イサーンの大地走行2000キロプラス 「掲示板」ログ保存倉庫
2007年 上半期

[646] T.I.   2007/01/02 18:09:12   

あけましておめでとうございます。
昨年末、ガンボジアへ家族と行ってきました。
写真は、プノムクレーンへ行った時、女性がリンガへ水を掛け、ヨニから流れ出た水を子供が頭に掛けてましたので、めずらしいと思い撮りました。
(プノムクレーンは、道が悪いので、家族とは別行動でした。)
ガイドさんの説明によると、リンガを触った女性が子供を授かったり、聖なる水を掛けると、病気が治ったり、頭が良くなったりすると言う事です。
水に関連して、地球の歩き方(2000年版)によると、第3回廊の排水口にマカラの秀作があるとの記載があり、ぜひ見たいと思ってました。しかし、ツアーの限られた時間で、また子供連れで、見つける事ができませんでした。
誰か写真を持っておられる方、見せてください。
他にも、たくさん見れない遺跡、遺物もあり、少し心残りのまま後にしました。
3日のツアーでは、とても見切れないですね。





[648] ふうみん 2007/01/03 12:06:42   

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

年末からのバンコクでのテロのニュースはすごく気になります。深南部3県だけのテロでも憂鬱なのに、さらに首都バンコクとは!今年もタイを走り回ろうと思っているのに心配です! タイ在住の方の安全をお祈りします。

>T.I. さん、カンボジア旅行とはうらやましい。写真のリンガとヨニの写真を見て、カンボジアの民間には今もヒンドゥーの伝統は生きているのを実感しました。

私の持っている「地球の歩き方‘03〜’04」にも、第3回廊の排水口にマカラの秀作があるとの記載があります。早速10冊ほどのアンコール関連の書物をあたって見ましたが該当の写真はありませんでした。もし、行く機会があれば是非写真に取りたいと思います。

>にんじゃ Q さん、タイでは年の暮れから「新年おめでとう」を言うとは、始めて知りました。何か変な感じですね。

今お住みのプラコンチャイの近くには、知られていない小さなクメール遺跡が点在していると思います。是非とも面白いレポートをお願いします。



[649] toshi-ba 2007/01/07 09:34:50   

 おはようございます
今日は寒いですねー 岡山でも雪が降ってます  タイが恋しいなー
年末タイで友人とゴルフ三昧してましたが 僕には最高のシーズンでした
しかし タイのワンちゃんには寒さが沁みてるようでした 速く来いソンクラーン? 





[650] T.I.   2007/01/07 10:21:05   

T.Iです。
バンコクでテロが発生した当日、何も知らないまま、家族は無事帰国しました。
私のタイの任期は、1月末までですので、家族が帰国してしまったし、最後の追い込みで、また、遺跡めぐりに出かけてきました。
写真は、Shinjiさんの情報にあったPrasat Ta Khwaiです。
国境を警備している軍の最初の基地(No.2602の看板あり)まで車で、山の麓に飛び石状態にある第2の基地までバイクで、そして遺跡までは徒歩で登りました。
この遺跡自体、タイ領か、ガンボジア領か決着がついてなく、かつ、周辺には、地雷が埋まっており、最初の基地以降は、銃器を持った軍の兵士の同行となります。
(参考までに、基地の隊長、兵士は、英語はしゃべれませんでした。)
発見されて間もない遺跡ですが、欧米人、タイ人は、年間、調査目的の人も含め100人程度訪れているとの事。日本人も、誰か調査等で訪れているはずだと思いますが、同行した兵士は、私が初めてと言ってましたので、もし、本当であれば、少し嬉しく思ってます。
Dangraek山脈自体は、タイ側から溶岩がガンボジア領に流れて固まったような地形(私の勝手な想像です。)をしてますので、タイ側は、なだらかな斜面ですので、大した体力は無くても登れる山のように感じました。
(兵士の足は早く、約1.5km, 30分程度の登山。多少、足場が悪い所あり。雨季は、登れないとの事。)
しかし、怖いのは、やはり周辺に地雷が残っている事。また、Jangleの中なので、毒蛇、マラリア蚊等の危険は、想定する必要があるのかもしれません。
(タイ国内の、低くても道無き山を、現地の子供達に案内されて登った事がありますが、この子供達は怖くないのかと感じた事があります。私は、大人になって、ちょっとした草むらに入る事自体が怖い。)
将来的に、第2の基地(今は電気も着て無い。)まで、良い道ができる事はあるかもしれませんが、遺跡自体、岩と木に囲まれた狭いスペースに目いっぱい立っているように見えますので、地形的にでかい道はつけれそうにない、つけて欲しくないと言うような感じです。
ニンジャQさんが、そろばんを教えられているクーイ族(スワイ族)と、この遺跡の名前のTa Khawi(タイ語で水牛)、Ta Sawai(クメール語でマンゴ)と関係あり??
兵士は、遺跡を見つけたのが、Sawaiさん(ニックネーム)で、今はなまってKhawiと呼んでいるんだと言ってました。本当??
でも、遺跡を造ったのは、クーイ族の方と思います。





[652] ふうみん 2007/01/07 14:10:57   

新年から、先日の爆弾テロに引き続き、今度はまた第2クーデターのうわさなど、タイからはこの所いいニュースが聞かれませんね。


>toshi-baさん、本年もよろしくお願いします。

本当に今日は寒いですね。特に風が強くて一層寒さを感じます。岡山は雪ですか?明日、朝早くから神戸まで行かなくてはならないので天気が心配です。こう寒いとタイに行きたいですね。


>T.I.さん、あの、Prasat Ta Khwai に行かれたとはビックリしました。日本人として初めてとは、すごい偉業ですね。私もShinjiさんからの情報を得て調べましたが、Ta Khwai遺跡には当分行けないな!と思っていたところです。

それにしても遺跡までたどり着く文章を読んで、よくもまあこんな所に行けたな〜あ!と感心しきりです。遺跡の名称はPrasat Ta Khwai (Ta Sawai) となっていますね。Sawaiさんが発見して、なまってKhawiと呼んでいる。…タイだから本当みたいですね。

早速Google Earth でPrasat Ta Khwai を調べました。残念な事に、この地域は鮮明な写真ではなくハッキリしませんが、その写真をUPします。本当に国境のJangle の中ですね。任期の1月末までに、機会がありましたら是非遺跡のレポートをお願いします。

私の心の中の「遺跡探しの虫」がうごめいてきました。「啓蟄」の時期が近づいて来たようです。





[654] kaiseikun 2007/01/10 00:40:59   

はじめまして
今年の1月2日に念願のカオ・プラ・ヴィハーンに行くことができました。これまで,危険なところとのイメージもあってなかなか行く機会がなかったのですが,こちらのホームページの詳細な情報を参考に行くことができました。ありがとうございました。もしよろしければホームページで使用されているカオ・プラ・ヴィハーンの図面の出典を教えていただければと思います。また,添付しました画像は,sonyのGPS-CS1KのGPSログをGoogle Earth上にプロットしたものです。





[656] ふうみん 2007/01/10 23:05:52   

Kaiseikun さん、はじめまして

私のサイトの「カオプラヴィハーンへの招待」が遺跡の案内に少しでもお役に立てて光栄です。なお、サイトの作成に参考にした本は、「私的…タイ本書店」の「14、タイで購入した本」 http://kuradashieigakan.com/con09book/book-14.htmに掲載してあります、「Preah Vihear Sri Sikharesvara 」と「Sri Sikharesvara Prasat phra Wihan」です。

両書ともカオプラヴィハーンの売店では売っていなくて、ロッブリー国立博物館で購入しました。タイの普通の書店ではなかなかこうゆう本は売っていない様ですね。私は博物館に行った時に売店で捜す様に心がけています。

衛星画像ありがとうございます。私はGPSログを使った事が無いのですが、こうゆう画像を見ると勉強しょうかな!と思いますね。カオプラヴィハーンのGoogle Earth 画像が鮮明でないのは残念ですね。この地点の衛星画像はShinjiさんのhttp://www.geocities.jp/shinji_th/satelthai/projects/khaophraviharn/in
dex.html がとても参考になります。





[657] ふうみん 2007/01/10 23:11:19   

ShinjiさんのURLのリンクが途中で切れていました。失礼しました。

http://www.geocities.jp/shinji_th/satelthai/projects/khaophraviharn/index.html


[658] kaiseikun 2007/01/11 22:41:35   

ご教示ありがとうございました。

私の使っているsonyのGPSは値段も手頃で,車での移動でもうまくログを拾ってくれます。ちなみに,ログを後で,デジカメ画像ファイルのExifデータに位置情報を自動で追加する機能もあるので,どこで撮影した画像かがわかりやすく便利です。
参考までに:
<a href="http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0608/23/news022.ht
ml">plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0608/23/news022.html</a>

<a href="http://kaiseikun.seesaa.net/article/23186144.html">kaiseikun.see
saa.net/article/23186144.html</a>


[658] kaiseikun 2007/01/11 22:43:59   

すみません。リンク先がうまく貼れませんでした。

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0608/23/news022.html

http://kaiseikun.seesaa.net/article/23186144.html


[660] ふうみん 2007/01/12 23:55:45   

Kaiseikun さん、ソニーのGPSユニット「GPS-CS1K」の紹介、ありがとうございます。この様な携帯型のGPSユニットがあるなんて少しも知りませんでした。

以前、イサーンのクメール遺跡探しの時にGPSがあればいいな!と思い調べたら意外と高価だったので、あきらめた事がありますが、この製品は手ごろですね。

私も素晴らしい画像を投稿してくださいますShinjiさんのようなGPSを使用した画像を作成したいな!と思っておりましたので、検討してみたいと思います。それにしても色々な物があるものですね。


[661] ふうみん 2007/01/14 19:28:00   

久し振りに神戸に行ってきました。
私は神戸に単身赴任中の1995年1月17日に阪神大震災に遭遇しました。10年振りに訪問した神戸で、三宮・元町・港の周辺を歩きましたが、現在の街並みは大震災があったなんて信じられない光景です。
後わずかで1月17日が巡って来ますネ。なお、このサイトは大震災と同じ1月17日が開設日です。そこで、開設3周年を記念してサイトの表紙を変えて見ました。ご感想はいかが?





[662] T.I.   2007/01/17 23:04:19   

T.I.です。
開設3周年おめでとうごさいます。
いつも興味深い情報を楽しく読ませて頂いており、今後もタイ、イサーンの情報発信源として頑張って頂きたく思っております。
表紙のメーラーの難民キャンプの写真を見て、実際に生活している人は大変なのだろうと思いますが、屏風のような山の手前にある小山全体がひとつの村になっている風景に、機会があれば、ぜひ訪れてみたいと思いました。
でも、5年半タイに住んでましたが、ビルマ国境近辺は、Golden Triangleのみで、その他は訪れた事はありません。今月末、帰任で、もう行くチャンスは無さそうです。残念です。
UPした写真は、御存知の方も多いと思いますが、スワンナプーム国際空港にある乳海攪拌で、ヒンドゥーの神様と綱引きをしている阿修羅達です。昨年末、ガンボジアに行った時に撮ったものです。中央にアムリタ(不老不死の薬)があり、綱になっているのは、大蛇ヴァスキーです。写真に写ってませんが、中央には当然、大亀クールマや、ヴィシュヌ神がいました。





[663] ふうみん 2007/01/18 23:51:31   

T.I. さん、ありがとうございます。おかげ様で3周年を迎えることが出来ました。

今年もタイとイサーンについて、サイト独自の情報を発信したいと思います。今年の計画(まだ漠然とですが?)は、南部のマレーシア国境のSatun(深南部3県はテロのためパス)と東部のカンボジア国境のHaat Lek と西部のビルマ国境のSangkhlaburi に例の如くレンタカーで行きたいな!と思っています。

T.I. さんから初めてメールをいただいたのが去年の7月でしたね。その時はクメール遺跡巡りを始めたばかりの様子でしたが、先日のPrasat Ta Khwai に行かれたのにはビックリしました。今月で日本に帰任ですか、何かとても残念ですね。私の知らないイサーンのクメール遺跡の情報を楽しみにしていましたので……

それから、スワンナプーム国際空港の乳海攪拌は知りませんでした。私の歩いたルートには無かったと思います。次回は気をつけて見たいと思います。やはりクメール遺跡の乳海攪拌の方が断然いいですね。


[664] 999 2007/01/19 18:08:05   

初めまして。
「イサ−ンの大地走行」のタイトルに
魅了されてやって来ました。
私も訪れた何箇所かが書かれており
懐かしさと当時の記憶を呼び起こしながら拝見しています。写真と文章でなかなか見応えの有るHPと感心しきりです。
「第六部 ビルマ辺境を走る」では
私もレンタバイク カ− バス等で
走った場所でも有ります。
MAE AWは10年前に行きましたが
当時から外人観光客が多く訪れていたのか英語表記のメニュ−等も休憩所には掲げられていました。村へのゲ−トは記憶に無いですけど当時から有ったのか無かったのか?
10年前の村の写真と9年前のソポンのバス停付近の写真を載せてみます。
記憶では村に入るのに舗装されておらず雨季には四輪駆動車でも難儀するような事を聞きました。その為か緊急用にヘリポ−トが有ったんでしょうかね。





[665] 999 2007/01/19 18:09:11   

この辺りが村の中心だったのかな?





[666] 999 2007/01/19 18:10:29   

大きな木のそばがソポンのバス停でした。





[667] ふうみん 2007/01/20 15:20:40   

999さん、はじめまして

サイトに対しての激励のお言葉ありがとうございます。10年前のMAE. AWの写真を拝見しました。現在の(写真UPします)貯水湖越しに眺める村落の建物は、今とあまり変わっていない様ですね。かえって、当時の新しかったトタン屋根が古くなって錆が出て、今の方がしっとりした情景のように思われます。

当時と一番変わっているのは多分、道路の整備状況だと思います。イサーンなども行く度に道路が整備されていてタイの道路整備の変化には驚かされます。

999さん、10年前の懐かしい写真を是非ご披露いただけるとうれしいのですが。





[668] 999 2007/01/21 11:06:49   

おはようございます。
タイは今では地方でも道路事情が良くてドライブするには快適ですね。しかしドライブマナ−は悪いですから気を付けないと。MAE AWは写真で見る限りでは10年の歳月の変化は感じないですね。10年前から電気は来ていてテレビアンテナや街路灯も有りました。
これは洗濯場?なのか望遠で撮った一枚です。





[669] 999 2007/01/21 11:10:28   

この店の片隅で焼き飯を食べたのですが調理はプロパンガスではなく
七輪を使っていました。





[670] ふうみん 2007/01/21 16:14:39   

>999さん、早速に10年前のMAE AWの懐かしい写真をUPいただきありがとうございます。おっしゃる通り、写真を見ても10年の歳月は感じませんね。私の旅行記の中に、この写真を入れても分りませんね(笑)。

時代の変化は車とか電化製品でも写っていると直ぐ分るのですが、と言う事は、人間の基本的な営みなどは、そんなに変わらないと言う事なのですね。

>昨日の日経新聞の「プラス1」の「流行発見」に「GPS遊び」と題した記事が掲載されていました(画像UPします)。内容は…迷わず安心私の宝探し…、…携帯機器、意外な使い方…

[658] でKaiseikun さんがソニーのGPSユニット「GPS-CS1K」の紹介をされていましたが、この記事の中に新しいバッチリ!載っていました。私も少し前にソニーの「GPS-CS1K」を知っただけなのですが、この記事を読んでいて何故かうれしく思いました。





[671] Shinji 2007/01/21 17:17:38   

ここしばらく、「メーソットからモエイ川に沿って南下する」というテーマのバーチャルトリップにハマッテいました。ほぼ完成したので近日中に公開予定ですが、プレビューとしてメーソットの市街全景画像をどうぞ↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/satelthai/projects/westernfrontier/01a/maesot-w.html

出展は先述の Point Asia です。画像はモザイクで、右(東)半分が2005−02−17、左(西)半分が2004−11−24の撮影です。


[672] ふうみん 2007/01/21 22:54:58   

Shinji さん、こんばんわ。早速、拝見しました。

画像の右上にTakからの105線がメーソット市街に入る大きなロータリーがあります。そこから右上のバイパス(105線)沿いに500mほど行った右側に大きな池の隣にある建物が、私の泊まったCentral Mae Sot Hill Hotel です。そこから、また500mほど行くと105号線はメーサリアン方面に右折になります。(写真は逆方面からです)

その他にWat Phra That Doi Din Kiu に行くのに間違えて走った道。夕食のレストラン等、とても懐かしく見入りました。

それから、「メーソットからモエイ川に沿って南下する」と言う事ですが、モエイ川の流れは北上してサルウィン河に合流しますね。と言う事は、南下するとは上流に向かってUmphang 方面に行くという事なのですか?公開を楽しみにしています。





[675] Shinji 2007/01/27 06:24:22   

思ったより手間取りましたが、一応完成しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/satelthai/projects/westernfrontier/01a/index.html

編集後記:あー、疲れた。じゃなくて、地図に載っていない村や道路がいろいろあって面白かったです。



[676] ふうみん 2007/01/27 23:16:29   

拝見しました。

モエイ川上流の1090号線沿いに、1970年〜80年代 KMTの兵士の子孫がミャンマー軍の侵攻と対峙し、その後に村を作って住んでいる何て初めて知りました。

私はあの辺りの山の中はミャンマーからの難民が住み着いているのかな?と漠然と思っていました。機会があれば1090号線をUmphang 当たりまで走って見たいですね。


[677] Shinji 2007/01/31 14:25:39   

Yahoo のアカウントを増やしてホームページ容量に余裕ができたので、カオプラヴィハーンの全景詳細画像(3540 x 4600 px)をアップしました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/kpv800.html

転送容量制限(1回あたり5MB)のために画像を左右の二分割にしてありますので、画像の保存にあたっては留意して下さい。


[679] ふうみん 2007/01/31 23:05:16   

大好きな、カオプラヴィハーンの全景詳細画像ありがとうございます。

先日、カンボジアのサイトでシェムリアップ発のカオプラヴィハーン(プレアヴィヒア)ツアーを見つけました。
■予定時刻 06:00〜19:00
■所要時間 約13時間
■行程 ホテル発(片道約5時間)→4WD車、プレアヴィヒアの麓で乗り換え→プレアヴィヒア見学→ホテル着
■お一人様  230US$
という内容です。

この画像で崖下のカンボジア平原から447メートルのまさに断崖絶壁を登る道が鮮明に分りました。ここを上記のツアーは4WDからバイクに乗り換えて登るのだと思います。

この画像を見ていると、またカオプラヴィハーンに行きたくなりました。


[681] Shinji 2007/02/01 23:14:16   

ちっとも旅行に出られないのでインターネットで面白い写真を見つけては気を紛らわせているのですが、例えばカオプラヴィハーンを下から撮った写真です↓

(南西の麓の村 Kor Mouy から)
http://rides.webshots.com/photo/2316539110061510178BLnuCa

(南の道路上から)
http://biogon.exblog.jp/2784636/

下からだと何の変哲もない小山にしか見えないのが、かえって新鮮で面白かったです。

さて、カンボジア側からの登山道路の傾斜を測ってみたところ、メーホンソンから Mae Aw へ行く道路の傾斜にほぼ匹敵していました(添付グラフ)。この傾斜をボコボコでズルズルのダート路で登るというのは、4WDでもバイクでも、相当気合を入れて走らないと途中でエンコしてしまいそうです。





[682] ふうみん 2007/02/04 10:27:28   

カオプラヴィハーンをダンレック山脈の崖下のカンボジア側から撮った写真を初めて拝見しました。感激!です。

カンボジア側からの登山道路はすごい悪路だと話には聞いていましたが、グラフを見て改めて実感しました。やはり、此処にはタイ側から行きたいものですネ。


[684] Shinji 2007/02/14 12:36:42   

先日の日曜日に、久しぶりにプラパデーンに行ってきました。以前はよくオートバイで路地を探索しに行ったものですが、今回は9才の息子を連れての半日サイクリングです。このあたりは基本的に欝蒼とした湿地帯の森で、その中を幅1メートルほどのコンクリートの板道(縁無し手すり無し、落ちたら泥だらけ)が迷路のように張り巡らされています。そういう板道はオートバイでは怖くて入って行けないんですが、今回は自転車の機動性を生かして積極的に入っていったところ、予想以上のアドベンチャーを体験できて大満足です。

さて、添付画像は Landsat + MapMagic です。赤色の線が今回のサイクリングルート(GPSトラック、走行距離20キロ)です。紫色の線は近頃開通した巨大な橋で、Industrial Ring Road Bridge という名前が付いています(通行無料、自動車専用)。橋の中央がややこしい三叉路になっています。短い距離の間にチャオプラヤ川を二度横切るので、車窓から見下ろす風景がなんとも不思議です。





[685] ふうみん 2007/02/17 14:51:33   

バンコクのチャオプラヤ川の対岸にプラパデーンという緑豊かな湿地帯の森があるなんて、今まで全く知りませんでした。お子さんと仲良く一緒にサイクリングするShinji さんの微笑ましい姿が目に浮かびます。私も二人の男の子を連れて転勤先の滋賀県の蒲生野のサイクリング道路をよく走った事を思い出しました。

ところでShinji さんにお尋ねしたいのですが、大分先の話で恐縮なのですが、今年の9月に1ヶ月ほど時間が取れましたので、タイのまだ行った事の無い場所に行こうと計画しています。

とりあえずは、カンチャナブリーに何泊して大好きなクメール遺跡のムアンシンを見学し、ビルマ国境のスリーパゴダパスに行こうと思いますが、この辺りの見どころについてのアドバイスをお願いできれば幸せです。

なお、この6月はカンボジアのアンコール遺跡見学を予定しています。


[686] にんじゃ Q   2007/02/17 21:47:07   

お久しぶりです。ことしの冬は気温が低めでしたが、最近急にタイの暑さになってきました。きっとうらやましいことと思います。
さて、「ビルマ辺境を走る」を見せていただきました。10日間のドライブは10日かけて読まないと、消化し切れません。このコースの前半は未知のコースなので、自分でドライブしているつもりで見せていただきました。後半は一度通っているのでそうだそうだと思いながら見ました。
この旅とは全く関係がないのですが、稲刈りをご覧になったことがないとのこと。私はタイで稲刈りをやってみて、刈り方も鎌も日本とはまるで違っているのにおどろきました。それ以上に稲こきにびっくりしました。今はもうコンバインに変わってしまって、手作業は廃れましたが、10年前には地面にたたきつけていました。写真は10年前のコンケンでの作業です。





[687] ふうみん 2007/02/18 20:52:12   

にんじゃQさん、パソコンにもだいぶ慣れてきたようですね。画像の縮小が出来ています。

稲刈りの件ですが、映画やテレビでは沢山の人々が稲刈る風景は見ていますが、実際に見た風景は機械化された場面だけでした。それで、すごく懐かしさを覚えたのだと思います。

タイの辺境でタイムスリップしたような懐かしい場面に遭遇することが、まさに旅の醍醐味ですね。





[688] kaiseikun 2007/02/19 12:35:06   

以前ご紹介頂いた「Preah Vihear Sri Sikharesvara」を購入しました。Chulalongkorn University Bookshopのwebsiteで購入しましたが,本の値段より送料が高かったのには驚きました。


[690] ふうみん 2007/02/20 21:45:07   

「Preah Vihear Sri Sikharesvara」の本の値段より、送料の方が高かったとは!

確かに重量のある本ですね。マア!私はその値段に見合った価値がある本だと思いますので、是非ご愛読下さい。





[691] Shinji 2007/02/21 20:10:57   

9月にカンチャナブリですかっ!連日雨に降られる公算が高いので、ちょっとお勧めできないです。が、それとは別に、カンチャナブリは私が以前から注目していたエリアでもあるので、資料を整理しながら何回かに分けてカンチャナブリの紹介をしてみます。

【第1回 道路網】
添付地図は MapMagic Thailand + SRTM (標高図)です。紫色の線は私が補足した道路です。右下の二重丸がカンチャナブリの市街で、そのほかの記号は
M: Muang Sing
E: Erawan Waterfall
H: Hell Fire Pass
T: Thong Pha Phum
P: Pilok
S: Sangkhlaburi
TP: Three Pagodas

カンチャナブリの特徴は、R323という貫通道路があり、その北東側は Thungyai-Naresuan Wildlife Sanctuary という、タイ政府が最も保護に力を入れている大森林があり、南西側はビルマ国境の森林で(何ヶ所かの例外を除いては)近寄り難いです。要するに、観光客の行動範囲はほぼR323の近傍に限られてしまい、基本的には行った道を戻る事になります。

マイナー道路について解説します。添付地図の数字で、
1.Ban Bonti という国境沿いの村へ行く道路です。特に見所はありませんが、国境マニアならば到達感が味わえます。
2.Ban Pa Rai Nok という国境沿いの村へ行く道路です。この村は20年ぐらい前にできた開拓村で、入植者はイサーンの農民です。
3.Ban Don Yang という国境沿いの難民キャンプへ行く道路なんですが、観光客は途中の検問で追い返されます。
4.Thungyai-Naresuan Wildlife Sanctuary の中を通る、マニア垂涎のアドベンチャー道路です。元々は鉱山の搬出路なんですが、今では廃道に近く、橋の無い川を渡ったり、川床に沿って進むような区間もあります。まず普通には入域許可が下りないので、たまに4WDクラブが走りに行くのに便乗してついて行く他ありません。
5.R323に並行する道路(ダート多し)で、いくつかの村を通過します。旅行者の場合、GPSと詳細地図が無いと道に迷うこと必至です。まあ、迷うのも楽しいんですが。
6.R3199とR3480を結ぶ山越え道路(ダート)です。





[692] 朝太郎 2007/02/22 13:01:11   

おじゃまします。
昨年11月初めてThree Pagodas Passへ行きました。

(Shinjiさんの図をお借りして)
R3272の終点P(Pilok)の所のバーン・イートンで昨年の正月を迎えました(その約半年前にも一度訪問)
R323の分かれ道のトーンパープームから約60kmです。約半分は快適に飛ばせますが、残りは断崖絶壁30km/h位のスピードになってしまいます。
PTTの基地(?)があります。ミャンマー側は断崖絶壁の下で道は越える道は無く、何だろ?石油?関係の施設があります。
タイ側の村の3分の2はミャンマー人。
正月はクルンテープのナンバープレートを付けた観光客が、展望台に多く来てました。


[693] Shinji 2007/02/22 17:06:11   

【第2回 観光総論】
今日の参考資料です↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/archive/kanchanaburi/index.html

カンチャナブリの観光マップとしてはTATのパンフレットが非常によくできていて、これ以外必要無いほどです。ただし、道路地図としてはイマイチなので、他の詳細地図と照らし合わせないと行き着けない事が多いです。Mapmagic Thailand を局所的に何枚もプリントして持っていくと便利です。

さて、次の添付資料 Western Forest Complex が示すように、カンチャナブリは国立公園の数と占有面積の大きさが際立っています。観光マップに載っている滝や洞窟は大半が国立公園の敷地内にあり、ガッチリと外国人料金の400Bを徴収されます。私の意見として、ドライブ旅行としては、そういう有料の滝や洞窟を一切旅程から外しても、十分に面白い旅ができると思います。

カンチャナブリの観光客を大まかに分類すると、
1.バンコク在住のタイ人
(バンコクから比較的近場にあり、自然が多くて気分転換になる)
2.外国人旅行者
(第二次世界大戦のテーマパークとしての宣伝効果絶大)
となります。バンコク在住の外国人には、国立公園の外国人料金の事もあり、イマイチ不評のようです。また、観光客数の地域別密度としては、カンチャナブリ市近郊(Hell Fire Pass や Erawan Waterfall あたりまで)を1000人とすると、Sangkhlaburi や Three Pagodas まで足を伸ばすのは20人ぐらい、Pilok へ行くのは1人ぐらいでしょうか。

--
カンチャナブリの観光リンク
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/2447/


[695] ふうみん 2007/02/22 22:53:58   

>Shinji さん、早速のカンチャナブリの情報ありがとうございます。お礼を言う前に早、第2回目も!

今回、残念ながらタイ走行の予定が諸般の事情から9月になってしまいました。後、2ヶ月ほど遅ければいいのですが…仕方がありません。

カンチャナブリの観光リンクのご紹介ありがとうございます。今、ざーっと見たところですが面白そうなサイトですね。後でゆっくり見ます。楽しみが一つ増えました。


>朝太郎さん、昨年の11月にThree Pagodas Pass とPilok に行かれたのですね。Pilokは何か面白そうな場所ですね。私は9月の雨季の末期の大雨が心配なので、無理の無い計画を立てようと思っています。


[697] Shinji 2007/02/23 19:19:54   

【第3回 Pilok】
では各論に入ります。で、いきなり Pilok ですが、まあ、面白い所です。何が面白いかというと、
1.途中の山道がエキサイティング
2.天気が良ければ、ビルマを見下す景色がグッド

1について、途中の道路が細くてクネクネしているのはオートバイにとっては問題無いんですが、自動車の場合は車幅とかハンドルの切り返しとかの点で神経が疲れるかも知れません。2について、Pilok はとても雨が多い地域で、天気が悪いと景色が見えず、行く価値が半減します。標高は900mぐらいなんですが、雨雲が引っかかるというか、霧が出る事が多いです。

Pilok は行政的には tambon (sub-district) の名前で、その下に ban (village) がいくつかあります。R3272 の果てにあるのは Ban I-Tong (または Etong)という村です。Ban Pilok という本家(?)もありますが、これについては後述します。観光客が手軽に訪れる事ができて満足度が高いのは Ban I-Tong です。

Ban I-Tong の画像を追加しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/archive/kanchanaburi/index.html

では、画像内の番号順に解説します。
1.村のシンボルともいうべき貯水池です。
2.長さ300mほどの村の中央通りです。雑貨屋あり、食堂あり、近頃ゲストハウスもできました。
3.村の小学校です。
4.村の寺です。
5.ここに警察のチェックポイントがあります。フリーパスの時もありますが、パスポートの提示を求められる事もあります。
6.自動車がUターンできるぐらいの広場です。ビルマ兵のバラックが隣接しています。ここからビルマに向かって崖のような急斜面が目を引きますが、これはパイプライン(天然ガス、ビルマ→タイ)を埋めた跡です。タイ側には大きなパイプライン施設が見えます。
7.丘の上に面白そうな寺が見えますが、ビルマ軍の管轄下なのでうかつに入れないです。
8.石の階段を登ると展望台があり、天気が良ければビルマが見下ろせます。タイとビルマの旗が二本並んでいて微笑ましいんですが、要するにこのあたりは国境線が確定されていないわけです。
9.国境警察(BPP)の詰め所があり、観光客はここでUターンです。道路は国境を越えてビルマに入り、はるかラングーンまでつながっているんですが、このゲートを通れるのはパイプライン関係者だけです(タイ人とビルマ人の技術者の行き来がある)。
10.このダート路は国境に沿って数十キロ延びています。国境マニアも怖気づくアドベンチャー道路です。

さて、普通の観光客ならば Ban I-Tong へ行って帰ってくるだけで十分に面白いんですが、4WD(またはオフロードバイク)に乗っていて、もっと冒険がしたい人にお勧めのコースを二つ紹介します。
1.Ban I-Tong の手前1kmに、ダート路の分岐点があります。英語で View Point と書かれた古ぼけた看板が出ています。かなり路面が粗く、急な上り坂なので、4WDでも慎重さが要求されます。体力と根性があれば、歩いて登ることも可能です。1kmほど登ると山頂に達し、この付近では最高の眺めを楽しめます。軍のキャンプがあるんですが、観光客は歓迎されます。
2.さらに2.2km手前に、ダート路の分岐点があります。タイ語でゴチャゴチャと看板が出ています。Ban Pilok はここから5.5kmの距離です。この道路は国境の峰の上を走ったりして、かなりエキサイティングです。Ban Pilok には、ちょっと異質のリゾートがあります↓
http://web.archive.org/web/20030421010423/
http://www.cp.org/english/onine/full/travel/030403/u040302A.html

このダート路は Ban Pilok を越えて国境沿いにさらに20キロほど延びています。まさに知られざるカンチャナブリです。

さて Pilok は歴史的に鉱業で栄えた地域ですが、それも1993年にコスト割れのために廃坑になりました。それでも R3272 という不釣合いに整備された道路が Ban I-Tong まで延びているのは、パイプライン施設のメンテナンスの為に他なりません。このパイプライン (Yadana Pipeline) は、1995年に着工、1998年に完成しました。パイプの直径は1mで、総延長は700km(アンダマン海洋部340km、ビルマ内陸部60km、タイ内陸部300km)、ラチャブリの発電所に天然ガスを供給します。建設にあたっては内外の環境・人権団体が精力的に反対運動を行ったのですが、工事は強行されました。争点としては、
1.原生林の破壊
2.ビルマ政府による、住民の強制移住と残虐な強制労働
3.不当に政権を掌握している現ビルマ軍事政府の懐を潤す事になり、将来のさらなる弾圧を助長する事になる
が挙げられます。

--
リンク: ヤダナ・パイプラインが投げかけたもの
http://www.burmainfo.org/eri/MWFM09yadana.pdf


[698] ふうみん 2007/02/24 09:14:36   

カンチャナブリと言うと、バンコクから近いため常に混んでいる行楽地で、映画「戦場にかける橋」の創作による戦勝国主体の戦争史観の地。と、どちらかと言うと私にとってタイの中でも敬遠気味の場所でした。

しかし、Shinjiさんの情報を読んで、歴史的、地政学的また景観が面白そうな場所だな!と思い始めました。これからの続編を期待します。それにしても、アンダマン海の沖合いからラチャブリの発電所まで天然ガスのパイプラインが引かれていたとは全く知りませんでした。Shinjiさんの博学に敬服します。





[699] 朝太郎 2007/02/24 21:27:41   

非常に感動!、勉強になりました!!
まさしくBan I-Tongです。

2005-2006の暮・新年は写真の点2の所のゲストハウスに2泊。(I-Tongへホームステイの白黒コピーのパンフレットがありました。)
5の警察のチェックポイントはもう100mほど西でした。じつは5の横にPTTの施設へ行くための丁字路があり、そこの家が彼女の親戚(店もしている)でそこへも何泊(2度目)かしました。
そこのオヤジ(黄色のソンテウの運転手)達と飲んでいたらツマミがなくなり、そのオヤジ 冷蔵庫からセミの冷凍したのを出し、揚げてました。(結構美味かった)
また村手前から登るView Pointや鉱山の坑道へも入りました。


[702] ふうみん 2007/02/27 17:32:26   

>朝太郎さん、ShinjiさんのBan I-Tong の画像が感動的だった様ですね。実際、自分が歩いた未知の所を空からの画像で示されるとまた違った感激がありますね。それにしても、冷蔵庫からセミの冷凍を出して揚げて酒のツマミにするとは!とても、楽しいエピソードですね。まさに辺境の面白さだと思います。

>3日間ほど長男の結婚式で神戸に滞在していました。十数年ぶりに色々な所を歩き、昔馴染みの店で舌鼓をうって来ました。写真は岡本の「貴味蛸」の玉子焼きです。これは普通、明石焼きと呼ばれ、具は蛸のみのシンプルな物です。出し汁に付けて食べます。関西のたこ焼きの原型と呼ばれている物です。美味しいですよ!





[714] Shinji 2007/03/02 16:57:06   

【第4回 Three Pagodas】
さてR323の終着にあるスリーパゴダ、タイ語で Chedi Sam Ong ですが、ここもいろいろな見地から面白い所です。スリーパゴダの画像を追加しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/archive/kanchanaburi/index.html

パゴダの周りを土産物屋が取り囲んでおり、その周りをダート路が取り囲んでいますが、そこはもうビルマです。ダート路に降りる店の勝手口には申し訳程度に竹の横棒が掛かっていたりします。店の売り子や野良犬はその横棒を跨いで自由に行き来していますが、外国人旅行者にとっては鉄の扉にも等しい障壁です。

とにかくこのエリアは三方をビルマに囲まれているので、注意深く観察すると、あちこちに地元民が利用する越境ゲートを見ることができます。そもそもこのエリアは大まかな国境線はあるものの厳密には未確定で、あきらかにビルマの領地にタイ人の家が建っていたりするんですが、将来キッチリと国境線を引くまでは現状を維持するというのが両国の暫定的な合意です。そういうわけで、詳細衛星画像を見てもキッチリと国境線を引きにくいんですが、「こんなだったかなぁ」と一応の線を引いてみたのが tp3 です。

さて、パゴダの周りにある土産物屋を物色したり、ゲートから見えるビルマの様子を眺めるだけで30分は時間が潰せると思いますが、それ以上何かを見ようとすると、手続きをしてビルマに入るか、そばにある村 Ban Chedi Sam Ong を散歩する事になります。バックパッカーの場合は村のソンテウ乗り場に到着するので多少なりとも村の様子を見る機会がありますが、自動車やオートバイで来る旅行者の場合はパゴダまで直接乗りつけてちょっと見ただけでトンボ返りというパターンに陥りやすいので、意識的に村の様子を見て歩くという努力をしないとパゴダと国境ゲート以外の印象が残らないです。ちなみに村のはずれに Three Pagodas Resort という、閑古鳥が鳴いていそうな宿泊所があって、敷地のすぐ裏がビルマなので、夜寝ているだけでスリルを味わえそうです。

また、近傍の見所として tp1 と tp2 に示しましたが、
cave = Sawan Bundan Cave
waterfall = Takhian Thong Waterfall
です。cave は大小いくつかの入り口が寺の敷地内にあります。勝手に探索してもかまいませんが、坊さんに頼んで洞窟内の蛍光灯をつけてもらった場合には、お布施としては20Bが妥当でしょうか。waterfall は Thungyai-Naresuan Wildlife Sanctuary の中にあるんですが、まだ料金は徴収していないと思います。しかし駐車場からさらに30分の山歩きというのがどうも...。私は駐車場の付近をちょっと散歩するだけで満足しました。

最後に国境線についてですが、注釈を要する三ヶ所を tp1 に図示しました。紫色の線は泰緬鉄道の跡です。一説によると旧日本軍は泰緬鉄道をスリーパゴダの南西1キロの地点を通る、もっとなだらかなルートで計画していたのが、同盟国タイのたっての要望でスリーパゴダを通過するようにルートを変更したそうです。黒い点線は現在のR323ができる前の旧道です。当時は、メーソットからウンパンへ行くのにタイの役人でさえも Waley 経由でビルマを横切って行った時代なので、こういうルートが許容されたのでしょう。

1.この細長い領地は何なのかというと、妥協の産物です。1868年の条約でこの付近の国境線を分水嶺と定めたのですが、当時はスリーパゴダがちょうど分水嶺の上に乗っているという大まかな理解(誤解)があり、そこを通るなだらかな国境線が地図上に引かれました。それが1893年になってキッチリと測量をやったところ、本当の分水嶺はもっと東側にあるという事が判明し、ビルマの領主であるイギリスは国境線の引き直しを要求しました。タイは基本的には合意したものの、スリーパゴダだけはタイに残して欲しいと交渉し、現在の奇妙な国境線が引かれました。この細長い領地の根元は切り立った山が塞いでいて、トンネルでも掘らない限り徒歩以外では到達できないんですが、当時は自動車も無かったし、現地民の便宜的な越境は日常茶飯事だったので、それほど不便な事は無かったのでしょう。


[717] ふうみん 2007/03/02 23:24:48   

Shinjiさん、「第4回 Three Pagodas」ありがとうございます。スリーパゴダが盲腸みたいに、ビルマの領地内に入り込んでいて、その国境線がタイとビルマ(イギリス)との妥協の産物なんて!

早速、手元にあるガイドブックの「ロンリープラネット」、「ナショナルジオグラフィック」、「地球の歩き方」を見、また該当するサイトを検索して見ましたがましたが、どれも、この国境線の話題には少しも触れていませんでした。今までの経緯を知った上で、改めて画像のスリーパゴダの地図を眺めると、とても面白いですね


[718] Shinji 2007/03/03 11:36:10   

(どうも前回送信時にコピペを間違えたようで、第4回の続きです)

2.標高図が示すように、この部分の国境線は分水嶺に一致していません。これは私の推測なのですが、スリーパゴダをタイの領地とする代わりに、この部分をビルマに組み入れたのかも知れません。イギリスは諸外国相手の商売で発展した国だけあって、外交政策がガメツイです。なお、ここにはR323と同時期に建設された木材搬送用の裏道(cave へ行く道の延長)があるんですが、あまり詳細に図示するといろいろとあれなので、tp2 を見て察して下さい。

3.R323が国境線を横切っています!実際にR323を走ってみるとわかりますが、(地図上の)国境線を横切るあたりがなだらかな丘の峠になっていて、たしかに分水嶺を越えている事が確認できます。これをどう解釈するか、私も未だ結論に達していません。私の手元にあるいくつかの Landsat 画像を見比べてみると、1973年、1978年にはこの道路の痕跡は認められません。もっとグニャグニャした遠回りのルートはあったようです。1985年には、R323の原形を認める事ができます。1989年には、ダートながら立派に開通しています。

ここでちょっとスリーパゴダの近代史について振り返る必要があります。1980年代にはこのあたりはモンとカレンが実行支配していて一種の自治区・解放区を形成し、スリーパゴダを通る物品に5%の通行税を課していました。タイ政府も、宿敵ビルマ軍との間の緩衝勢力としてのモン・カレンを暗に庇護していました。それが1988年にチャチャイ首相が「戦場を市場に」のキャッチフレーズで外交方針を転換し、ビルマ政府との関係でも「敵対するよりも手を組んだ方が金になる」との機運が生まれました。とばっちりを受けたのはモン・カレンです。同年ビルマ政府はスリーパゴダ地区の森林の伐採をタイの軍幹部が経営する木材会社(計36社!)に許可しました。R323は大量の木材の搬送路として活躍しました。その結果として森林は消滅し、ビルマ軍の軍事侵攻が容易になりました。1990年には、ビルマ軍がタイ政府の暗黙の了解の下にタイ領内を通ってモン軍に背後から攻撃をしかけて壊滅させ、スリーパゴダ地区におけるビルマ軍の支配を確立しました。ちなみにその時ビルマ軍は調子に乗って、「スリーパゴダはビルマ領である」と主張して占領し、パゴダを白ペンキで塗りたくりましたが、速やかにタイ軍によって追い出されました。スリーパゴダのパゴダが白いのは、この時以来の事だそうです。

ここから先は私の仮説(想像、憶測)です。1985年までにR323の原形がああいう状況下でこういうルートで造られたというのは、
a. なるべくタイの領内を通りながらも、どうせ山の麓でははみ出さざるを得ないのだから、はみ出しついでに建設が簡単で通行に便利な現ルートを選んだ
b. 測量を間違えて国境線から必要以上にはみ出してしまった
c. 将来の国境確定協議に備えて、占有の実績を作っておく事にした
d. その他
いずれにしても山の麓で国境をはみ出す事は避けられず、この道路の建設にあたってビルマ政府の認知や同意があったかどうかは不明です。また、1990年にスリーパゴダ地区におけるビルマ政府の支配が確立した時に、当然R323の扱いについての再協議があったものと思われますが、なにしろドロドロとした経緯があるので、とりあえず現状維持の方向で同意があったのでしょう。また、R323のこの部分はタイの電力公社EGATが建設したという形になっているんですが、あるいはパヤトンズ(スリーパゴダのビルマ側の村)に給電するという名目で道路が走る土地の利用権をEGATに付与しているという形式を取っているのかも知れません。タイ政府としては矛盾の無いように国境線を引き直したいところでしょうが、代価の点で交渉は難航するでしょう。


[719] Shinji 2007/03/04 16:16:12   

【第5回 Sangkhlaburi】
さて、サンクラブリです。あの垢抜けない雰囲気が旅情をさそいます。ソンカリア川を挟んで、東側がいわゆるサンクラブリ(行政区)、西側がモンの村 Ban Wang ka となっています。画像です↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/archive/kanchanaburi2/index.html

拡大画像1〜4につきまして、
1.画像左が自動車橋で、中央が例のモン橋です。確かオリジナルのモン橋はソンカリア川の増水時に流木が当たって崩壊したとかで、現在の橋は二代目です。数年前にモン橋に連結する形で第二の遊歩橋ができて、ゲストハウス地区(写真の右外)からのアクセスが容易になったのは便利なんですが、モン橋に似せたあの造りは観光客の受けを狙ったんでしょうが、二番煎じというか紛い物というか、どうせならもっと現代的な外観にした方がモン橋が際立って良かったんじゃないでしょうか。

2.低水時に姿を見せるという、例の水没した寺の跡です(a,b,c)。Wat Sam Phrasop (三つの川の合流点の寺)と呼ばれているんですが、水没前の地図や資料では移転された現在の寺と同じ Wat Wang Wiwekaram という名前で記されています。もしかしたら Wat Sam Phrasop というのは、現在の寺と区別するに強調される別称なんでしょうか。なお、c が地続きになっている事から、この画像はけっこう水位が低い時に撮影された事がわかります(撮影日2005−03−03)。ちなみに、もっと水位が低い時には a も地続きになりますし、水位が高い時には a の先端しか見えません。

なお、水没前にこの地にあった Ban Wang Ka Mon (モン、世帯数368)が現在の Ban Wang Ka に移転したんですが、当時サンクラブリ地区で一番大きな村で、映画館もありました。ダム建設前の移転予定村に対する意識調査では、他の村々が民族構成、(タイ)国籍の有無、土地の所有形態などによって「諦めて従う」「断固拒否する」と二分していたのに対し、この村ではほとんどの村民が「Luang Pho Uttama (村の高僧)の意見に従う」と述べていたのが特徴的です。当然この村に対する移転工作は Luang Pho Uttama の同意を得る事に集中したわけで、現在の Ban Wang Ka の豪華な僧院とパゴダを見ると、「EGATも相当奮発したな」と邪推せざるを得ません。

3.これは私も画像を見てビックリしたんですが、水没した村が浮き上がっています。位置的にみて Ban Wang Ka Thai (タイ、世帯数51)だと思います。この村はサンクラブリの行政中心で、村民は多くが役人でした。付近にあった Ban Wang Ka Lang (カレン、世帯数15)、Ban Ni The (タイ・カレン、世帯数172、映画館、クリスチャン学校、クリスチャン病院)、Ban Lai Nam (タイ・カレン、世帯数92)と共に、現在のサンクラブリに移転しました。ちなみに、川を挟んで東がカレン+タイ、西がモンという図式は移転前の村の分布を継承しているともいえますが、移転計画に「モンとカレンは折り合いが悪いので、移転先はなるべく分離する」という方針がありました。

4.これも画像を見てビックリしたんですが、泰緬鉄道の跡です。軌道を平坦に保つために盛り土をした部分が線状に浮かび上がったんでしょう。川の流入口で線が途絶えているのは木橋が朽ち落ちたか、あるいは鉄橋ならば撤去された跡なんでしょう。


なお、水没前のサンクラブリ地区の村の見取り図と位置関係、水没アセスメントについてはここを参照して下さい↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/archive/old_sangkhlaburi/index.html


[721] ふうみん 2007/03/05 20:27:38   

ダム湖の綺麗なブルーの湖水の中に、水没した泰緬鉄道の白い跡がクッキリと見えます。
この画像を眺めていると、何かとてもロマンを感じます。
「サンクラブリ」是非とも行って見たいですね。


[723] Shinji 2007/03/07 04:15:28   

【第6回 陸の孤島】
トンパプン地区でもずいぶんと村が水没しましたが、アンプーの首座が無事だったのと、低水時にドラマチックに姿を見せる建造物が無いので、サンクラブリほど水没地区というイメージは一般には持たれていません。画像です↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/archive/kanchanaburi2/index.html

黒い点線は旧R323と旧R3272です。青い線は元々の川のルートです。黄色い四角は水没した村です。あ、ちなみに Pilok へ向かう途中でT字路にぶつかりますが、左折(Pilok)しないで右折すると、これが旧R3272なんですが、程なく Ban Rai という村を通ります。Ban Rai の外れで舗装が切れて、あとは細々(雨季にはドロドロ)としたダート路が続きます。途中小さな集落(Ban Ton Phung)を経て、ダート路はダム湖の中に沈んで行きます。

このように道路がダム湖に冠水していく風景はタイのあちこちで見られ、地元民は恰好の洗車場として利用しているわけですが、その道路の先にある水没した村々を思うと、深い哀悼の念を感じます。まずダム建設が決定すると水没予定地にある金目の材木は全て切り出され、簡単に採掘できそうな鉱脈は急場凌ぎで切り開かれます。ここに巨額の利権が発生するわけで、ダム建設の一番の利得者は関連の事業会社とその役員として名を連ねる政府高官で、一番の被害者は十分な補償無しに川辺の肥沃な生活空間を奪われる農民達です。

さて今回のテーマ「陸の孤島」ですが、移転用地の不足からいくつかの村が湖の向こう側に移転されました。水没前は道路でつながっていたのが、移転後はボートを使わなければ行き来ができなくなりました。こういう村は、パターンとして、村人がタイ国籍を持っていなかったために移転補償の優先順位が最下位にされた村です。移転計画段階において既に「湖の向こう側は交通手段が不便で村が孤立しやすい」と危惧されていたんですが、移転後20年を経た今でもほったらかしになっているというのは、もはや呆れるばかりです。

拡大画像1、Ban Bo Ong ですが、ここには古くて歴史のありそうなチェディがあり、高台にあったために水没を逃れました。水没前の地図を見ると村は無かったので、現在の Ban Bo Ong はどこかの水没村が移転したものでしょう。なおこのチェディを囲んで年に一度お祭りがあるそうで、ぼちぼち観光客も訪れるのでしょう。Google で "Ban Bo Ong" で検索するとヒットします。

拡大画像2、Ban Pilok Khi は水没した同名村から上流に2.5キロ移転しました。Ban Bo Ong と違って観光客を呼べるような名所が無いので訪れる部外者はごくわずかです。Google で piloki kanchanaburi で検索するとヒットします。エコツーリズムで人を呼ぼうという構想があるようですが、うーん...


[730] ふうみん 2007/03/10 12:47:57   

ダム建設やビルマの森林の伐採などを巡る、タイの軍幹部や政府高官の巨大な利権。今回のクーデターやスワンナプーム空港の諸問題なども、利権を巡る全く同じ様な権力闘争にしかならないと感じます。

階級社会のタイ。相続税の無いタイ。富める者はますます富み、社会の底辺にうごめく人々の将来の希望は無いタイ。その思いは、イサーンやタイの辺境を走っていて強く実感します。タイが大好きな私ですが、タイの大金持ち(日本と比較にならない!)の住宅などを見ると非常に複雑な思いです。


[731] Shinji 2007/03/12 16:43:30   

【第7回 Kliti】
R323の北東エリアの画像を追加しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/archive/kanchanaburi2/index.html
このエリアは、R323を行ったり来たりするのに飽きたツウの旅行者にお勧めです。画像で薄茶色のパッチになっているのは耕作地で、それ以外は森林です。道路沿いに鄙びた村がいくつかあります。このエリアの道路網に入る(普通の)入り口は3ヶ所あります。3ヶ所しか無いというのは、要するに、R323とは山を隔てた向こう側にあるためです。いずれも森林局のチェックポイントがありますが、目的地(例えば Ban Kliti)がハッキリしていて、不審な荷物(材木や野生動物)を運んでいなければフリーパスです。

この道路網を抜けて細々とした山道を進むこと17km、Ban Kliti Phon (Upper Kliti) に到達します。ちなみに、この村から北へ分かれる道路は先述の Thungyai-Naresuan Wildlife Sanctuary の中を突っ切るアドベンチャー道路ですが、通行許可証が必要です。

さて、さらに12km進むと Ban Kliti Lang (Lower Kliti) に到達します。この村は、付近の鉱山の汚水垂れ流しによる住民の重篤な健康障害と、それに対する法廷闘争の様子が新聞で取り上げられて一躍有名になりました。この村へのアクセス道路は雨季には通行が非常に困難、乾季でも深い轍に要注意です。路面悪化の大きな要因となっているのは Kliti Waterfall を目指して週末毎にやってくる4WD軍団です。新聞によりますと、Ban Kliti Lang の住民が、
 「4WD軍団が村の生活道路を損壊するので止めさせて欲しい」
と県当局に訴えたのですが、
 「県には4WDの通行を禁止する権限がないので、どうしようもない」
と、つれない対応でした。雨季で通行が困難な時期に好んでやって来るという4WD軍団の走りぶりはこんな感じです↓
http://www.weekendhobby.com/offroad/strada/Question.asp?ID=8724 (全5ページ)
http://www.weekendhobby.com/offroad/toyota/Question.asp?ID=12852 (全21ページ)

さて、Kliti Lang から山を隔てた東側に Ban Ong Lu という、これもほとんど陸の孤島のような村があります。Ban Kliti Lang との交通は、歩いて山を越えるか遠回りのダート路で行くかですが、ダート路の路面状況は推して知るべしです。この村はむしろ、シーナカリンダム湖をボートで渡って訪れるのが現実的です↓
http://www.kutu.com/thai/SiNakharin/OngHlu/OngHlu.htm


[734] T.I. 2007/03/16 23:50:49   

お久しぶりです。TIです。
2月に日本へ帰って来ました。
帰ったとたん、仕事に追われて、あくせくとした毎日を過ごしてます。
帰国後1ヶ月が過ぎ、タイを少し懐かしく感じてます。
写真は、Phimai国立博物館にあったシンハの像です。ぽっちゃりとしたふくよかなシンハです。紹介します。





[735] ふうみん 2007/03/18 16:06:29   

>Shinji さん、R323の北東エリアの画像を拝見しました。
すごい場所ですね。
また、4WD軍団の写真を見て、ビックリするやら、あきれるやら!
乾季で4WDを借りられたとしても、行くのには少し躊躇する道ですね。
タイの面積は日本の1.4倍。色んな場所があるなあ、と改めて思いました。

>T.I.さん、お帰りなさい。
お仕事お忙しそうですね。
ピマーイ国立博物館のシンハの像、とても可愛いですね。
ピマーイ国立博物館の建物の中は撮影禁止ですが、池の脇の収蔵庫にたくさんの彫刻物が展示されていますので、次回に行った時に全部撮影してこようかな?と思っています。




[737] T.I. 2007/03/18 21:42:20   

こんにちは。T.I.です
私も全部とは言えませんが、Phimai国立博物館の館外展示品(写真撮影可能場所にあった物)をかなり撮影しました。
今回UPした写真もそのひとつで、元々、Muang Tamの主祠堂にあったまぐさで、シヴァ神とウマの結婚のシーンです。
それまでに幾度か、Phimai国立博物館へ行った事はあるのですが、その時は、あまり知識もなく、流して見てたので、記憶に残ってませんでした。
後で、シバの結婚のシーンがあるのがわかり、めずらしいと思いましたので、わざわざ見に行って撮影しました。





[741] ふうみん 2007/03/20 19:35:26   

シヴァ神とウマの結婚のシーンのまぐさ石があるんですね。私がコラートで買った「ピマイ国立博物館案内」にも、このまぐさ石の写真が掲載されているのですが、解説が「タイ語」の為、結婚のシーンとは全く分りませんでした。

ピマイ国立博物館に行ったのは、まだクメール美術を勉強する前でしたので、レリーフの意味もよく分らず、玄関を入った所にあるジャヤヴァルマン7世像を見ても、破損が激しいなと言う位の感想しかありませんでした。

あれから3年間、タイのクメールの遺跡を追いかけ、少しは分る様になりました。この6月にシェムリアップに行きアンコール遺跡群を見学予定です。その下調べとして、毎週月曜日のNHK教育テレビで放映中の「アンコール遺跡・残された歴史のメッセージ」の石澤先生の解説を家人の「yayo」と毎週欠かさずに見ております。





[742] T.I. 2007/03/20 21:28:58   

シヴァとウマの結婚は、Muang Tamに行った時、隣のInformation CenterにUPした写真のスケッチがあり気がつきました。
また英文パンフレットにも記載有り。
ヒマラヤの領主が、娘を差し出している図のようです。また、もともと、今は壊れているMuang Tamの主祠堂のLintelだったようです。
最初は本物のLintelが今どこにあるのかわからなかったので、Phanom Rungの公園事務所等に聞いて、Phimaiにあるのがわかりました。
思い出の写真です。

日本へ帰国して、アンコールワットの特集番組をやっているとは知りませんでした。日頃あまりテレビを見てないもので。遅いけど来週は録画でもしておこうと思います。

私も次にもしもガンボジアへ行く機会があれば、1ヶ月ぐらい自由に時間を取って見て回りたいと思いますが、家族を放ってというわけに行きそうにないので、あと15年くらいは、無さそうです。
ガンボジアの情報もまた教えてください。





[743] Shinji 2007/03/21 18:52:04   

【第8回 続・サンクラブリ】
話は前後しますが、サンクラブリの続編です↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/archive/kanchanaburi2/index.html
赤色の線は私のGPSトラック(2004年2月旅行時)、緑色の線はP−GUESTHOUSEからの遊覧ボートのルートです。

R323を案内標識に注意しないでボケーッと走っていると、まずスリーパゴダへの分岐(右)を見逃し、次にサンクラブリの街への入口(左)を見逃し、ほどなくT字路にぶつかります。ここで左折すると Ban Wang Ka (Mon) ですが、右折すると Ban Huay Malai 方面へ向かいます。特に何があるというわけではありませんが、「せっかくサンクラブリくんだりまで来たんだから、何でも見てやろう」という方、「山があるから登る、道があるから走る」という方にはお勧めのエリアです。所要時間は半日から1日です。Ban Wia Kadi を出た先に(おそらく今でも)軍だか警察だかの検問所があって一般旅行者はそこでUターンです。私はちょっと頼み込んで Ban Morakha まで行かせてもらいました。なぜ検問所の先に村があるのか、村人がタイ国籍を持っていないので一線を画しているとも考えられますが、現実的には、冷えたビールや普通の食事が手に入る Ban Wia Kadi からあまり離れたくないという警備兵の都合じゃないでしょうか。Ban Morakha の鄙びた店で買い求めた缶コーヒーは生ぬるく、これはおそらく電気が来ていないので冷蔵庫が無かったんでしょう。店先では、これも売り物だと思いますが、何やら得体の知れないモノを鍋でグツグツと煮込んでいました。

さて、話は変わって Ban Sane Pong です。ここ数年、ラフティングやトレッキングのスタート地点としてサンクラブリの観光パンフレットに載るようになりましたが、のどかで鄙びた家並みはまだ健在なので、そういう情緒を求める旅人にはお勧めです。スリーパゴダへのT字路の手前1.4kmの地点から、ダート路が細々と延びています。村の手前にちょっとした川渡りがあるので、4WDかピックアップでないと行き着けません。オートバイならば歩道橋を利用できるので、川渡りの必要はありません。が、いずれにしても雨季には通行が相当困難・危険です。

なお、 Ban Sane Pong は先述の Thungyai-Naresuan Wildlife Sanctuary を突っ切るアドベンチャー道路の西の起点でもあります(東の起点は Ban Kliti Phon)。画像では白の点線で示してあります。次の村 Ban Ko Satoeng との間が一番の難所で、川渡りが20ヶ所ぐらいあります。その後は Ban Ti Lai Pa まで村はなく、孤独な山道です。途中ルートを外れて Ban Laiwo と Ban Salawa という村があり、乾季には4WDで到達できます。

Ban Ti Lai Pa の秘境度と到達困難度、行ったら自慢できる度は、ウンパン側からの Ban Lae Tong Ku に匹敵します。

--
マニア必見!Ban Sane Pong から Ban Ti Lai Pa までのトレッキングの様子↓
http://www.ourweb.info/01/photos/thailand/030/index.shtml (全9ページ)


[745] ふうみん 2007/03/24 00:50:31   

>T.I. さん、Muang Tamには二度行きましたが、いつも主祠堂の裏の駐車場から見学していましたので、よく考えてみたらInformation Centerには1度も行った事がありません。やはり、こうゆう場所には寄るべきですね。

カンボジアのクメール遺跡の下調べの為、遺跡群の地図を作りました。(UPします)この内のいくつ回れるのか分りませんが、色々と調べているのが楽しい時間です。
調べていて意外だったのが、アンコールの5大遺跡とか、6大遺跡とか言われている遺跡の場所が、地図やサイトによって、かなりいい加減でしたネ。そんな、些細な事を発見しました!


>Shinji さん、【第8回 続・サンクラブリ】ありがとうございます。
Ban Sane Pong から Ban Ti Lai Pa までのサイトの写真を拝見しました。緑と水が綺麗な、まさに「山紫水明」の地ですね。行って見たいなあという気がしますが、ヘビだけはイヤですね。

そういえば、3月21日付け朝鮮日報に【韓国が開発した「ミャンマー・ガス田」が中国の手に!?】と題して、「大宇インターナショナル60%、韓国ガス公社10%と、韓国側が計70%を出資し探査・開発に成功したミャンマー海上ガス田で生産される天然ガスの韓国への直接輸入が頓挫し、中国が独占購入することになりそうだ。…」との記事が載っていました。

お蔭様で、先日、ヤダナ・パイプラインを教えていただきましたので、記事の内容を直ぐに理解する事が出来ました。





[746] Shinji 2007/03/26 20:58:01   

【第9回 Muang Singh】
カンチャナブリの異色の観光スポット、ムアン・シン遺跡公園です↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/archive/kanchanaburi2/index.html

地図についてですが、
1.ドヴァーラヴァティー初期(6−7世紀)の海岸線を重ねてみました。このエリアは、その後陸地となってからもしばらくはマラリアの蔓延る湿地帯で、稲作や建都には適していませんでした。
2.ジャヤヴァルマン7世が1191年に仏像を奉納したと記録されている23のムアンの内、ムアン・シン付近のものを図示しました。当時アユタヤはまだロッブリの傘下にある小さな集落で、ナコンパトムは既に衰亡の憂き目に逢っていました。

私はクメール遺跡についてはあまり詳しくなく、ムアン・シンについても通説以上の事はわかりません。通説はこんな感じですか↓
http://www.thaiindochina.com/thaihistoricalpark-muang-sing.html

また、次の論文にムアン・シンについての一節(p278、3ページ半)があります↓
http://www.buddhanet.net/pdf_file/thai_cambodian_art.pdf


[747] ふうみん 2007/03/26 22:58:11   

Shinji さん、とてもうれしいですね!大好きなクメール遺跡。そして、クメール遺跡西端のムアンシン遺跡の衛星写真。

さらに、ドヴァーラヴァティー初期(6−7世紀)の海岸線の映像は、特に面白いですね。内陸のロッブリーの直ぐ近くまで伸びる海岸線。タイの一番南のクメール遺跡のペッチャブリーにも、直ぐ近くまでの海岸線。そして、ズーット後に現れるアユタヤはまだ海の中。

当時の海岸線の地図をしばし見つめ、今まで思っていた内陸で繁栄したタイのクメール遺跡のイメージと異なり、海・港・交易などの文字が頭を過ぎります。クメールの王道は海を渡ったのかな?などと、しばし、楽しい時間を過ごせました。ありがとうございました。


[752] Shinji 2007/03/27 18:38:58   

そういえば面白いモノを見つけました。東南アジアの勢力地図を、100 - 1550 CE (=AD) までアニメーションで示すという試みです。1年を1秒に短縮して、国境線(勢力線)がジワジワと動く様子は見ものです。Funan、Champa、Chenla といったなかなかイメージの沸き難い古代王国も、このアニメーションを見ながら勉強すればバッチリです。

Lanna と Ayutthaya の色が反対になっているのは愛嬌としても、ビルマ勢力が描かれていないのは残念でした。あそこもいくつもの王朝がかなり複雑な勢力争いをしていて、私も未だにチンプンカンプンなので。

このページで Khmer TimeMap をクリックすると、1.2MB のダウンロードの後にアニメーションが始まります↓
http://www.timemap.net/index.php?option=com_content&task=view&id=124&Iemid=
147






[757] ふうみん 2007/03/30 21:55:21   

>Shinjiさん、いゃ〜あ! とても、面白いサイトですね。私の僅かなインドシナ半島の歴史認識では理解出来ない事が大半ですが、それにしても色の変わり(勢力図)は本当に見ものですね。

書籍の東南アジア史の文章を参考の地図を見ながら読むのと、アニメーションで見るのは、訴求力の点で一段と違う迫力がありますね。クメール帝国の中のイサーンの位置付け、またタイの中のイサーンの位置付けが、なんとなく理解できました。いいサイトの紹介ありがとうございました。


[762] T.I. 2007/04/04 00:12:13   

こんにちは。
以前、人面獅子の話、代表例としてスフィンクスの話をされた事がありますよね。
昔、子供の頃、日本にライオンがいないのに、なぜ狛犬がいるのか不思議に感じていた事があります。
で、アジアをゆくシリーズの「獅子 王権と魔除けのシンボル」(文 荒俣宏)の本を買ってしまいました。写真がメインですが、読むのが楽しみです。
UPした写真は、Phimai国立博物館にあったシンハの像です。
一見、自分の胴体を食べた食いしん坊のカーラかと思いましたが、胴体(局所も、すみません。でも神様に仕える動物?なので勘弁ください。)がついているのでシンハのようです。
カーラとシンハの顔は、良く似ているようにも思います。





[764] ふうみん 2007/04/06 18:40:15   

私も、どこかのサイトか本で同じ様な図柄の写真を見て、「珍しいな!手足のあるカーラ像だ!と思ったことがあります」その写真を探して見たのですが、どうしても見つかりません。確か解説に「カーラ」?と書いてあったような気がしているのですが、定かではありません。

今回、他にも色々と捜したのですが、同じ様な図柄の写真には、やはり解説に「シンハ」、「ライオン」と書かれてありました。でも、ご指摘の写真はどう見てもカーラの顔に見えますよネ。頭の周りのタテガミ?で区別するのでしょうか。

UPした図はインドネシア、北スマトラ、バハル遺構の11〜12世紀のシンハです。こちらの方は怖い顔ですね。





[777] 朝太郎 2007/04/13 18:53:45   

こんばんは!
いつも感動しながら読ませて頂いています。

このホームページの表紙(?)の「タイとイサーンの地図」の「タイの地方・県別地図」の「Central&East(黄緑部分)」なぜか 地図と県名部分が合致してない部分があります。
他の地方はOKみたいですが。


[781] ふうみん 2007/04/14 11:37:53   

朝太郎さん、おはようございます。地図の不備のご指摘ありがとうございます。確かに地図の「Central&East」項の2から7までが間違っていましたので、早速訂正いたしました。汗顔の至りです。

この「タイの地方・県別の地図」を作った動機は、今年の9月に予定している1ヶ月の「タイ大周遊」の旅の基本パーツとして作りました。1ヶ月と言うと長いようですが、あれもこれもと考えると、とても日数が足りずに困惑しています。

そこに6月初めに予定しているカンボジアの「アンコール遺跡の旅」の計画と重なり、頭の中が整理できていません。何かごちやごちやの状態です。そこに長男の結婚式、引越しが重なり、手伝いの為腰痛になり5日ほどダウンしていました。

まあ、これから、ぼちぼち整理して行きたいと思っています。取りあえず「タイ大周遊」の予定ルート?をUPします。





[789] 朝太郎 2007/04/15 16:56:39   

ふうみんさん、こんにちは。
早速に対応していただきましてありがとうございます。
今月25日〜5月2日までイサーン方面にも足を伸ばす予定ですが行って見ないと分かりません。

「アンコール遺跡の旅」「タイ大周遊」期待しています。
お体大切にしてください。 


[794] ふうみん 2007/04/16 19:42:13   

朝太郎さん、いたわりのお言葉ありがとうございます。
あまり認めたくは無いのですが、やはり「歳だなあ!」と感じる今日この頃です。

今月25日〜5月2日までのタイ旅行ですか。いいですね。旅の中で面白いことがありましたら、是非この掲示板に書き込んでください。お待ちしております。

気をつけて、行ってらっしゃい。


[822] T.I. 2007/04/21 00:13:49   

こんにちは。
獅子の本を読みました。
私は知りませんでしたが、昔ライオンは、アラビア、インド、イベリア半島にも、生息していたようですね。でも、東アジアにはいなかった。
日本には仏教系の文物等にあった文様等で伝わって来た。
また地域によっては、エジプトのように人面のライオン(スフィンクス)や、東アジアのように顔がシンハで胴体が人間であったり、ペルシャのようにライオンと鷲が合体したりと、想像上の動物にも変化したようです。
写真は、SurinのPrang Wat Nong Bua Thoomにあった獅子?です。
昔はクメール遺跡でしたが、今はタイ仏教寺院になってました。でも、特に右の写真などは、シンボルを持って、ツノ?があるようにも見えるので、獅子ではなく、土地に伝わる想像上の動物?なのかも知れません。何なんでしょう?
タイにいる時、タイ人に聞いておけばよかったと後悔してます。





[824] ふうみん 2007/04/23 19:45:03   

T.I.さん、私も似たような動物の石像を何処かで見たような気がしましたので、思い出そうと勤めましたが、どうしても思い出せません。

写真を見ると確かに角がありますね。多分、ラチャンとかラチャシーという守護獣(獅子の王様)だと思いますが、ハッキリとは分かりません。タイには想像上の動物は結構いるみたいですね。返す返すもタイにいる時に聞いておられれば良かったですね。

それにしても、獅子や龍やナーガ等を調べますと、とても奥が深いですね。


[825] Shinji 2007/04/27 18:39:36   

ムアンシンとパノムルンの小話を行きます↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/archive/prasat/index.html

まずムアンシンですが、写真は1987年の論文のスキャンです。ムアンシン歴史公園(1987年オープン)の整備前の航空写真ですが、前にアップロードした衛星画像と比べて興味深いのは、
1.ムアンシン城壁内を道路が貫いていた
2.城壁内が広範囲にわたって耕作されていた
衛星画像では、この貫通道路の名残が城壁の北西端に認められます。そこにある住宅群(遺跡公園の職員用?)の通用口として残されたのかも知れません。

次にパノムルンですが、写真は例の航空写真集(The Aerial Views of Seven Khmer Sanctuaries)からです。地図と見比べてみると、歴史公園(1988年オープン)内のメンテナンス用道路が旧道の名残である事がわかります。なぜ旧道に平行するような新道を造ったのか?実はこの旧道沿いにはタイ空軍のレーダー基地があるので、観光客を遠ざけるために新道を造ったのかも知れません。

また、現在では駐車場の奥にある Wat Prasat Phanom Rung ですが、古い地図を見ると、遺跡に隣接していた事がわかります。これはよくあるパターンなんですが、遺跡公園の雰囲気を損なうとして移転されたんでしょう。

また、死火山としての Khao Phanom Rung の名残である噴火口について、航空写真ではAがそれっぽいです。BとCは人の手が入った貯水池ですが、これらも噴火口の一部をいじったのでしょう。火口跡は長径が300mあるそうなので、写真で旧道(点線)の左側の窪地は全部火口だったのでしょう。火山活動は60万年前には終了しているそうなので、Aの近くから出ている煙は、焚き火でもしているのだと思います。

なお、パノムルンの近傍にさらに3つの火山があり、いずれも火口近くに遺跡があります(Angkhan, Khao Tum, Plai Bat)。最後の地図 [Geology + SRTM + Mapmagic] で紫色の部分は、地表に火成岩が認められるエリアです。


【参考リンク】
ムアンシンの配置図、他 (独文)
http://www.thai-schick.de/WestThailand/Kanchanaburi/AmpoeSaiyok/Prasat
MueangSing/PrasatMueangSingHistoricalParkInhalt.htm


ブリラムの火山帯、他 (英文)
http://www.geocities.com/culturalcenter2001/exhibitions.htm


[827] ふうみん 2007/04/29 21:25:38   

Shinjiさん、いつも面白い画像ありがとうございます。

ムアンシンの歴史公園に整備前の航空写真と参考リンクを見て、この秋のムアンシン遺跡の訪問を楽しみにしています。

パノムルンの画像を見て、パノムルン遺跡だけでなく、近くの3つの火山の火口近くにクメール遺跡があることを知り、ビックリしました。あの辺りは前回に行く時、かなり詳しく調べたつもりでしたが、火口近くのAngkhan, Khao Tum, Plai Batとクティリシー遺跡近くのBan Bu遺跡についての情報は全くありませんでした。

火口近くの3つの遺跡に行きたいと思いますが、ちゃんとした道が無く困難のようですね。前回、この近くで道に迷い苦労した事を思い出しました。ムアンタム遺跡から南西側の農道みたいな所を行ったり来たりしました。でも、一つの遺跡でも行って見たいなと思います。

写真はパノムルンです。近くには、このような山が幾つもありました。それぞれが死火山なのですね。そこに、はるか昔のクメール遺跡がある。とてもロマンを感じますね。





[831] T.I. 2007/05/01 22:24:02   

T.I.です。
Khao Plaibat、Khao Angkhan、Khao Dumについて、みなさんからの情報を基に、これらの遺跡に行った事があるので、情報を少し。
Khao Plaibatは、Muang Thamのすぐ南西にあり、山の姿が、Phanom Rungに本当に良く似ている山です。遺跡は、Prasat Plaibat#1と#2があります。#1は、山の東の麓にある寺から、4kmの道(お坊さん情報)無き道(最初は少し道があったが)を子供達に案内してもらって行きました。#2は、西側の麓から山の上にかけてタイ寺院が有りますが、この寺から、ここも子供に案内してもらって行きました。
#1の方は、行く途中の頂き近くに池があり、何でこんな所に池が?Phanom Rungと同様に火口では?と思ってました。周囲には、木が生えてない溶岩の流れた跡のようなエリアも有り。
Wat Angkhanについては、確か24号線に、案内標識がありました。しかし、そこから先は、迷いながらたどり着いたような記憶があります。
ただ、頂上はタイ風寺院と一風変った新しい寺院があり、セーマ石がたくさんありました。クメール遺跡の痕跡は不明。また、どのセーマ石も写真のように腰布が風でたなびいた?姿のモチーフで統一されており、独特の雰囲気のある寺でした。
Khao Tumは、どこ?私は、Prasat Khao Dumへ行った事がありますが、同じ遺跡?この遺跡も、Phanom Rungの西方の山の上にありました。ただ、遺跡の名前も時々変っているらしく、今の名前は、Khao Lhubと言ってました。遺跡の痕跡はありましたが、タイ風寺院に変ってました。しかし景色はよかった。もしもこの遺跡の事でなかったら、すみません。
更にPhanom Rungの北方、Buriramのすぐ南にKhao Kradongと言う山があり、クメール遺跡があります。ここにも火口跡がありました。





[836] ふうみん 2007/05/03 19:56:00   

T.I.さん、この火口近くの山頂の3ヵ所の遺跡に行っていたとは!さすがですね。

3ヵ所の遺跡ともクメール遺跡の痕跡は無いみたいですね。クメール遺跡の代わりにタイ風寺院が建っている。何か残念なような、少し安心したような気分です。何故かと言うと、印象的な遺跡だと是非とも行かなくては!と思う反面、暑い中の山登りは勘弁してほしいと言う気持ちだからです。

クメールの山頂寺院の遺跡となると、10世紀頃に建てられたと考えていいのでしょうか?


[847] T.I. 2007/05/04 22:31:36   

こんにちは。
今週、2泊3日で別府、阿蘇、熊本等を周遊して来ました。改めて日本の温泉の値段の高さを実感しました。次は早目に安い旅館を予約しなければと思いながら、なかなか計画しないんですよね。

Plaibat#1,#2については、タイ寺院を基点に歩いて行く事になりますが、クメール寺院の一部は残ってます。Plaibat#1の写真をUPします。
Angkhanについては、クメール寺院の建造物跡は無かったように思いますが、同じモチーフのセーマ石がたくさん有り。車で頂上まで行けます。
Khao Dumは、痕跡はありましたが、少しでがっかりした記憶があります。ここも道は狭いけど車で行けます。
多くの場所を効率的に回るのなら、避けた方が良いのかもしれません。

建造された時期については、私には想像できません。時間軸についても暇を見つけて勉強して見ようと思います。





[848] ふうみん 2007/05/05 23:42:28   

T.I.さん、九州の温泉巡りですか!私も5年ほど前に九州の温泉巡りをしましたが、とてもよかった想い出があります。しかし、本当に日本の温泉旅館の宿泊代は高いですよね。タイ等では一室の値段ですから、日本のように一人毎の宿泊代だと家族旅行で2泊もすると、10万円ぐらい直ぐに飛んでしまいますね。

Plaibat#1の写真ありがとうございます。楼門は砂岩とレンガで造られており、まぐさ石の彫刻は無いみたいですね。この遺跡は、いかにもクメールの山頂の神殿といういい雰囲気ですね。また、他の山頂遺跡は車で行けそうなので安心しました。

写真は阿蘇の垂玉温泉山口旅館の露天風呂です。





[849] Shinji 2007/05/07 10:41:04   

はい、Khao Tum = Khao Dum = Khao Lhub (Lup) = Khao Lum (Loom) = Khao Dao Prasuk です。Angkhan と Khan Tum の遺跡は仏教寺院に押しやられていて、史料を求める考古学者以外にはアピールしないと思います。前者は前衛的な寺院(バンコクの有力者がパトロン)、後者は見晴らしの良さがチャームポイントです。Plai Bat のチャームポイントは山歩きでしょうか。

ブリラム市のすぐ南にある Prasat Khao Kradong の画像を追加しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/archive/prasat/index.html
この山(死火山)も、地形的には面白いんですが、遺跡は、
 「なんだ、こりゃ?」
という程度にしか残っていないです。


[850] ふうみん 2007/05/08 18:57:31   

Shinjiさん、Prasat Khao Kradongの地形面白いですね。この山にもクメール遺跡があるとなると、ブリーラム県を走っていて、山を見る度に皆クメール遺跡があると思ってしまいますね。

イサーンのムーン川流域に、クメールの有力部族の「マヒーンダラプラ家」が11世紀ごろから力をつけ、1080年にジャヤヴァルマン6世が王位についてピマーイ寺院を建立したとの事。

この時にピマーイとアンコールを結ぶ「王道」が整備され、このブリーラム県に残っているだけでも、61ヶ所ものクメールの建造物が多く建立された。と考えると、何か納得出来るみたいですね。

将来、この辺りのクメール遺跡を重点的に見学したいのですが、便の良い24号線沿いに適当なホテルが無いのが残念です。


[852] T.I. 2007/05/11 00:28:09   

こんにちは。
今、タイの火山の話題で盛り上がってますが、この連休に行った日本の代表的火山のひとつである阿蘇山は、何度行っても、その雄大さに感動します。
それに比べると、Phanom Rungや、Khao Kradongの噴火口は、人の手が入っているようで、少し残念です。
Khao Kradongの噴火口の写真をUPします。Khao Kradongも頂上まで車で行く事が可能です。参考まで。





[853] ふうみん 2007/05/13 13:19:05   

T.I.さん、これがKhao Kradongの噴火口ですか!ずいぶんと可愛い噴火口ですね。確かに阿蘇とは比べ物になりませんね。

今朝、早く起きて家人の「yayo」が北海道旅行に行くため羽田まで送ってきました。日曜日の早朝という事もあって、40分足らずで到着しました。改めて成田の不便さを痛感しました。

少し前までは、便の良い羽田からチャイナエアラインが出発しており、台北乗継でバンコクに何度も行った事を思い出しました。さらに良い思いでとして、二度ほどビジネスクラスにアップグレードしてもらった事です。最近はとんとそうゆう良い事はありませんね。(今はパソコンで往復の座席まで指定するせいだと思います)

羽田で飛行機を見て旅情をそそられて来ました。早く、旅に出たいな!





[854] Shinji 2007/05/21 17:31:23   

自宅のベランダからボケーッと夜空を見ていて、星がいくつか目に入りました。ちょうど息子が理科で星座の勉強をしていた事もあり、目を凝らしてよく見てみると、どうやら北斗七星のようでした。雲と人工照明のためにぼんやりとしか見えないので、デジカメで撮って確認してみる事にしました。

ソニーの DSC-S600、普及機でお世辞にも高性能とはいい難いんですが、マニュアル設定で露出を +2.0EV、感度を ISO 1000 にして三脚を使って撮影しました。写真をパソコンに転送して見てみるとそれらしきモノが写っていたので(添付画像上)、コントラストを上げるなどの画像処理をしてみたところ(添付画像下)、やはり北斗七星である事が確認できました。それにしても、これだけアンチョコに星野写真が撮れるというのも、ここ数年のデジカメとパソコンの発展の賜物です。

以前北タイで夜の山道を走っていた時に、ふと見上げると満天の星空が広がっていて、しばしエンジンを止めて見入った事があります。治安と運転に気をつければ、夜のドライブもなかなか乙なものです。





[855] ふうみん 2007/05/21 22:29:27   

Shinji さん、北斗七星きれいに写っていますね。「北タイの夜道で、ふと見上げると満天の星空!」いいですね。私も40年近く前、神戸から船に乗って復帰前の沖縄に行く途中、奄美大島の名瀬港で見た夜空一面の天の川は今でも脳裏に強く焼きついています。

先日、長男がモルジブに新婚旅行に行くので星座表を購入して来ました。その意気込みやよし!と感心したのですが、今日写真に撮るので開けてみた所、なんと使用した形跡は全くありませんでした…

この処、6月の初旬のカンボジア旅行を控え、メガネを新調しデジカメやスーツケースや小物の購入をしました。これは、この秋の長期旅行の準備を兼ねています。最初は1ヶ月の予定でしたが、あすこにもここにもと考えると後半月ぐらい期間を延ばさないといけないかなと、うれしい悲鳴を上げている今日この頃です。





[856] Shinji 2007/05/23 19:52:32   

タイは日本よりも赤道に近いので、天体観測の見地からすると、北極星がより低く見えるとか、日本からは見えない南十字星が見える(らしい)とかのトピックがあります。が、私が一番奇妙に感じたのは太陽の動きです。タイは北回帰線の南側にあり、このために夏至の頃には「太陽が北に昇ると」いう現象が起きます。添付の図は私がチョコッと計算してみたものなので、あるいは多少の計算ミスがあるかも知れませんが、大筋においてこんなところです。

計算によりますと、タイ(バンコク)で太陽が天頂まで達するのは夏至の54日前と54日後、今年の暦でいうと6月22日の夏至を挟んでそれぞれ4月29日と8月15日です。この間100日ほどは太陽が北に昇り、北窓から日がさす事になります。この日照パターンが文化人類学的にどういう影響を与えているか、おそらくタイでは日本に比べて「北・南」という方角の意識や意味づけが希薄なのではないでしょうか。いや、ただの思いつきなんですが。また、建造物の設計についても当然影響がありそうです(クメール遺跡を含めて)。

それにしても、「太陽は南に昇る」と子供に単純に教えられる日本は素晴らしい国です。(慣れない計算で頭がパンク状態)





[867] ふうみん 2007/05/26 17:14:00   

Shinji さん、タイでは夏至の頃には「太陽が北」に昇るのですか?!

この文章を読んで思い当たる節があります。例年6月の夏至の少し前にイサーンのドライブ旅行を楽しんでいますが、何度か方角を間違えた事があります。

走っていて方角を割り出すのに、太陽を見てそして時間を見て、正午の太陽は真南と考えて割り出しました。また、太陽は東から昇り西に沈むものだと思い込んでいました。方向感覚には自信があったのですが、この事が原因だった見たいですね。

実は先日、次回の旅から方角を間違い無いように磁石を買って来ました。100円ショップの安物ですが!





[868] toshi-ba 2007/05/27 08:39:58   

Shinjiさんのこの言葉
「この日照パターンが文化人類学的にどういう影響を与えているか、おそらくタイでは日本に比べて「北・南」という方角の意識や意味づけが希薄なのではないでしょうか」
何と無く分るような 車で道に迷って聞いても方角が あっち? 距離は? 遠い って応えられ 地図読めないのかな?って思って困ったり  

ふうみんさんにレンタカーでの旅行の楽しさを教えてもらってからの疑問が少し解けてきたような気がします

Shinjiさん ありがとうございます ふうみんさんもうすぐですね

最近はゴルフも(ノーザンランシット)1番左が僕





[869] ふうみん 2007/05/27 12:41:50   

toshi-ba さん、お元気そうですね。私はここ数年ゴルフにはご無沙汰しています。先日、腰痛で病院にてレントゲン写真を見せられた時、ああもうゴルフはダメだなと思いました。思えば若い頃から腰に無理をかけたものです。一応オフシャルは13まで行きましたが…

ところで、Shinjiさんのご指摘、とても面白いですよね!タイだけではなく、日本に於いてもこんな経験があります。青森に単身赴任した時、毎週末は車で温泉巡りを楽しんでいました。その時に夕日の方角が自分の感覚と何か違うのです。東京で生まれ育ち、静岡、滋賀、高知、神戸と転勤しましたが、その様な感覚は全くありませんでした。改めて地図を見ると本州は西から東に伸びて、東北地方から北に垂直近く曲がります。その為、青森の夕日は日本海の真ん中に沈みます。こんな事も住んでみて改めて実感しました。地元の人には当たり前の事でも、他の所から来た人間では何か違う感覚なのですね。

今週末から旅行に出ます。今回は久し振りにバンコク行きの朝便なので、成田のホテルに前泊しょうと思います。駐車場の代金が無料で。その上素泊まりだと一人4000円位ですので、かなりお得とだと思いますネ。これから、荷物を詰めます。





[874] T.I. 2007/05/30 23:43:26   

こんにちは。
実は、ふうみんさんのタイ本堂書店で紹介があった「アンコール王たちの物語」の本を、先週、読み終え、ますますクメールの歴史に興味を持ち、ガンボジアに、また、行ってみたいという思いを強くしました。現実的には、全く、予定はたちませんが。

ふうみんさん、今週、ガンボジアに向けて出発されるのですよね。
6大遺跡に行かれますか? 旅行記を楽しみにしてます。

UPした写真は、Banteay Samreにあった太陽神スーリアと月神チャンドラの破風です。





[881] ふうみん 2007/05/31 22:51:29   

T.Iさん今晩は、明日の夜に家を出発し、成田のホテルに泊まります。

今回のカンボジアは初めてですし、シェムリアップにはレンタカーもありませんので、タクシーをチャーターしょうと思いますが、どうなる事やら?いつものペースで遺跡を巡る事は出来ないと思います。

一応6大遺跡の内プリアヴィヘア(カオプラヴィハーン)を除き、コーケー、ベンメリア、バンテアイチュマールには行きたいな!と思っています。残りの2つは後のお楽しみにとって置きます。同じホテルに7泊8日の予定ですので、ゆっくりと遺跡巡りを楽しんで来たいと思います。

旅行記用に作成した、アンコールの遺跡地図をUPします。





[887] ふうみん 2007/06/17 20:15:14  

一週間前の日曜日にカンボジアから帰国し、掲示板に下記の文章を書き込みしょうとしましたら、何故か?書き込みが出来ません。

それから色々調べたりして、ハッキリ言って疲れました。そんな訳でこれからやっと旅行記の作成に取りかかります。


………昨日カンボジアから帰国しました。今回の目的の6大遺跡の内、コーケー、ベンメリア、バンテアイチュマールに行ってきました。

特にバンテアイチュマールは悪路を片道5時間、往復10時間掛かり、その疲れから未だに回復しておりません。バンテアイチュマールの遺跡自体は大変素晴らしく、千手観音(写真UP)のレリーフは評判どおりでした。また、近くのバンテアイトープのオリジナルの木の天井板とともに印象的でした。

コーケーのピラミッドからの展望や手付かずのベンメリアも感動的でした。なお、サンボールプレイクックと大ブリアカーンとプリアヴィヘアへは雨季の為、道路状況が悪く訪問不可能との事です。

旅行記をUP予定ですが、3000枚の写真と疲労の為、少し時間がかかります。それにしても改めて、カンボジアに比べタイの良さを実感した次第です。





[889] T.I. 2007/06/19 07:01:18   

お疲れ様でした。
バンテアイチューマールは、タイ国境に近い遺跡だと思いますが、おそらく舗装されてない道がほとんどだったのではないかと思いますので、本当に大変だったのではと想像します。
私は、バンテアイチューマールだけでなく、ベンメリアにさえ、及びもつかない距離ですが、プノンクレーン、クバルスピアンまで未舗装路を行きましたが、その時でさえ、翌日まで地に足がついた気がしなかった記憶があります。
また、バンテアイチューマールの近くにはオリジナルの木の天井が残っている遺跡があるのですね。知りませんでした。
旅行記を楽しみにしてます。

UPした写真は、クバルスピアンの川底のリンガとヨニです。





[890] ふうみん 2007/06/19 18:38:23   

T.I. さんの2007/01/02付けの投稿に
…地球の歩き方によると、アンコールワットの第3回廊の排水口にマカラの秀作があると記載があるので、誰か知りませんか?との質問がありました。

私も2度に渡り、アンコールワットの第3回廊を捜しましたが見つけることは出来ませんでした。

ところが、ベンメリアを見学中にマカラの排水口を偶然発見しました。ヤッタ!と喜んで、改めて写真を見たらピンボケです。すごく残念です。マカラの鼻が欠けていますが、多分小さな象の鼻が付いていたと考えます。たぶんアンコールワットのマカラも似たようなものだと思います。





[891] T.I. 2007/06/20 23:48:55 

私の投稿が載ってましたか?
本当は、アンコールワットのマカラはどこにあるのか、本中に記載される事を期待していたのですが。今度、本屋さんで見てみます。
でも、ベンメリアのマカラの情報及び写真、本当にありがとうございます。
私も、次にチャンスがあれば、手つかずの遺跡ベンメリアに行ってみたくなりました。
いろんな発見がありそうですね。
水を制する者、国を制する。水を治める事が、または、儀式を取り仕切る事が、王の資格のひとつであったと思うと、聖なる水をどのように流したのか興味があります。
このマカラは、どこにあったのでしょうか?主祠堂の北側?排水口の飾りだったのでしょうか?また、旅行記の中ででも教えてください。
クメール遺跡には、水を流す樋または溝が残っていたり、壁に穴があいていたり、偽扉の下に隙間があったり、穴など全く無かったりで、いろんなタイプの遺跡があるように思います。
UPした写真は、確かタイで一番古い遺跡Prasat Phum Phon(Surin)の主祠堂北側の壁にあった穴です。内側にも穴がありましたので貫通していたものと思います。私は、リンガに掛けた水をヨニで受け、樋を通して、水を流した穴だったのではないかと勝手に思ってます。





[893] ふうみん 2007/06/24 20:57:43   

現在、今回の旅行記「アンコール遺跡群への旅」を作成中ですが、今までと違い一つ一つの遺跡について調べなくてはなりません。そのため、机の周りは本だらけです。また写真も3000枚あり一枚ずつ見ますので、作成に時間がかかりなかなか進んでいません。

写真を見ながら思わず「よく歩いたものだな!」と思いました。実は先日から足裏と膝の痛みで通院治療中です。若いと思っても団塊世代、ガタが来て当然ですね。

今回、是非見たかったバンテアイトープの800年?前の天井板の写真をUPします。蓮の花が彫られています。