Jayavarman VII

(宿駅の起点) Preah Khan と (宿駅のオリジナル) Banteay Chhmar



最後に、アンコール~ピマーイ間の起点となるアンコールのプリアカーンの宿駅とジャヤヴァルマン7世の創建当時のオリジナルのままに残るバンテアイチュマールの宿駅を紹介しよう。

最後にした理由は、両方の宿駅の建物が素晴らしく、それと比較するとイサーンの宿駅があまりにも惨めになってしまうからだ。



(宿駅・起点) Preah Khan

プリアカーンの東塔門の先の東参道にジャヤヴァルマン7世が121ヶ所に設けた「ダルマシャーラー」と呼ばれる「宿駅」がある。

ここの「宿駅」にはデヴァターのレリーフがあり、綺麗に修理されていた。


さすが「宿駅」の起点だけの事はある立派な建物だ。

窓とデヴァター(女神)。

窓とデヴァター(女神)。

東南側から屋蓋部分を眺める。

東側から。

破風とまぐさ石。


破風の中央上に彫られた仏像は削り取られている。


まぐさ石はカーラに乗る神が彫られ、下部の葉状文様末端の渦巻きは互い違いに巻かれている。

クメールには、アーチ(真性アーチ)の技術はなかった。クメールに有ったのは、擬似アーチの「迫り出し構造」だ。


クメールに技術を伝えたインドにも、その当時はアーチは用いられなかった。

塔状の建物(祠堂)の仏像。

二重の連子窓から、外を眺める。

「迫り出し構造」の技術的な発展の限界が、このブリアカーンの「宿駅」だ。


4メートル20センチの空間を造り出す事が出来た。


その天井を、しばし見つめる。

北側は日光が当たらない為に苔むしている。

苔むした、北側の壁に彫られたデヴァター(女神)。


苔むした中身はどんな姿をしているのかな?



(宿駅・オリジナル) Banteay Chhmar

バンテアイチュマールの入り口から、東塔門に行く途中の右側にジャヤヴァルマン7世が設けた「宿駅」がある。ここの「宿駅」は全くの手付かずで残っており、オリジナルの「宿駅」に感激する。

このバンテアイチュマールまで、シェムリアップから5時間弱のドライブだった。その為、「宿駅」を見学する時間が無かったし地雷も怖い。

西北側から、塔状の建物(祠堂)を眺める。

西南側から、塔状の建物(祠堂)を眺める。

南側から、青空に映える「宿駅」。

屋根飾りがきれいに残っていると言う事は、屋根の部分もしっかり残っていると言う事になる。


やはりイサーンの地方の職人が造った「宿駅」と、ジャヤヴァルマン7世直属の職人とでは建築技術が違うのだろう。

東南側から眺める。


「宿駅」は組積造で他の寺院には見られない独得の形状をしている事を再認識する。





Jayavarman VII
王道を巡る旅を終えて


イサーンの赤い大地の片隅に忘れ去られた、「王道」上に残された「宿駅」の遺跡を、言葉も通じず、資料もほとんど無く、また地図にも載っていない無いと言う三重苦を味わいながらの旅を終えた。

当時のジャヤヴァルマン7世の治世下に、空前の繁栄をもたらしたアンコール王朝の栄華の「王道」の痕跡は、崩壊した「宿駅」から想像するしかない。

全ての「宿駅」を巡り終えた後、今までの旅に無い異なった感慨を得た。これが、歴史の重さとロマンの面白さ、なのかも知れないな・・・


「ふうみん」



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