ラオス国境の情景 Ⅰ







エメラルドトライアングル(Emerald Triangle )


ラオスとカンボジア国境に沿った2248号線を走っていると、エメラルドトライアングル(Emerald Triangle)の標識があった。標識に従い、右折してダート道をしばらく走るとダム湖に突き当たった。ここから先の道は工事中だったので、仕方なくここで引き返しデッドウドム(Det Udom)に向った。(2005/06)


Shinji さんからの掲示板への投稿 2006/09/06

Bankok Post によりますと、Emerald Triangle の国境ゲートが先週末にオープンした模様です。といってもこれは独立した記事ではなく、「Emerald Triangle で狩猟禁止の野生動物が食肉用に取引されている」という記事の中の一文でさりげなく国境ゲートのオープンについて記されていました。詳細は不明ですが、文脈から推察するに、Emerald Triangle の西側1kmほどの位置でタイ・カンボジアの国境が開かれたのだと思います。今のところ外国人の越境は不可で、それで英字紙での扱いが地味なのでしょう。

タイ・ラオス・カンボジアの国境が交わる Emerald Triangle というのは観光用のキャッチフレーズで、地名としては Chong Bok です。Chong (峠)というくらいなので、昔から人の行き来はあったのでしょう。私が推定した国境越えルートを画像上に白線で示しました。タイ側の国境線は分水嶺ですが、カンボジアとラオスの間の国境線は Tonle Repou というメコン支流です。

1979年には、ベトナム軍侵攻の煽でカンボジア難民13,000人が Chong Bok 経由でタイに逃げ込み、タイ政府は難民キャンプ2個 (Chong Bok, Nam Yuen)を造って対応しました。ところがこの中に相当数のクメールルージュ兵士が紛れ込んでいたようで、難民キャンプを拠点に反ベトナム活動を行いました。怒ったベトナム軍は難民キャンプを攻撃するためにタイの領土に侵攻し、タイの軍隊とかなり派手な交戦を行ったそうです(1985-1986)。

おそらく数年の内には外国人も行き来できる国境ゲートに格上げされ、お定まりのカジノやゴルフ場が建設されて情緒もへったくれもなくなるでしょうから、鄙びた国境の雰囲気を味わうのは今が旬だと言えます。



チョーンメック(Chong Mek Check Point)


チョーンメック(Chong Mek)に行くと、イミグレの真新しい三角屋根の建物が見えた。2年半前に来た時は、まだ手前の道路が工事の真っ最中だった。かなり手前に車を置き、5バーツのトゥクトゥクに乗ってボーダーのチェックポイントまで行ったものだ。わずかの間の年月だが昔日の感がする。

三角屋根の建物にタイ人観光客がゾロゾロと歩いて行く。多分あすこにボーダーのチェックポイントあるはずだ。前回は10バーツ支払えば簡単に入境できた。大勢のタイ人観光客の後を付いて行ったら、そのままチェックポイントを通過してラオスに入国してしまった。無断入国だ。何かヤバくないかと少し不安になるが、マ~アいいかと思い直す。

「ふうみん」は出来たばかりの土産物屋に入る。店先ではタイ人観光客がビールを飲んで談笑中だった。この店でお土産のラオスコーヒー3袋(180バーツ×3)、ラオス緑茶(55バーツ)、中国製ウーロン茶(250バーツ)、鄧麗君(テレサ・テン)の2枚組みCDを2ツ購入(169バーツ×2)。

タイへの帰りが心配だった。何しろ無断越境だ。能天気の「yayo」に、前に行くタイ人観光客の後を一緒の仲間みたいに付いて歩くように指示し、2ヶ所のチェックポイントを無事通過して、タイに再入国できた。~ああ良かった。(2006/06)



コンチアム(Khong Chiam)


夕暮れのトーセンコンチアムリゾート(Tohsang Khongjiam Resort)へチェックイン。ホテルの部屋のベランダに出ると、目の前に雄大なメコンが流れ対岸のラオスの民家が小さく見える。

トーセンコンチアムリゾートのオープンテラスのレストランから見た夕暮のメコンとムーン川の合流地点のツーカラーリバー。バンコクから700キロも遠く離れた辺境のホテルに、わざわざ来た甲斐がある見事な景色だ。(2004/11)




朝5時30分。ホテルの部屋の窓から外を見ると少し白んで来た。昨日、来る途中の2222号線で見つけたコンチアムの高台にビューポイントがあった。寝坊の「yayo」を起こして車で向かい、6時にビューポイント着く。それぞれがカメラを構え、刻々と移り変わる日の出を追う。

近くの民家はすでに起きており、ニワトリの鳴き声が早朝の静寂を切り裂くにように響く。日の昇る方向がメコンの上でなくて、山寄りだったのは少し残念だったがメコンとムーン川の合流地点の気に入った写真が撮れた。(2004/11)




コンチアムの朝市は朝早くから多くの人で賑わっていた。新鮮な野菜と果物、そしてメコンとムーン川の魚が一杯あった。タイの食の豊かさを改めて実感する。

市場からホテルに向い、道なりに走ると2222号線終点のムーンリバーの河口に出た。そこに架かる橋の上からムーン川を覗くと、河口に朝日が差し込み川面に浮かぶ漁船を照らしていた。 (2004/11)




コンチアムのレストランで昼食を摂った。レストランの目の前のメコンで舟遊びをし、対岸のラオスに行って見たい。船着場の船頭のお兄ちゃんに、日本人でもラオスに入国できるか訪ねると、返事は「マイペンライ」。本当に大丈夫かな?

料金は貸切で300バーツとの事。コンチアムからメコンを横切り、対岸のラオスに渡る。船着場の階段を登り、そこで入境料の50バーツを支払う。パスポートの提示は不要だ。多分、ここはタイ人観光客向けの施設なのだろう。

ラオスの船着場から対岸のタイを望む。ここの河岸に座り、夕日を見ながらビアラオ(ラオスビール)を飲みたいな!と思った。(2006/06)



パーテム(Par Tem National Park)


パーテム国立公園に200バーツの外国人料金(タイ人の10倍の料金)を支払って入る。まったく納得できないタイの料金設定だ。

パーテム国立公園の崖の上には「THE FIRST SUNRISE IN SIAM」と書かれた石碑が建っていた。ここから眺めた対岸はラオスの山々と国境を流れるメコン。メコンに沿った断崖の絶壁には、3000年前と推定される壁画が残っている。(2006/06)



⑤ ビューポイント(View Point)


パーテムの入口から、2112号線を北に十数キロ走るとビューポイントがあった。当然の如く誰も居ない。展望台に登ると、ラオスの山々が大パノラマで見られる。手前はイサーンの大熱帯雨林で、イサーンは20世紀に入り乱開発で森林の多くは伐採されて、赤い大地に変貌してしまった。ここ、タイの国境沿いの僻地に辛うじて昔の面影が残されている。

遥か彼方には、ラオスの山々と天まで抜ける真っ青な空だ。しばし、このビューポイントで国境の情景に見とれる。(2004/11)



マロビーチ(Maro Beach)


メコンに沿った2112号線を走っていると、Huay Na-muang Yai Waterfall の滝があるという。わざわざ十数キロも走って見に来たら、何と落差数メートルのショボイ滝だった。日本では絶対に滝とは言わないだろう。これは単なる落差だ。それにしてもタイ人の滝好きには改めて感心する。

しかし、その滝の先にあるメコンの岸辺のマロビーチから眺めたメコンは、流石に素晴らしい風景だ。メコンに面した食堂でくつろぐ「ふうみん」。(2006/06)



パーチャン(Pha Chan)


2112号線のサオチャリアン(Sao Chaliang)という標識を右折してメコンを見に行く。突き当たりの駐車場に車を止めてメコンの方角を眺め、思わず「yayo」と顔を見合わせる。何とあの大河メコンが無い。そんなバカな!確かに向こうはラオスのはずだ。太陽の位置からも間違いない。

見渡す限りの岩場をメコンのあると思われる方向にずんずん歩く。後ろで「yayo」が気を付けてね!と声を掛ける。数百メートル行った崖下数十メートルの所に大河メコンがあった。

漁船が数隻舫われていた。あの大河メコンが幅100メートルほどに狭まって流れている。直ぐ向こう岸のラオスに石を投げれば届くようだ。後にも先にもこんな光景のメコンは此処だけだった。(2004/11)



ケマラート(Khemmarat)


茶褐色の水が滔々と流れる、メコン沿いの辺鄙な国境の町ケマラートの船着場。急な堤防を下ると、そこに数隻の渡し舟が舫われていた。対岸のラオスとの交易の荷物を、数人の男が自動車の車輪の上に荷台を付けた荷車を使い、貨車をロープで引っ張り上げていた。

荷物・トゥクトゥク・日陰で船を待つ乗客。近くにはその人たちを目当ての飲食の売店。観光客など誰も居ない、鄙びた国境の船着場の情景。(2006/06)



ムクダハーン(Mukdahan)


タイのムクダハーンとラオスのサワンナケートを結ぶ「第2友好橋」の全長は2050メートル。日本の7000万ドルのODA案件の融資を受けて、2004年3月に着工され2006年12月に開通した。国際バスで「第2友好橋」を渡るには、パスポートを提示して国際バスのチケット購入する。チケット代金は土・日は50バーツで平日は45バーツ。

この橋の完成により、ベトナムのダナンとタイのバンコクまでが高速道路で繋がる。エネルギー交易や製造業の部品供給などの面で、共存共栄関係を築きつつある経済効果は、タイ・ベトナム両国にとって非常に大きい。この橋は東西回廊の要として、ベトナム・ラオス・タイの経済の発展に大きく寄与するだろう。(2007/09)




国際バスに乗って「第2友好橋」を通り、ラオスのサワンナケート(Savanakhet)に入国した。街中を散歩するとフランスの植民地時代の建物が多く、コロニアル調の雰囲気が実にいい。ぶらぶら歩いていると急に目の前が開けた。正面に聖テレサ教会が見えるから、ここは教会の前庭なのだろう。

左手前のレストランが綺麗で洒落ているので、昼食はここで摂ろう。店名は「Dao Savanh Restaurant」。まだオープンしたばかり見たいで、「地球の歩き方」にもツーリズムオフィスで買った地図にも載っていない。通された2階の室内は、サワンナケートにあるレストランとは思えない立派さで、我々の他に客は誰もいなかった。メニューを見ると本格的なフランス料理だ。昼のセットメニューの値段は一人前65,000キップ(約800円)。(2007/09)



タートパノム(That Phanom)


タートパノム(That Phanom)近くの212号線。道沿いに大木が多く、走っていて気持ちが良い。情緒のある「ふうみん」の好きな道だ。(2007/09)




ワットプラタートパノム(Wat Phra That Phanom)は、諸説色々あるが一般的には1500年前頃に建立されたと考えられている。元はクメール様式だったが、今はラオス様式になったと言われている。イサーンだけでなく、タイ全土、対岸のラオスの人々の信仰も集めるイサーンきっての名刹である。

この塔は、高さ53、6メートル、四角錐の土台の一辺は12、33メートルで毎年2月に一週間に渡る祭りがあって大いに賑わう。塔は1975年の嵐の夜に崩壊したが、1978年に再建された。(2007/09)



ナコンパノム(Nakhon Phanom)


早朝の5時45分。カーテンを開けたままにしておいた部屋の窓越しに、朝焼けが見える。部屋の中が少し明るくなって来た。早速カメラを片手にホテルの裏庭に向う。このナコンパノムのリバービューホテル(River View Hotel)はメコン沿いの朝日を望む一等地に建っている。

裏庭からホテルを振り返ると、メコンの朝日を見る為にカーテンを開ける部屋があちこちに見られる。対岸のラオスの石灰岩の奇妙な形の山並みに朝もやがたち込め、そこに曙の淡い陽光が差し込む。旅人を魅了する幻想的な光景を醸し出している。(2004/11)



ブンカン(Bung Kan)


ブンカンのメコン沿いの道をレストランを探して往復し、中ほどのレストランに入る。とりあえず、ビールとコーラを注文し、料理はソムタム、ガイヤーン、カオニャオを注文する。店員の男の子は少し考えてフロントに行きOKだという。ビールを飲んでメコンを眺めていると、先程の店員がバイクに乗って出かけていった。10分ほどして買物袋を手にして帰って来た。わざわざ注文した料理を買って来てくれたのだ。

早速食べると、ソムタムは唐辛子が10本以上入ったまさにタイ人向けだった。ガイヤーンが旨い。今まで食べた中で一番旨い。そうしている内に他の客に出す料理を運ぶ。見た目にも美味しそうだ。「ふうみん」はその料理の近くに寄って、指差しでスープとオムレツをたのむ。メコンを眺めながら午後の、のんびりとしたそして充実した昼食を終え勘定を頼むと、何とこの料理にビール2本とコーラ2本で234バーツと安い。

店の前の車に乗り込むと、先程の店員のお兄ちゃんがあわてて飛んでくる。先程の買い物代として140バーツを請求された。どおりで安かった訳だ。(2004/11)





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