートンの街並み。下を流れるのはコック川(Kok River)で、ここの船着場からチェンライに向けての船が出ている。時間は4時間ほどかかると言う。コック川側沿いにはタイのゲストハウスがあり、そのすぐ上流はビルマ国境だ。(2006/11)




タートンの橋の脇のコック川側沿いの道を上流に向って走る。この道はコック川に沿ってビルマ国境に通じている。地図で見ると幹線からビルマ国境の距離が一番近い。一キロも行かないうちに国境警備隊のチェックポイントで通行止めだ。この直ぐ先にカレンの村があるらしいが断念する。車のUターンのためバーを上げてもらう。

この先でビルマに入り、昔から国民党やクン・サーが麻薬の積み出しに使った飛行場のあるモンサッ(Mong Hsat)に至る。(2006/11)



メーサイ(Mae Sai)


イミグレの左横からサーイ川に沿って少し行くとタイの最北端の碑が建っており、THE NORTHERN MOST POINT OF THALAND と書いてあった。そこから眺めた光景。向って右がミャンマー、左がタイ。経済格差が歴然だ。(2004/11)





Back Next Index