イサーンの大地走行2000キロプラス 「掲示板」ログ保存倉庫
2008年 上半期

[972] ふうみん 2008/01/03 18:06:16   

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

今日、「第11部ラオスひとり旅」をUPしました。ご感想など是非お聞かせ下さい。

>Shinji さん、今年もよろしくお願いします。

今回の「タイ大周遊」でチェンマイに行くとき、Shinji さんのおっしゃる様にR11(スーパーハイウェイ)は速くて快適ですが面白みはないなと思い、R106(旧道)を選択しました。

Shinji さんのグラフにもあるようにすごい坂道だったのを覚えています。R106は昔からある街道だと思っていましたが、1957年に開通とは意外と新しい道なのですね。R1からR106の分岐点の写真をUPします。





[974] Nat 2008/01/04 20:54:22   

ふうみんさん、はじめまして。

3年間のバンコク駐在を終え、1月2日に本帰国しました。そしてこのホームベージと出会いました。
駐在期間中に知っていれば・・・と
悔やむ次第です。

駐在最後の思い出に、是非とも行きたかったカオ・プラ・ビィハーンへ12月に行ってきました。時間的余裕が無く、バンコクから空路ウボン、タクシーをチャーターして目的地へ。帰りはシーサケットとウボンの遺跡・寺院を巡り、翌朝一番の飛行機でバンコクに帰る強行スケジュールでしたが、満足しました。

その他、3年間の駐在中には、ノンカイのバンファイパヤナー、ビエンチャン2回、アンコールワットへも訪れたことも良き思い出です。

でも今年も毎月のようにバンコクへ仕事に出かけます。その時間を利用して次回は、ブリラムの遺跡に行きたいと
思っています。その際はアドバイスを
よろしくお願いいたします。

帰国して3日が過ぎました。
正月料理にも飽き、今はキトゥン・ソムタム・プー・プラーです。(苦笑)

今後ともよろしくお願いいたします。



[975] ふうみん 2008/01/05 23:11:26   

>Nat さん、こちらこそよろしくお願いいたします。

ホームページに対してのお言葉痛み入ります。これからの運営の励みになります。

3年間のバンコク駐在ですか、うらやましい。最後にカオプラヴィハーンですか!それは良かったですね。あすこは簡単に行ける場所ではありませんからね。そして、これからも毎月バンコクへ行けるのですから、時間を見つけてクメール遺跡の深訪などをなさって下さい。

私は、タイの寺院についてはどこも同じ様であまり興味はありませんが、クメール遺跡は素晴らしいレリーフ等がありますから嵌ってしまいますね。全くの素人ですが、ブリラムの遺跡について少しぐらいのアドバイスは出来ると思います。写真はパノムルン遺跡です。





[976] カオヤイ 2008/01/10 16:38:53   

ふうみんさん 
初めましてカオヤイと申します。

タイに単身赴任で5年が過ぎ、
最近は時間があればカメラ片手に、
タイ国内をあちこちと廻っております。
良く、このサイトを参考にさせてもらっております。
Hua Hinでの宿、Chom viewは、
年末近くに僕も泊まりました。
勝手に、親近感を抱いております。
今後とも、参考にさせていただきます。
私の写真ブログです。
御時間が有れば、どうぞ、、
http://khaoyaim.exblog.jp/



[977] ふうみん 2008/01/10 22:23:27   

>カオヤイさん、よろしくお願いします。

ブログ拝見いたしました。とてもきれいな写真ですね。ホアヒンの日の出の写真、昨年の秋を思い出しました。そして、Chom view ホテルに宿泊ですか!何かとても懐かしいですね。

カオヤイ国立公園の横の2号線は大好きなイサーンに行くのによく通りますが、まだ中に入った事はありません。自然がたくさん残っているようですね。



[978] Shinji 2008/01/11 16:02:10   

ラオス南部の奇景 Si Phan Don の画像をまとめて見ました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th4/spd/index.html

情報収集のためにいろいろと旅行記や写真を漁っているうちに、既に行って見て来たかのように印象が焼き付いてしまいました。しかし、しかるべき団体のお膳立てツアーでならともかく、個人で行くとあちこちでぼったくられそうで鬱陶しいです。

奇景の形成過程を解明しようと思って地質図を眺めてみたんですが、ギブアップです。

この付近のラオス・カンボジアの国境線についてですが、さすが両国を共に統治していたフランスが引いただけあって、大雑把というか投げ遣りというか...。分水嶺に沿いながらも微妙にずれていたり、メコン右岸(西岸)の13キロほどはカンボジアの河岸が国境線(!)だったりします。



[979] ふうみん 2008/01/13 10:43:14   

Shinjiさん、シーパンドーンの画像を堪能しました。

画像を見るとシーパン(4000)ドーン(島)と呼ばれている理由がよく分りますね。ボートで巡って見てデット島には思っていた以上のゲストハウスが乱立し、この辺りは近い将来、大観光地になるような嫌な予感がします。

あと、コーンパペンの滝(写真)とソムパミットの滝は高さがないので、写真で見るより実物は迫力に欠けるかも知れません。私は、これらの滝を見てフランスの侵略に対する「メコンの意地」を感じました。





[980] Nat 2008/01/14 01:35:20   

ふうみんさん、こんばんは。Natです。
さて、先日のお話の続きですが、ブリラム周辺の遺跡を訪ねようと思っています。金曜夜バンコク発の2泊か、土曜日朝バンコク発の1泊の強行軍スケジュールの予定で、パノム・ルンとパノム・ワンは訪れたいと考えています。交通手段は車です。
そこでアドバイスをいただけないでしょうか?

1.ブリラムのお勧めのホテル。
  バスダブなし。シャワーのみ
  でも平気です。(笑)

2.目的地2ケ所周辺の、その他
  お勧めの遺跡は?
  (ピーマイは行きました)

今月20日過ぎの週にバンコクへ行き、来月節分過ぎに帰国予定。
その間、2回ある休みのどちらかで
行きたいと計画しております。

どうぞよろしくお願いします。



[981] ふうみん 2008/01/14 11:04:43   

Natさん、ご参考まで。

1.ブリラムのお勧めのホテル……残念ながら、ブリラムに宿泊した事はありません。宿泊したホテルは、コラートに3ヶ所、スリンに2ヶ所です。各ホテルの詳細はサイトの「イサーンのホテル」を参考にしてください。
昨年の9月に宿泊したベッカセームホテルは、スタンダードで690バーツと安く快適でした。なお、「イサーンのホテル」上では、まだ内容を訂正して有りません。

2.目的地2ケ所周辺の、その他お勧めの遺跡は?……
■まずは、ムアンタムですね。イサーンのクメール遺跡としては、カオプラヴィハーンを別格とすればパノムルン、ピマーイに次ぐ規模と完成美を示す魅力的な遺跡です。
■パノムルンから、ムアンタムに行く途中、クテーレシィーのNo1とNo2があります。いずれもジャヴァルマン7世が102ヶ所に造った施療院(アーロギャーシャーラ)です。
■それから、タームアン遺跡群がオススメです。4、5年前までは行くのが大変だったらしいですが、今では取り付け道路が出来て簡単です。
・タームアン…ジャヴァルマン7世が121ヶ所に造った宿駅(ダルマシャーラー)です。迫り出し構造の屋根が見所です。
・タームアントッチ…ジャヴァルマン7世が102ヶ所に造った施療院(アーロギャーシャーラ)です。タイにある施療院で一番きれいだと思います。
・タームアントム…ここはカンボジア国境の分水嶺上に位置します。人によってはカンボジア領だと言います。私が最初行った時は銃を持った国境警備兵がいましたが、今はいません。この遺跡は、アンコールからピマーイに続く「王道」上に位置します。はるか昔を偲びロマンを感じる場所です。
■スリンに入りますが、バーンプルアンのレリーフはタイのクメール遺跡の中で特にすぐれています。
■少し離れますが、プミポンはタイで一番古い7世紀に造られたクメール遺跡です。
■車でバンコクからの通り道の2号線のスーンヌーンの町に3ヶ所のクメール遺跡があります。ついでに寄られたらいいでしょう。

詳しくはサイトの「イサーンのクメール遺跡」を参考にしてください。
時間があればTATに寄ってイサーンの地図をもらって下さい。かなりいい加減な地図ですが、少しは役に立ちます。





[982] Nat 2008/01/14 12:39:40   

ふうみんさん、早速のご返事ありがとうございました。参考にさせていただきます。
お勧めのムアンタムはもちろん、タームアン遺跡群へも足を伸ばせたらと思います。
問題は1泊か2泊か?そしてどこに泊まるか?ですけど。。。
ところでTATって何でしょうか?まだ貴ホームページを全て確認していませんので・・勉強不足でスミマセン。



[983] ふうみん 2008/01/14 15:38:39   

TATとはタイ国政府観光庁(Tourism Authority of Thailand)の事で、支店がコラートのシマターニホテルの隣にあります。でもよく考えたら、土日は休みだと思います。

タイの大きな都市には支店がありますから、寄って資料や地図を貰うといいです。また、相談にも乗ってくれます。

日本の有楽町にも支店がありますが、土日は休みです。ちなみに、ここにはイサーンの地図はありませんでした。

タイのサイト http://www.tourismthailand.org/
日本のサイト http://www.thailandtravel.or.jp/



[984] カオヤイ  2008/01/14 15:52:39   

ふうみんさん
こんにちは、
カオヤイ国立公園、是非行ってみてください。
TATのお話しですが、
コラートのTAT,土日もやっております。
バンコクでは、ASOKから、ニューペブリの交差点を左に曲がって、
しばらく行った左側にあります。
ここも、土日もやっております。



[985] Nat 2008/01/14 20:49:22   

ふうみんさん、カオヤイさん、TATの情報をありがとうございました。
シマタニーには泊まりましたが気づきませんでした。ペブリも含め、訪ねてみようと思います。
3年前、カオヤイのナイトサファリを経験しましたが面白かったです。
鹿しか見れませんでしたが・・・。



[986] ふうみん 2008/01/14 23:00:33   

どうもすいません。

タイのTATは土日でも開いているのですか!
私は日本の有楽町のTATと同じく、土日は休みだと思い込んでいました。
正確な情報ありがとうございました。



[987] カオヤイ 2008/01/15 16:02:03   

ふうみんさん
どういたしまして。
Natさん
ホテルは、ブリラムよりスリンの方が、設備的にも良いかな?
ブリラム市内にも、あるいは、
国道24号線沿いにもResortみたいなのが有りますが、、、、



[988] Nat 2008/01/15 18:42:00   

ふうみんさん、カオヤイさん、情報をどうもありがとうございます。
えっ!有楽町にTATがあるのですか!実は明日から東京1泊出張なので、寄り道しようかな?
ホテルは現地で調査してみますね。
蚊取り機を持参で行きます。(笑)
ついでに美味しいイサーン料理屋も開拓してきますね。



[989] ふうみん 2008/01/16 22:03:49   

パノムルン周辺のクメール遺跡を巡る時、近くに適当なホテルが無いのが不便です。コラートやブリーラムやスリンの在る226号線沿いのホテルからですと遺跡まで距離がありますね。その点24号線沿いのホテルが遺跡に近くて便利です。

私は泊まった事がないのですが、便利そうなので以前に泊まろうかな?と思ったホテルが24号線のナンロンの町にあります。このホテルのホームページには近くのクメール遺跡の情報が載っていますので、ご参考までに下記に紹介します。くどいようですが、私は泊まった事はありませんので。

P. California Inter Hostel
http://www.geocities.com/california8gh/index.html



[990] Nat 2008/01/20 20:41:49   

ふうみんさん、情報をありがとうございます。感謝します。
日本での仕事が多忙な為、この休みも仕事。なかなかバンコクに行けれません。今度の週末に決行したいのですが・・・・。1泊の強行スケジュールになるかな??



[991] Shinji 2008/01/21 17:55:48   

平らでだだっ広いというイメージが先行しがちでそれ以上の詳細や全体像が見えにくいイサーンを、ちょっと構造化してみようという試みです↓
http://www.geocities.jp/shinji_th4/isan/index.html

まずイサーンの定義ですが、形式的には「タイ東北部にあるメコン流域」というのが定番になっています。もう少し細分すると、メコンの支流 Mun が形成する部分流域と、さらにその支流の Chi が形成する部分流域を区別して、
1.イサーン北部 - Mekong
2.イサーン中部 - Chi
3.イサーン南部 - Mun
となります。ここでは、Mun を Chi の合流の前後で区分して、計4流域に色分けしてみました。歴史的・文化的な地域理解には道路地図を眺めてもピンと来ないので、川を強調した地図も作ってみました。

Mun も Chi も平地ではかなりの蛇行が見られまして、典型的にはこんな感じです↓
http://www.crisp.nus.edu.sg/monthly_scenes/y2001/Dec01scene.html
私が衛星画像を見ながらコツコツとマウスをクリックして長さを計ったところでは Chi が1000km程度、Mun が800km程度と、思ったよりも長かったです。蛇行部分を無視して大まかな線分で川筋を追うと、それぞれ520km、480km程度になります。巷で流通している数値はまちまちで、例えば Chi=765km/Mun=750km というのがよく引用されますが、要するに目安です。実際のところ毎年洪水で川筋が変わるので、長さもそれに応じて変動します。

川の長さというのは、例えば川に沿ってボートで旅をしようとする時には大きな要因になります。作家の Steve van Beek が手漕ぎボートで2ヶ月かけてチェンダオの数キロ上流地点からバンコクまで旅をしたというのは、まあ、手漕ぎボートにこだわったという事もあるんですが、Mun を安楽に川下りしようとすると、小型エンジン付の軽量ゴムボートを用意して(途中何ヶ所かあるダムを超える時に持ち運ぶ必要がある)、平均時速20キロで航行するとして、4日間あれば可能です。



[992] 山岸正和 2008/01/22 13:18:36   

しばらくです 仕事忙しく今休眠中(イサン旅行)今私の事務所でコラートで仕事しています



[993] ふうみん 2008/01/23 20:37:20   

>Natさん、1泊の強行スケジュールですか?あまり無理しないで遺跡巡りをして下さい。また、いい情報がありましたら教えて下さい。

>Shinjiさん、いかにもShinjiさんらしい発想の地図ですね。この地図を見て私の中のイサーンの区分は、道路を中心としているのを実感しました。この地図のイサーン南部のムーン川流域が、私の一番強く思うイサーンのイメージですね。

>山岸正和さん、コラートでお仕事に没頭ですか!休眠からさめて、イサーンの情報お待ちしています。

>私は、昨年の秋の旅行記を8000枚の写真と格闘し、やっと最後の「カンボジア編」を脱稿しヤレヤレと言う気分です。その反面、何か終ったな!と言う寂しさもあります。



[994] T.I. 2008/01/23 21:57:07   

ふうみんさん、「再びアンコール遺跡群へ」を楽しく読みました。
バイヨンの四面塔は観音菩薩と思ってましたが、デーヴァ、デヴァター、アシュラの新設があるんですね?興味深く読みました。
私は、初めてバイヨンへ行った時、ガイドさんが確か「仏教のジャヤバルマン7世は、観音菩薩を作ったが、その後、ヒンドゥー教のジャヤバルマン8世は、観音菩薩像の額にシヴァの3つ目の目を彫り込んで、シヴァの顔に変えた。」と言ってたのを思い出しました。
但し、それ以降、私はそんなに本は読んでないので正しい事はわかりませんが、そう言う説に出会った事もなく忘れ去ってました。
ふうみんさんの11:49アシュラ(悪魔)?の写真には、額の中央に第3の目?があるように見えます。
その他の写真には目らしきものは無いようですが?

添付は、バイヨンの中の井戸です。真っ暗で井戸なんて見えないところでフラッシュを焚いて撮ったような記憶があります。





[996] ふうみん 2008/01/24 21:28:29   

>T.I.さんが、ガイドさんから聞いた「ジャヤヴァルマン8世が、第3の目を後から彫り込んで、シヴァ神に変えた」と言う説は、多分本当だと思います。今回撮影した、該当する写真をUPします。

さて、今までのバイヨンの尊顔の「説」をまとめると、大きく3つに分かれます。

■仏教の観音菩薩説
■ヒンドゥー教のシヴァ神説
■クメール王権の象徴であるデーヴァラージャ(神王)説

しかし、いずれの説も同時代の、観音菩薩、シヴァ神、神王と比較すると共通点が少なく、色々と問題があるようです。

今まで私も、何の疑いも無く「観音菩薩」だと思っていました。今回の新説も、アンコールから帰った後の12月ごろにNHKで放送されたのを見て初めて知りました。

ですから、バイヨンの「尊顔」をどの方向から写したかは記録してありませんの、写真には「?」を付けました。

「尊顔」の写真から、ジャヤヴァルマン7世の時代に遡り、色々思うのも「クメール遺跡」鑑賞の楽しみの一つですね。





[997] ROM 2008/01/24 23:33:49   

リーズナブルとかおっしゃってますが、カンボジアで払ってる金額、とんでもない額ですね。ツアー料金とか。やめてほしい・・・



[999] ふうみん 2008/01/25 22:34:10   

>ROMさん、カンボジアのツアー料金は、最初のシェムリアップの旅の時はタクシーにぼられましたので、2度目の時は下記のサイトのツアー料金を利用しました。
http://krorma.com/krormayamatotour.html


>newsclip.beに、こんなニュースが出ていました。カオプラヴィハーン遺跡が好きな私にはとても興味のあるニュースです。

カンボジア山上遺跡の世界遺産申請にタイが不快感  2008/1/25

カンボジアがタイ国境に近い山上にあるクメール時代のヒンドゥー遺跡「プレアビヒア」の世界遺産登録を目指していることに対し、タイ陸軍の報道官が24日、「カンボジアは歴史をねつ造し、自国の利益のみ考えている」と批判した。プレアビヒアはタイとカンボジアが領有権を争い、1962年に国際司法裁判所がカンボジア領とする判決を下した。この裁判でタイにしこりが残った上、タイ側からしかアクセスが困難という地理的なねじれもあり、両国間の火種となっている。

この問題についてタイのスラユット首相は25日、プレアビヒアの世界遺産登録にはタイ側の合意が必要という考えを示した。プレアビヒアがタイのものかという記者の質問に対しては、「その問題だけではない」と述べ、領土問題が片付いていないという認識を示唆した。…



[1000] ふうみん 2008/01/27 17:07:47   

投稿数が1000回になりました。
これも皆様方のご協力の賜物と感謝申しあげます。

投稿数が1000回と言っても、「鍵付き」にする前はスパムメールが多く、その数を引くと実質500〜600回位だと思いますが、それにしても個人サイトの掲示板としては、すごい数字だと思います。

先日掲示板で、カオプラヴィハーンの世界遺産申請について「タイが不快感」のニュースを取り上げましが、当サイトのコンテンツの「カオプラヴィハーンへの招待」に昨年の9月の写真を新たに入れて、内容も改訂して今日アップしました。

表紙の写真は家人の「yayo」が撮ったものを使用しました。…私としては、とても気に入っています。





[1001] Shinji 2008/01/31 13:32:21   

イサーンの2回目です。画像を追加しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th4/isan/index.html

イサーンがイサーンである所以は、歴史的に見ると、中央タイ(チャオプラヤ流域)と川でつながっていないために歩いて山越えをしなければならないという点にありました。1900年にバンコク・コラート間が鉄道で結ばれたのは画期的な出来事でしたが、それ以前はというと、象や牛の隊列を組んで山越えにまず一週間かかりました。山中には泊まれるような村は基本的に無かったので、自炊用の米を携帯しての強行軍です。トラは出る、マラリアには罹る、雨が降れば川が増水して渡れない、等々。こういう地理的・物理的な障壁があったために、中央タイとは一線を画したイサーン文化圏が形成されたわけです。

最初に建設されたイサーン入りの道路らしい道路は、ロッブリー(軍事基地)とコラートを結ぶR205(の原型)だったそうで、第二次大戦中の事です。道路の建設年と背景はその時代における社会的な要請を反映しているので歴史の資料として興味深いんですが、残念なことにこのトピックを系統的に取り上げた文献を見たことがありません。1960年頃の地図(L509)を見ると、イサーンとの連絡道路はR205とR2しかありません。1970年頃の地図(S1501)ではR203とR304が追加されています。今ではイサーン入りの道路は20本ほどもあって、選り取り見取りの感があります。それぞれ個性があって雰囲気が違うので、走り比べてみると面白いです。主なイサーン入りルートを並べてみたのが Elevation Chart 4 で、各道路の特徴を良く表しています。

R3462は90年代中頃の建設ですが、少なくとも相当以前から通り抜け禁止になっています。南側は Pang Sida National Park 内の観光道路としてよく整備されていますが、北側は Thap Lan National Park の管理道路として必要最小限のメンテナンスしかされていません。藪と荒野の中を延々と走るダート路で、道幅は狭くて擦れ違いやUターンもままならず、小川を渡る橋は丸木橋に毛が生えた程度で、所々雨で侵食された路面は通行が困難・危険です。はたして国道として機能していた時期があるのかどうか疑わしいです。

R3308は80年代前半の建設で、国境付近を警備する軍用道路をアップグレードしたものです。やはり通り抜けが(原則)禁止されています。R3462と違って全舗装で快適ですが、やはり自然保護の都合でしょうか。山越え区間(Ta Phraya National Park)では既に国道の指定を取り消され、道路地図からも姿を消しつつあります。

R348から東はお馴染み Dangrek 山脈越えなんですが、中央タイからのアクセスに比べると山越えのスケールが小さい事が見て取れます。これは要するに、イサーンとカンボジアの近接性を表しているといえます。してみると、タイがラオスやカンボジアを差し置いてイサーンを取得したというのは、その政治力と軍事力のなせる業だったわけです。


[1002] ふうみん 2008/02/03 09:20:25   

昨年、タイ・ラオス・カンボジアを巡り、イサーンの地勢的な独自性を感じました。スレ「999」のカオプラヴィハーンの国境紛争も、まさにその延長線上にあります。

Shinjiさんのおっしゃる…「タイがラオスやカンボジアを差し置いてイサーンを取得したというのは、その政治力と軍事力のなせる業だったわけです」は、とても含蓄のある言葉ですね。

バンコク・コラート間はR205の方がR2より早く出来たのですか?私はR2が昔からの幹線道路だと思っていました。R205はまだ走った事がありませんので、機会があれば是非走行し、道路建設の時代的背景を偲んで見たいと思います。



[1003] Shinji 2008/02/06 16:45:28   

イサーンの3回目です。画像を追加しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th4/isan/index.html

数年前にメコン沿いに旅行した時に印象に残った風景を二つ取り上げてみました。

1. Don Khone Let
100年前にタイとフランスとの間で
1.メコンに浮かぶ島(メコン増水期に島となるものを含む)は全てラオス領とする
2.メコンの川筋が変わっても国境線は自動的には変わらない(両国の協議と合意を要する)
という不条理条約が締結されたんですが、その当時には Don Khone Let は確かに島だったのでしょう。今では堆積した土砂の上に草木も生えて、タイと陸続きになっています。島地はかなり耕作されていますが、タイ側の農民が農地拡大したものでしょう。他の島での前例からすると、タイの農民がラオスの然るべき役人に耕作料を払っている可能性もあります。陸続きではありますが、道路は繋がっていません。私は島(との境目)を一目見ようとしつこくうろついたのですが、木々と人家に阻まれて確認できませんでした。まるで部外者が容易に近づけないように、さりげなく隠蔽してあるかのようでした。

2. Rock-cut channel
これはどんな精巧な地図を見てもわからないし、実際に現地に行っても実感できないんですが、衛星画像をじっくりと見るとメコンの両岸で地形(隆起のパターン)に連続性が見られます。特に画像の上の方、櫛で梳いたような箇所に著しいです。川に突出している多くの岩場も、この隆起パターンの一部である事がわかります。これが何を意味するか、メコンが出来た後に土地が隆起して現在の地形が造られたと考えざるを得ません。私はこっち方面は詳しくないので的を得た解説はできませんが、4500万年前にインド大陸がユーラシア大陸に衝突してヒマラヤが隆起したというようなレベルの話です。壮大なロマンです。ちなみに、このエリアで観察眼を養ってから Si Phan Don の衛星画像を見ると、やはり両岸と島々の隆起のパターンに連続性を認めることができます。

#2と#12の deep pool というのはメコンが局所的に数十メートルの深い窪みになっている所で、魚の(乾季の)避難所や繁殖所として機能しています。メコンの濁度で数十メートルというと、もう日光の届かない暗黒の世界ではないでしょうか。測定された最深部は90メートルだそうです。これもまたロマンです。

#3でメコンの川幅がギューンと狭まります。どのぐらい狭まるかは季節(水量)によって違いますが、私が見たのは6月で、感覚的には20メートルぐらい、石を投げれば向こう岸に届く感じでした。川幅が狭まった分だけ流速は上がるわけで、ドドドドッと滝のように流れる様は圧巻でした。深さについては岸から見ただけではわからないんですが、相当深いんじゃないでしょうか。

#7、この付近には国立公園の名前を冠する Pha Taem 以外にも Pha(崖)の付く展望所が何箇所かあります。Pha Taem はアクセスの便利さ(公園管理者の誘導)で1番人気ですが、2番目にポピュラーなのがこの Pha Chanadai です。乾季なら4WDで到達可能ですが、汗水流してトレッキングの果てに辿り着くのが本道です。Pha Taem に比べて標高が高く(Mekong:100m, Pha Taem:180m, Pha Chanadai:420m)、位置も10kmほど東寄り、タイのほぼ東端にあるので、元日には初日の出を見ようと数百人の観光客が犇めき合うそうです。

#13の Don Hin Tang ですが、これは私も衛星画像を見るまでは気が付きませんでした。メコンの水位が低い時にはタイと陸続きになります。しかし観光客の多い Kong Chiam でどうやってカモフラージュするんでしょうか。立ち入り禁止の柵でも作るのか。あるいは Phu Chee Fah でのように些細な越境として黙認・放任するのか。


[1004] Nat 2008/02/09 00:18:49   

ふうみんさん、こんばんは。
今朝帰国しました。

結局、今回はブリラム方面へ行くことができませんでした。(涙)

2週間後にまたタイへ出張しますが、
滞在2週間のうちの2回の休みも
日本から来客があり、行けそうもありません。(涙)

3月〜4月頃かな・・・
パノム・ルン。暑いだろうな?


[1005] T.I. 2008/02/09 11:44:45   

こんにちは。
今「アンコール・ワットを読む」(石澤良昭 編)を読んでます。
その中の第14章「バイヨン様式の観世音菩薩像を読む」で、「観音菩薩像の中には、三眼と思われるものを施した彫像もある。」の記述がありました。
そして、観音様(6観音)を調べたところ、不空羂索観音について、「この名前のひとつマヘーシュヴァラはシヴァの有名な異名のひとつです。日本では摩醯首羅天(まけいしゅらてん)として信仰されています。そもそも不空羂索観音の多くの像は額に第三眼を持っており、これはまさにシヴァそのものといえるでしょう。」とありました。
インド起源の宗教である仏教とヒンドゥー教も、広まる中で、お互いに影響しあい、つながりがある部分もあるんですね。きっと。
バイヨンの4面塔も、ジャヤバルマン7世によって、何でも見通せる第3の眼を持つ観音菩薩として最初から作られた可能性もあるかもしれません。
3眼を持つ像と無い像がなぜ混在しているのか、不思議に感じてます。
シヴァの眼として、後から付け足したのなら全て付け足せば良いし、もしも宗教がらみの紛争があったのなら、観音像を壊さなかったのか???

写真は、アンコールトムの南大門の阿修羅です。





[1006] 山岸正和 2008/02/10 16:52:51   

こんにちわ 仕事(工場)建設がピークでなかなか投稿できません 現在
東南アジア紀行 (50年まえの梅棹忠夫)読んでいますが風景としては変わりませんね イサン ラオ ベトナムも バッタンバンは一時タイ領とか
その一帯はタイ語を話すとか また通信開始します 


[1007] ふうみん 2008/02/11 18:00:06   

>Shinjiさん、私もタイのメコン沿いの道を走破しましたが、改めてメコンの画像を眺めて当時の事を思い出し、楽しませて頂いております。Rock-cut channel の写真UPします。


>Natさん、やはり何と言っても仕事優先ですね。クメールの遺跡はなくなりませんから、時間が空いた時にゆっくりと行かれてください。


>T.I.さん、バイヨンの「尊顔」の写真を良く見ると、三眼は後世に掘り込まれたのではなく、最初から彫られているように見えました。不空羂索観音(シヴァ)と言う観音は知りませんでした。勉強しなくては…


>山岸正和さん、お忙しそうですね。昨年、タイ・ラオス・カンボジアを巡り色々と勉強になりました。還暦を迎え、知的好奇心は益々旺盛です。





[1008] Shinji 2008/02/21 17:11:18   

イサーンの4回目です。画像を追加しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th4/isan/index.html

MapMagic Thailand というのはなかなか面白い地図でして、ダムや貯水池のデータが充実しています。地域別に検索してみると、
北部:338個
東北:883個
中央:207個
南部: 27個
という数字が出ました。イサーンにおけるダム・貯水池の数が抜き出ています。内訳としては地元密着型の小規模な貯水池がほとんどで、これは安定した水源に乏しいイサーンにおける有史以前からの生活術を継承しているわけですが、イサーンに20個ほど散在する大型ダムの場合は、ローン会社(世界銀行)と結託した外国のセールスマン(日本、アメリカなど)に入れ知恵されたバンコク政府が地元の迷惑を顧みずに着工の判を押すという図式が見え隠れしていて嫌らしいです。

今回取り上げたのはタイの3大論争ダム、Rasi Salai、Hua Na、Pak Mun です。簡単に紹介しますと、Rasi Salai はメコンから水を引いてきてイサーンを潤そうという壮大な Kong-Chi-Mun Project (42年計画!)の一環ですが、ここに水を貯めると地下の岩塩が溶け出してあたり一帯に塩害をもたらす事が運用開始後に確認され、今やどーしよーもないダムとして槍玉に上がっています。ダムと分類すると環境アセスメントが面倒なので、「ここに小規模な堰(weir)を造る」と、騙まし討ち的に造ったあげくがこれなので、農民の怒り心頭です。Hua Na は Kong-Chi-Mun Project の中枢となるダムなんですが、これ単独では機能しないので、工事完成後も使われずにいます。が、周囲の農民たちは政府の気まぐれでいつ水門が閉じられるかと怯えています。Pak Mun は、建設コストを過小評価(実際には2倍)し、発電量を過大評価(実際には6分の1)して完成したコスト割れダムです。水門を開放して生活環境を取り戻そうとする住民(+NGO)と、少しでも建設費を発電で回収しようとする政府との衝突が国際的に報道されて、今や人権・自然保護運動の象徴的存在です。

まあ、こうして反対運動が盛り上がるというのもタイの民主化の一面なわけで、ちょっと前までは政府はやりたい放題、被害農民は泣き寝入りするしかありませんでした。Pak Mun のちょっと南にある Sirindhorn Dam (68年着工、71年操業、添付図)は、コミュニストが潜んでいそうな地域を一掃して、ついでに Ubon のアメリカ軍基地に送電するために造られたんですが、灌漑面積よりも水没面積が大きいというトンでもないダムです。また、Udon のちょっと西にある Huai Luang Dam (70年着工、79年操業)は、Udon のアメリカ軍基地に給水するために造られたんですが、立ち退きを渋った農民を政府はコミュニストであると宣言し、襲撃をかけたり地雷を仕掛けたりして200人の農民が殺されたそうです。あまりにもこういう事例が多いので、私は「ダムを見たら疑ってかかる」という習慣がついてしまいました。

--
参考: シリントンダム
http://www.mekongwatch.org/env/thailand/sirinthorn/index.html





[1009] ふうみん 2008/02/28 22:32:48   

Shinjiさん、このところ多忙のために、書き込みできませんでした。申し訳ありません。MapMagic に、こんな使い方があるなんて、気がつきませんでした。

タイを走っていて、確かにイサーンにダムや貯水池が多いな?とは、思っていました。走っている途中でダムに遭遇しても、灌漑のために建設したんだろうな?位の認識しかありませんでした。汗顔の至りです。あの、大きなSirindhorn Damが米軍への送電やコミュニスト掃討のためとは!

Sirindhorn Damの横を通った時、次回はここの水上レストランでビールを飲みながら旨い魚でも食べよう(写真UP)…なんて、思っていたのが恥ずかしい次第です。





[1010] Shinji 2008/03/11 21:17:01   

イサーンの5回目です。画像を追加しました(ページ中頃、History の項)↓
http://www.geocities.jp/shinji_th4/isan/index.html

イサーンが開拓されて広大な農作地帯となったのはここ数十年の話で、100年前には見渡す限りの森林地帯だったという話です。


【1840s】
白い部分が耕作エリアです。手付かずの大森林に比べてほんのわずかです。これは要するに人口がまだ少なかったので、積極的に森を開拓する必要が無かったわけです。ちなみに、農作物の出来・不出来によって移転を繰り返すような小集落は森の中に点在していました。

1840sの拡大地図を見ると、当時の人口集中地区として Nong Khai、Sakhon Nakhon、Nakhon Phanom、Ubon、Si Saket...等が目に付きます。これらはイサーンの中でも「由緒ある」地域といえます。

政治史的には1827年に Vientiane の Chao Anu の反乱が Rama III によって鎮圧されて以来、ラオスは事実上タイに吸収され、イサーンは全域にわたってタイの支配下に置かれていました。が、バンコクから直接支配をするだけのインフラが整っていなかったので、各地の有力者に統治を委ねる間接支配(huamuang)が行われていました。支配といってもその程度はゆるやかで、農民(主にラオ系)は自立的・自給自足的な生活をし、社会構造は比較的平等でした。


【1950s】
アッという間に100年後です。この100年間の主な出来事としては、
1.フランスにラオスを持っていかれて、国境(イサーンの境界)が画定した。
2.バンコクから送られた役人がイサーンを直接支配するようになり、地元の利益よりもバンコクの利益が優先されるようになった。
3.鉄道や道路(物流インフラ)が整備され、バンコクによる徴税と中華系商人による中間搾取が本格化。
4.タイ(バンコク)語による学校教育、タイ(バンコク)式仏教の布教、国王の宣伝などを通じて、イサーンを文化的に同化しようとした。

この頃から政府の主導で農村開発・農地拡大ブームが始まりました。といっても長期的な展望があったわけではなく、乱開発時代の幕開けといえます。農民に開発意欲を持たせるためには、阻害要因となっていた宗教感の変革を必要としました。
1.物欲を持たず、現状に満足する → 勤労は美徳、収入アップでハッピーに
2.森(に住む精霊)に対する畏敬の念 → (精霊を否定する)タマユット派の布教
役人は既に敵対視されていて何を言っても説得力が無かったので、サンガに要請して僧(いわゆる開発僧)を動員しました。

また、世界の趨勢にならって「緑の革命」(高収穫品種、モノカルチャー、農薬、化学肥料、機械化)がタイでも導入されましたが、狡猾な税体系のために増収分はほとんど政府や中華系商人に持っていかれ、農民に残ったのは借金と疲弊した土地だけでした。「百姓は生かさず殺さず」という言葉がタイでも使われました。森林の消失は自給自足的な生活様態を困難にし、資本主義経済が農村を呑み込んでいきました。多くの農民が借金のために土地を手放し、低賃金労働者として都市に流出していきました。「タイでは生活できないからラオスへ逃げようか」という冗談のような話がイサーンの農民の間で交わされました。


【1980】
「持続可能な開発」という観点からするとイサーンの森林開拓は既に限界に達していて、森林局などは開拓にストップをかけるように提言し始めたんですが、軍はさらに森林開拓を推し進めました。「コミュニストの隠れ場所を根絶やしにする」というのが表向きの理由ですが、高騰しはじめていた木材の入手という実益もありました。「開拓した土地は開拓者が取得してよろしい」という軍の口約束を信じた多くの農民が、残り少ない森林を切り開いていきました。開拓はしばしば森林局の定める森林保護区域(National Forest Reserve)内にまで及んだのですが、この保護区域というのが曲者で、森林局は一方的に指定して地図に記すだけでろくに管理や周知もせず、保護区域内の農民に耕作権を認めるという事も行われていたので、「開拓して税金を払っていれば土地は自分のものになる」と農民が思ったのも無理はありません。

80年代後半には「コミュニストの脅威」もほぼ消滅し、森林保護派の政治的発言力が増してきました。R1117(ウンパンへの山越えルート)の工事は1987年に中止され、Nam Choan Dam (Sri Nakharin Dam の上流)は棚上げされました。過度の森林伐採の付けが各地で水害(洪水、鉄砲水、土砂崩れ)という形で表面化しました。1988年11月、南タイの土砂崩れで350人(公称)が犠牲となり、翌年政府は森林伐採を全面禁止、開拓の時代は終わりを告げました。


【1990】
森林とそこに生息する動植物の希少価値が高まり、政府は国立公園や自然保護区などの制度を拡大・厳正化して森林の保護にあたりました。もうすこし正確には、森林を独占する事によって生じる利益の保護ということになります。森林局のパトロールでは「密猟者」との衝突が頻繁に起こり、陸軍管轄のレインジャー部隊がパトロールを補佐するようになりました。

森林保護区域内に居住するとされた農民に対しては、代替地(荒地)を用意して強制移住させ、跡地を植林(アグロビジネスにリース)するという構想が森林局と軍の間で合意されました。80年代には農民に森の開拓を奨励していた軍が一転してその開拓地から農民を強制排除するというというのは滑稽な構図ですが、軍にとっては80年代の混沌と出任せを清算して、新しい時代の森林ビジネスに食い込むチャンスだったわけです。強制移住対象人数が600万人(北タイの山岳民族を含む)というこの超大型プロジェクト(名付けて Kho Jo Ko)は、91年のクーデタで軍事政権が樹立すると実行に移されました。住民の反対を圧しやすいイサーンから着手されたんですが、その様子は涙なくしては語れないものがあります。英語が読めれば
http://www.ilo.org/public/english/bureau/inst/download/r107.pdf
の第三章に詳しく書いてあります。Kho Jo Ko は、農民が必死に抵抗したのと、軍事政権が倒された事もあって92年に破棄されました。
が、同時期にイサーンで反対されていた Rasi Salai、Hua Na、Pak Mun のダム工事は強行されました。


以上、森をテーマにしてイサーンの歴史を振り返ってみました。まとめますと、
1.イサーンの歴史はバンコク政府による植民地化の歴史だった(internal colonialism)
2.過去100年にわたる人的・物的リソースの搾取がバンコクの発展を支え、イサーンの貧困を招いた
という事になります。

ちなみに国立公園における法外な外国人料金は、タイ人料金vs外国人料金という構図にカモフラージュされていてその本質が見えにくいんですが、これもやはり(バンコク)政府による(地方の)森の私物化の意識の表れであるといえます。


[1011] ふうみん 2008/03/23 14:18:29   

この所、ラオス南部のチャンパサック地方にあるクメール族揺籃の地「ワットプー」について調べていました。

クメール族の真臘は5〜6世紀にメコンとムーン川を結ぶイサーンの南半分に、複数のネットワークを持ち、それらが結ばれていました。そして、カンボジアに南下してクメール「真臘」を建国しました。

イサーン地方の歴史を少し調べるだけで、イサーンは独立した地域・風土である事がわかります。まして、近世に置いてShinjiさんのおっしゃる…
・イサーンは100年前には見渡す限りの森林地帯だった。
・イサーンの歴史はバンコク政府による植民地化の歴史だった。
等、色々と考えさせられました。


[1012] T.I. 2008/03/24 21:21:34   

こんにちは。
19世紀に西洋へアンコールワットを紹介したアンリ・ムオのインドシナ王国遍歴記にはまってました。
読む前は、「うっそうとした密林の中から突然目の前に現れたアンコールワット、その驚き・・・」と言うイメージが強かったけど、読んだ後は、アンコールワットだけなく、タイ、ガンボジア、ラオスと言った広い地域の探検旅行記でした。
特に最後のノパブリー(ロッブリー?)からドン・プラヤ・ファイ(冷王が森)、チャイヤプーム、プーキエオ、ルーイ、ルアン・プラバーンの行程は、数人の従者とだけで未開のジャングルの中を抜けて行く内容で、ムオと言う人は、並外れた体力、精神力を持っていた人と感じました。
そんな人でも、ラオスで突然、旅行記が終わってしまいます。
しかし、約150年前のイサーンは、ジャングルで、野生の虎、豹、象等、たくさん居たのですね。そして犀までいた。
とっても興味深く、おもしろい本でした。
でも、知った土地の名前もたまに出てきたりしますが、船で遡上し、チャイヤプームへ到着?結局、どういうルートだったのか?ルートだけは、今一理解できませんでした。

写真は、Khon KaenのKu Kaeoです。





[1013] Shinji 2008/03/28 19:04:51   

アンリ・ムオの行程図に色をつけてみました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th4/mouhot/index.html

赤線が行程ルート、黄線が(現在の)国境とイサーンの境界、青線がメコンと Hueng です。19世紀後半に多くの西洋人探検隊が訪れる前の先駆的な探検なので、イサーンの河川網に誤認が見られるのは愛嬌です。

博物学者のムオはフランス人でしたが、フランスでは調査旅行のスポンサーが見つからず、結局イギリスの地理学会の援助を受けて1858年4月にロンドンを出航しました。同年9月にバンコクに到着し、以後ここをベースとして意欲的な調査旅行を繰り返しましたが、1861年11月にルアンプラバーン近郊でマラリアに倒れました(享年35才)。

その後、彼の残した日誌や記録を元にして、フランス語版(1863年)と英語版(1864年)の旅行記が出版されました。フランス語版は原文の強みはありますが、内容はかなり端折ってあります。英語版はムオのスポンサーだったイギリス地理学会が独自に編集して出版したもので、こちらの方が記述が詳細です。ちなみに日本語版(1942年)はフランス語版に沿っているようです。

行程を見ると、M.Leuye (=Loei)から北西に向かい、Kenne Thao (=Kaen Thao)付近で Mm.Ouan (=Hueng) を渡っています。これは例のタイ・ラオス第二友好橋の近くです。おそらくこのルートは歴史的な交易路だったのでしょう。1965年の地図(添付画像)ではR204と記され(ラオス側はR1)、ルーイから西南に伸びるR203と同格な戦略道路だった事が伺えます。まだルアンプラバーンに国王が住んでいた時代です。その後、アメリカの撤退とラオスの共産化という流れの中でR204はR2115に格下げされ、しばらくは細々とした地元の交易と密輸ルートとしての役割を担っていました。

あの橋が開通して国境ゲートがオープンした事で再びこのルートが脚光を浴びそうな気配ですが、辺鄙でエキゾチックだった Hueng 沿いの情景が失われるというのは、個人的には残念な思いです。





[1014] ふうみん 2008/03/28 21:31:57   

>T.I.さん、アンリ・ムオの「インドシナ王国遍歴記」は読んだ事がありませんが、以前「アンコール・ワット―密林に消えた文明を求めて(創元社)」を読んでいた時に、アンリ・ムオのデッサンに犀が描かれており(写真)約150年前のインドシナに犀が居たんだな!と強い印象を残した事を思い出しました。

>Shinji さんのアンリ・ムオの行程図を見ますと、昨年偶然に行った、シェムリアップや辺鄙な場所のタイ・ラオス第二友好橋、そしてルアンプラバーン。

ルアンプラバーンでは時間がありましたので、この事を知っていればメコン支流のナムカーン川沿いにあるといわれるアンリ・ムオの墓を探して見たかったと思います。

…この地図を見ていると、そろそろ「タイ走行」の虫が体の中で蠢き出しました。





[1020] T.I. 2008/03/29 02:12:31   

Shinjiさん、アンリムオの行程図ありがとうございました。
また、ふうみんさん、犀のスケッチ図ありがとうございます。
でも、アンリムオが船で遡上し、チャイヤプームの近く、どの当たりまで行けたのだろうか?
本の中では、カオ・コク(コク山?)、サク山、ボアティウムと言う地名が出てきますが、まだ船に乗っていた。私はこれらの地名を知りませんが、その後、チャイヤプームへ到着とあります。(コラートを経由して無い?) 
そしてバンコクへ一度帰り、今度は、コラートから、パノムワンを見物したりした後、チャイヤプーム、そしてルアン・プラバーンへ行ったようです。
この本の中で熱病の巣窟のようなドン・プラヤ・ファイ(冷王が森)の話が出てきましたが、Shinjiさんの地図に、Dong Phya Phiaとありますが、これの事ですかね?

アンリムオの最後は、従者が遺言を求めても、そんな事を心配しているのかと、最後まで死期を認めようとしなかったエピソードがあるようです。博学者ですが、本当の探検家だったんだと思いました。

写真はPhasak Chonlasit Damの中を走るひまわりツアーの列車です。





[1021] Shinji 2008/04/01 14:30:59   

本文の地名に原文の表記と現在の表記を対応させますと、
1.ノパブリー = Nophabury = Lopburi
2.カオ・コク = Khao Khoc = Khao Khok
3.サク山 = mont Sake = ?
4.ボアティウム = Boatioume = (Ban) Bua Chum
となります。#2は鉄道駅の名前にもなっています。#4は Chai Badan の上流9kmほどの位置にあります。

ムオがどの程度 Pasak 川を遡ったのかはわかりません。「ボアティウムの付近にはトラが多い」という記述がありますが、文脈からすると Bua Chum にも Chai Badan にも到達しなかったように思えます。

例の本では話が飛んでいますが、ムオは Khao Khok の麓の村に何ヶ月か滞在して付近を調査した後、当時のメインルートで山越えをしてコラートに行き(1861/01/23着)、そこからチャイヤプームに行きました(1861/02/28着)。チャイヤプームの知事にフランスのパスポートとバンコクの大臣の紹介状と「コラートの知事の紹介状」を見せたが支援を断られた、という一節があります。

バンコクに一旦戻った後の旅程は次のとおりです。
04/12発 Bangkok
05/16着 Loei
06/24着 Pak Lay
07/25着 Luang Prabang





[1024] T.I. 2008/04/01 23:51:33   

こんにちは。
カオ・コク、ボアティムと地図と対比しながら見ると、頭の中がモヤモヤとしていたのが、少しすっきりしました。
カオ・コクは、駅名にもなっていると言う事は、Phasak Chonlasit Damへ鉄道で行った時、きっと通過した事があるんでしょうね。
全く覚えてませんでしたが。
情報ありがとうございました。

写真は、Pha Taemからメコン川、ラオス方面を見た写真(2003年4月撮影)です。





[1025] ふうみん 2008/04/12 08:42:25   

姫路まで、家人の「yayo」と初孫に会いに行きました。

最初新幹線で行く予定でしたが、第二名神が一部開通(2/23)した事を知り、急遽車で出かけました。豊田ジャンクションから草津ジャンクションまでの間の第二名神を快適に走行しました。この間は従来の名神を通るより30分も時間短縮が出来ます。

第二名神を通った「yayo」の印象は、タイの道路みたいに快適だったとの事。何か少し変な感じですね。(写真は土山SAの第二名神です)

姫路では孫に会い、桜が満開の姫路城を見、旨い魚を食べて満足でした。





[1026] 山岸正和   2008/04/16 20:18:09   

一昨日 チャイフン コンケンのドライブから帰りました タイ全土がソンクラン(タイの正月です)特にイサン
は 各町で3日連続でロクトン(イサン ラオ)リズムに酔います みなBangkokから里帰りで 皆さんののどかな道路は車の渋滞です  次回祭りの風景送ります

[1032] 山岸正和   2008/04/16 20:24:53   

一昨日イサンから帰りました
チャイヤフン コンケンのドライブでした 今タイはソンクラン(タイの正月)で特にイサン地方はロクトンのリズムに酔いしれます
ロクトン(イサン ラオの音楽)私にとっては イサン好きの理由です

[1033] ふうみん 2008/04/17 22:20:45   

山岸正和さんの文の間から、ソンクラの特にイサーンの楽しい熱気が伝わって来ますね。私は残念ながらソンクラを経験した事がありません。下記のニュースを読むと行くのを少し躊躇してしまいますね。

Newsclip によると…
4月11日から16日の水かけ祭り(タイ正月、ソンクラン)期間中に発生した交通事故はタイ内務省の集計で3955回、死者324人、負傷4484人だった。
…そうです。

先週行った、満開の桜の姫路城をUPします。





[1034] 山岸正和  2008/04/18 13:10:13   

来月はバンファイ(ロケット祭り)
がイサンで始まります 雨乞いのため
ロッケットを各村で打ち上げるです
有名なのはヤソトンが ですが イサン全土であります カオヤイから北は灌漑がないため (米は一度しかできません) 雨季の雨にたよるしかないのです 入り梅雨 (カオパンサ−)までのひと月です 私はこの時期がタイでは一番好きです


[1035] SEBO   2008/04/27 03:02:35   

タイ各地の情報楽しく読んでいます。タイ在住が長く此処で見るもの聞くもの全てが新鮮でなくなっている自分に気付かされているしだいです。
ルイからチェンカーンに行く途中の道を右折して30分位の田舎で2年生活していた事もあり知られざるイサーンをゆくというタイトルを見ると違和感を感じてしまうのは自分がタイ人化しつつあるのかなと思ったりしています。旅行者にとって現地のホテル代や食事代等の情報は非常に参考になると思います。ふうみんさんはご存知と思いますがリーズナブルと言うのは日本人旅行者としての感覚ですのでこの旅行記を読んだ方は勘違いしないでください。
一般のタイ人労働者は日当200バーツ(約600円位)程度です。チップで50バーツ、100バーツを渡すと言う事はとんでもない額を上げていると言う事です。
それからタイで交通違反の取り締まりで捕まったら外国人なら通常200バーツ(タイ人なら50〜100バーツ)を渡せば見逃がしてくれます。ふうみんさんはお金も渡さずに済んだと言う事ですので非常にラッキーだったと思います。正式には免許証を没収され所轄の警察署で罰金(400バーツ位)を支払い免許証を返還してもらいます。


[1038] ふうみん 2008/04/29 21:51:06   

>山岸正和さん、5月はバンファイ(ロケット祭り)の季節ですか?
私はヤソトーンに6月に行きましたがバンファイはやっていませんでした。少し遅かったようですね。一度見て見たいと思います。雨季のイサーンは大地の緑と晴れ間の青空が好きです。

>SEBOさん、はじめまして、よろしくお願いします。ルーイからチェンカーンの間にお住みだったのですか?ずいぶん辺鄙な(失礼)場所ですね。私はあの辺りは好きな所です。
私の旅行記については、私の感じた事や思った事を書いていますので、主観的な物の見方になっています。先日も、カンボジアの旅行記についてクレームの書き込みがありましたが、私の主観と言う事でご寛容のほど。
私の友人でタイ在住の「よこはま」さんも、昔日本からタイに旅行で来た時は良いホテルばかり泊まっていましたが、今は500バーツ以下ぐらいのタイ人御用達のホテルを利用しています。その感覚は大事にしたいですね。





[1039] 山岸正和   2008/05/05 13:52:15   

Chaiyahun  プ-カド の風景です





[1040] 山岸正和   2008/05/05 16:20:50   

Sonkran のパレ−ドのひとこまで





[1041] 山岸正和   2008/05/07 11:39:44   

バンファイ(ロケット祭り)9 10日にヤソトン入りの予定です (どうも私の投稿はアカデミックではなく申し訳ありません) ふうさんのいう雨季のイサンの晴れ間はすばらしいくわたしも一番好きな時期です


[1042] ふうみん 2008/05/07 21:49:35   

山岸さん、写真ありがとうございます。Sonkranの情景楽しそうですね。ヤソトーンのバンファイの写真、楽しみにしています。

私はゴールデンウイークに信州に行ってきました。写真は上田の蕎麦店刀屋の大盛りです。





[1043] 山岸正和   2008/05/14 16:46:26   

申し訳ありません 仕事ぶつかっていくことができません カオパンサ-のウボンノロウソクまつリまでにほかのまちでもあるので 試みます


[1044] ふうみん 2008/05/17 22:49:45   

ヤソトーンのバンファイは残念でした。

ウボンのロウソク祭り、楽しみにしています。


[1045] カオヤイ 2008/05/21 10:32:57   

ふうみんさん、ご無沙汰してます。
表紙の写真、良いですね。
こういった笑顔大好きですが。
中々撮らせてもらえるのが難しいですね。


[1046] ふうみん 2008/05/21 22:15:21   

お久し振りです。
写真のブログをお持ちのカオヤイさんから、写真をほめられて、とてもうれしく思います。

私の様に、ただの通りすがりの旅人には、なかなか良い人物の写真は撮れません。特に、カンボジアなどは売り子の品物を買わないと先ず無理ですからネ。ですから、この写真は自分でも気に入っています。

それにしても、タイの女の子の笑顔は本当に素敵ですね。





[1047] ふうみん 2008/05/21 22:33:14   

去る4月の下旬に当サイトが、タイの有名アダルトサイトの「外道の細道」http://hage.momo-club.com/news/link.htmにリンクされ、
トップページで数日間サイトの紹介を戴きました。その間のアクセス数は通常の5〜6倍にも及び、その影響力にビックリしました。外道さんのリンクの紹介文が面白いので下記に載せます。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

やっぱりいるんですねこういう人。

オレのようにあまりに長期間タイに住んでしまったために、どこかタイのことを『地元』と感じてしまっている奴が自国を知りたくて細々したマイナー旅を趣味にするというならまだわかるが、この人は単なる海外旅行でレンタカーを借りてタイ国内をくまなくドライブ旅行をしている。極めてオタクな旅行記と言えるだろう。

皆が海外旅行をするとき何か不満を感じることはありませんか?たいていの場合は公共交通機関、列車・バスなどを使って行動するため、道すがら『あれはなんだ?』と言った施設や店を見つけても途中下車というわけにはいかない。国内と違って『今度寄ってみよう』と言うわけにもいかないのだ。ある意味行動は限定される。大抵はその国の与えられた断片を見ているに過ぎない。これが旅行者の勘違いというかズレた理解をうむ。出来うる限りその国の真実を見るにはこうした自由行動(自由旅行ではない。アレは単なる勘違いの巣窟だ)が一つの解決策ではないかと思うが、実際に行動する人は少ない。

HPのタイトルこそ『イサーン走行2000キロプラス』だがイサーンだけでなく、ほぼタイ全土をくまなく廻っている。貴重な記録であり、価値のあるサイトだと思う。興味のある人は覗いてみてくれ。タニヤのエーンちゃんはルーイ県出身だといっていたな。どんな所なんだろう?みたいな邪な疑問にもきっと答えが見つかると思う。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

自由行動と自由旅行の薀蓄、なかなか面白いですね。それにしても、そんなに私は、「極めてオタク」なのかナ〜ア?


[1048] 山岸正和   2008/05/22 13:40:09   

私は長く 東南アジアで インドネシア フィリッピン ベトナムで無仕事していましたが ふうみんさんさんのような旅行記はほかの地域では見当たりません わたしには 無二のブロクです またほんとうのタイの姿を表現していると思います カメンにしても
ラオにしても ほかのタイのブロクはうわべだけです ここにタイ住んでいる方よりもイサ−んをよく知っています 


[1049] 山岸正和  2008/05/22 14:00:39   

タイ カンボジャ ラオ 三国については 極めて民族的 地域的 言語学的に隣接しているのを旅行記を通じて
表現されていますよね わたしなんかは 仕事で触れています Bankokで働く建設現場の労働者は9割かた イサンですし Patayaのサ-ビス業の10割はイサン人です カメン(イサン南)
ラオ(イサン北)タイ経済はイサンが支えているのです 


[1050] ふうみん 2008/05/24 09:30:58   

>山岸正和さん、過分なお言葉ありがとうございます。

私のサイトの「タイ大周遊―はじめに」に、
………どうしても「線」の部分がレンタカーによる「自由な旅」のまさに「醍醐味」であると思う。そうすると「線」の部分を追及すると、普通の旅人が行けない僻地や辺境や国境沿いの道になってしまうのは避けられない傾向だし、危険度も増す。その落とし所が、レンタカーによる旅の走行計画を立てる上での難しいところだ。しかし、それがまた面白いところだ。
………と書きました。そして、下記の外道さんのサイトの紹介文や山岸さんのお言葉。
改めて自信を持って、これからも「ふうみん」流の旅を続けて行きたいと思います。


>この文を書いている途中、アマゾンから本が届きました。ロンリープラネット(日本語版)の第2版で、2008年5月16日の発行の最新版です。原書は12版―2007年8月の発行になります。ロンリープラネット日本語版の第1版は2003年ですから5年ぶりの改訂です。この事は、英語の苦手な「ふうみん」にはうれしい事です。

また、先日、3年振りに地球の歩き方を買いました。持っていた歩き方、ロンプラは今迄の旅で表紙はボロボロです。この、2冊の最新の本を小脇に抱え、来月またタイ走行の旅に出かける予定です。





[1051] ちこ 2008/05/28 20:48:03   

ふうみんさん、はじめまして。クメールの遺跡に興味があるいち学生です。
ふうみんさんのホームページ、興味深く読ませていただいております。私もふうみんさんのように自由に旅ができる日が来たらいいな、、、と夢見ています。
ふうみんさんの旅行記、これからも、楽しみにしています!!

先日ブリラムの遺跡に「荒らし」が入ったという話をタイの知人から伺いましたが何かご存じでしょうか?
今年の夏にスリン、ブリラムに行こう!と意気込んでいただけに…ショックです。


[1052] ふうみん 2008/05/29 19:20:08   

>ちこさん、はじめまして、よろしくお願いします。まだ、お若いですね。これから、積極的に自由な旅を是非して下さい。

それから、ブリラムの遺跡に「荒らし」の件ですが、何も聞いていません。本当なら、とても残念なことです。イサーンのクメール遺跡に行かれると強く感じますが、有名な遺跡以外は、ほとんどが放置されたままです。何か盗もうと思えば簡単な状況下にありますね。


[1053] 山岸正和   2008/05/29 20:06:23   

ちこさん ブリラムのワットパノムの遺跡のことですが 確かに山頂にあってすばらしいところです 私は2度いきましたがね スリン ブリラム行くとのことですが ここは 従前はカンボジャの影響を受けた地域ですのでタイとは少し違います スリンは カメン遺跡はシ-カラコム (スリンの隣駅です)


[1054] ちこ 2008/05/30 04:34:48   

>ふうみんさん、山岸正和さん、早々とレスを下さってどうもありがとうございました!
まだ夏まで時間があるのでじっくり計画を練って良い旅にしようと思います。
今のところブリラム、スリンを回ってカンボジアにも数日行けたらいいな、と思い描いています。

ふうみんさんのように楽しく旅ができたらいいな、と思っています。

「荒らし」のことはタイの現地テレビニュースで取り上げられていたらしく、盗難ではなく新興宗教かなにかが遺跡を壊した、というのを聞きました。詳しくはわかりません。
もし山岸さんのおっしゃる素晴らしい遺跡が壊されているとしたら・・・とても悲しいです。


[1055] 山岸正和   2008/05/30 11:34:33   

ちこさんへ 破壊を心配されてますが
入り口のナガ像の一部がいたずらされたと聞いてます スリンはタイ領ですので タイのアランヤプラテ−トからカンボジャに向かいます 


[1056] ふうみん 2008/05/31 09:31:40   

今からタイに行ってきます。

今回は東海岸を中心に走ってきます。

6月8日に帰国します。


[1057] ちこ 2008/05/31 20:53:01   

>山岸正和さん
度々の情報、どうもありがとうございました!とりあえずひと安心致しました。
教えて頂いたアランヤプラテートからのルート、検討してみます!

ふうみんさん、どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ。素敵なご旅行になりますように!


[1058] 山岸正和   2008/06/01 13:17:51   

ふうみんさん いまどちらですか
現在 わたしは Pattaya Rayon 方面にいます 今 ドリアンの季節です
特に東海岸沿いRayon Chantaburiはメッカです


[1059] ふうみん 2008/06/08 15:59:48   

パタヤ、ラヨーン、チャンタブリー、チャーン島、ハートレーク、トラート、カンボジア国境、R3259、プラチンブリー、ナコンナヨーク、バンコクとまわり、先程無事に帰国しました。

今回はチャーン島での休養が目的の一つであり、走行距離も1586キロといつもより少なめでした。しかし、思いがけなくクメール遺跡を見学出来たり、おいしいフルーツとシーフードを堪能して来ました。

近い内に旅行記をUPする予定です。とりあえずチャーン島の夕暮れの写真を載せます。





[1060] T.I. 2008/06/18 21:02:19   

こんにちは。
先週、6/9から12で短期ですが、久々にタイに行ってきました。
滞在中は、ホテルと会社の行き帰りだけの毎日でした。
ただ、以前、成田発の飛行機から、カオプラヴィハーンが見えると言う書き込みを思い出し、私は広島発でしたが、機外を見ながら過ごしました。
Hoi-An上空からUbon-Rachatani上空を経由して飛んだのだと思いますが、少し雲が多かったのと、距離があった為か、カオプラヴィハーンは、結局、見えませんでした。
写真は、ラオス上空から見た景色です。翼の下に2つの高原状の地形です。後で地図を見ながら奥の方は、Bolovens高原ではないか?と思います。
また飛行コースを地図でたどって見ると、もしかしたら、チャンパのMySonの遺跡が見えてたかもしれないなと思いました。
今度、機会があれば、上空から見てみたいと思います。
(木々に埋もれて見えるような状況ではないかもしれませんが。)





[1061] ふうみん 2008/06/19 21:59:56   

お久し振りです。タイへの旅、随分と強行軍でしたね。

写真の川の形状から見ると、どうもメコンでは無いようですね。セードン川ですとボーラウェン高原で、セーセート川だとアタップー辺りではないかと思います。…この件について全く自信はありません!

今回の旅のテーマの一つにトラートやチャンタブリーに「クメールの遺跡は有るのか?」という事を調べたかった事がありました。イサーンやサケオにあんなにクメール遺跡が有るのに、何故カンボジアに近いトラートやチャンタブリーには無いのか?という疑問でした。

チャンタブリーのWAT THONG TUA の宝物殿にクメールの遺物があり、近くのPANIAD HISTORICAL.TOWN に千年以上前のクメールの遺跡があり、とても感激しました。WAT THONG TUA のまぐさ石の写真をUPします。





[1062] T.I. 2008/06/19 23:50:01   

こんにちは。
確かに写真の川はメコン川ではありません。
東からラオスを横切る時、この高原状の台地が際立って目につきます。
この崖は、カオプラヴィハーンの崖のイメージにも似ているように思います。

実は、ふうみんさんの今回の旅行でクメール遺跡に出会われた事が気になってました。
Preliminary List of Khmer Ruinの中に、Chantaburiの遺跡の記載があり、もしかしたら?とも思ってました。Wat Thong TuaとPaniad等、旅行記を楽しみにしてます。

写真は、チャーン島の砂浜で見たウンチのようなウンチでない、砂の中から押し出されてできたような、なんとも不思議な造形です。こんなのがたくさんありました。別の砂浜で蟹が穴を掘っているのは見た事がありますが、こんな物がいったいどうやったらできるのか不思議に思ってます。
(チャーン島でなくても、どこにもあるものかもしれませんが。)





[1063] 想い出がいっぱい 2008/06/21 12:30:35   

こんにちは。旅行記リンク集「想い出がっぱい」です。
2003年6月21日に公開を開始して、きょうで丸5年を迎えました。
忙しくてなかなか更新も進まない時期もありましたが、なんとかここまでやってきました。
今のところ、当面は続けていく予定なので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
(たくさんの人にご挨拶を申し上げたく、掲示板へのコピペとなることはご容赦ください)


[1064] 山岸正和   2008/06/21 17:55:37   

カオプラヴィハ-ンの世界遺産指定が
タイとカンボジャでもめているようで
悲しいですね 確かにラオ側 カンボジャ側からアクセスがなく タイ側からしか今のとこ行く道がない様で カンボジャ国境警備もタイ領を通過していくことになる (フランス統治の遺産なのでしょうか) 


[1065] ふうみん 2008/06/22 10:37:01   

>T.I.さん、昨日銀座で友人と今回の旅の帰朝報告を兼ねて一杯やっていました。その時、早く今回の旅行記を完成させろ!といわれました。…人を都心まで呼び出しておいて、早く完成しろとは全く理にかなわないのですが、今月内に完成させるべく頑張ります。

>想い出がいっぱいさん、貴サイトは旅行記のリンクサイトでは、日本で有数の規模に発展したと思います。当サイトのアクセスUPにも貢献いただいております。これからもよろしくお願いします。

>山岸正和さん、この件についてのニュースが流れるたびにサイト内の「カオプラヴィハーンへの招待」に書き込んでいます。最新のニュースは下記の通りですが、どこまで同意したのか?良く分かりませんね。また、タクシン前首相の利権がらみ?ですかね。

6月4日にチャーン島に居た時、タイのTVでカオプラヴィハーンのニュースを流していました。内容はもちろんわかりません(写真UPします)

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カンボジアの山上遺跡、タイが世界遺産申請に同意
【newsclip2008/6/18】タイとカンボジアはタイ国境に近いカンボジア領内の山上にあるヒンドゥー遺跡「プレアビヒア (タイ側呼称、カオプラウィハーン)」の世界遺産申請について合意し、18日、共同コミュニケに調印した。カンボジアはタイの同意を受け、来月、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)に世界遺産の登録を申請する。
プレアビヒアはクメール王国が11―12世紀に建立したとされる寺院遺跡。タイとカンボジアが領有権を争い、1962年に国際司法裁判所がカンボジア領とする判決を下したが、がけの上にありタイ側からしかアクセスが困難な上、周辺の国境が未画定のままで、世界遺産申請の妨げとなっていた。
両国は今回、カンボジアがプレアビヒア本体のみを世界遺産に申請し、周辺地域を含めないことで合意した。しかし、カンボジアが用意したとされる遺跡周辺の地図が公開されなかったため、タイの反政府団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」や野党民主党が、タクシン元タイ首相のカンボジアでのビジネス権益と引き換えにカンボジア側に有利な国境画定を飲んだなどとして、タイ政府を批判。PADは18日、バンコクの外務省前で数千人規模の抗議集会を開いた。
タイのノパドン外相は国境交渉で譲歩した事実はないと反論。軍の測量責任者も外相の主張を支持している。





[1066] 山岸正和   2008/06/25 14:36:44   

昨日から タイ国会で 政権の不信任審議はじまったようですが カオプラヴィハーン問題は タイとカンボジャの不仲に火をつけることになるので難しい またもや タキシンとヘンサムリンの駆け引きの表面化か 


[1068] ふうみん 2008/06/25 18:29:33   

>山岸正和さん、またもやカオプラヴィハーン遺跡が閉鎖されたようですね。今後の成り行きに注目したいと思います。また、クーデターでも起こるのですかね?

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カンボジア、タイ国境の山頂遺跡を閉鎖
newsclip.be 2008/6/24 【カンボジア、タイ】

カンボジア政府は23日、タイ国境に近いカンボジア領内の山上にあるヒンドゥー遺跡「プレアビヒア(タイ側呼称、カオプラウィハーン)」の一般参観を中止し、周辺国境に軍を増派した。プレアビヒアの世界遺産申請にタイ政府が合意したことに対しタイ国内で批判が強まっていることを受けた措置とみられる。

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[1070] ふうみん 2008/06/26 20:44:37   

カオプラヴィハーン遺跡の世界遺産登録に伴う国境問題は、タイの政局を揺るがす大問題へと発展しているようですね。

そして、何とこの問題が、今朝6月26日付の読売新聞にも…
国境の寺 タイ大揺れ
カンボジアが世界遺産登録
同意の政府に野党反発
…と、大きく取り上げられています。
ご参考までに。記事(写真)を添付します。





[1073] 山岸正和   2008/06/28 16:39:46   

サマク首相の不信任が否決されたので
このカオプラヴィハーン問題は収束に向かうのかな ただアンコ−ルを含めて タイ人の中にはカメン遺跡はタイのものと思っている人がいる すなわち アユタヤ王朝の形成がらみで


[1074] 山岸正和   2008/06/28 18:47:53   

中央行政裁判所は28日未明、国境紛争地区に立地するワット・カオプラウィハーン関連の閣議決定を一時差し止める決定を下した。約10時間に及び審理を経て、28日2:00にこの決定が下された。

 これは、カンボジア側の地図に基づいてカンボジア側によるワット・カオプラウィハーン(カンボジア名プレアビヒア)の世界登録遺産に道を開く線引きを承認すると共に、同所のカンボジアによる世界遺産登録をタイ政府側が容認した事を確認する、ノパドン外務大臣とカンボジア側との共同声明内容を承認した17日の閣議決定の取り消しを求め民主主義市民連合側が提訴していたもので、裁判所側は、共同声明に添付されたカンボジア側の地図及びカンボジア側に国境紛争地域の領有権を主張する機会を与える可能性について詳細に渡る検討を行った上で、問題となっている閣議決定が法令に違反していると判断し今回の決定を下した。

 今回の決定を受け、原告側顧問弁護士のスワット・アパイヤパック氏は、満足を表明した上で、かかる閣議決定により国家に損害を与えたノパドン外務大臣及び内閣、国家安全保障会議事務局長、外務省条約局局長らの法的責任の追求を進めていく意向を明らかにした。

* 7月に行われる総選挙が公示されているカンボジア国内で、今回のカオプラウィハーン問題を政治的に利用する為に市民を煽動して、2003年に発生したタイ大使館焼き討ちのような、過激な反タイ運動が再度展開される可能性も指摘されているようです。---

今日の新聞に以上に出てました


[1075] ふうみん 2008/06/29 10:00:49   

最新の情報ありがとうございます。色々と大変な事になっているようですね。

この問題についてはこれからの経緯を見守りたいと思います。


[1077] 山岸正和   2008/06/30 15:52:47   

16日から Chain rai からchain khon
を抜けて 船でメコンを渡り ランパバン(Luann Prabanh)へ行きます メコン川に出会うのが4回目ですが
風景は違いますかね ノンカイ ムクダハン コンチアム とも違うでしょうね