■行程3日目>コラートからスリンへ



  DAY3 437km (TOTAL 854km)
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■5:41

窓の外を見ると、椰子の木越しに仏教寺院が見える。

タイに来ている事を改めて実感する一瞬だ。


■6:23

早速、恒例になった早朝の街角ウオッチングに出かける。

まずは昨日通った市場に行ったが、残念ながら朝は人影が無かった。

少し走ると花屋がたくさん出ている。

花屋の反対側は大きな寺院で、たくさんの人がお祈りに来ており、早朝から賑わっていた。


■6:27

チュンポン門に行く。

タオスラナリ像が見える。

その前をサムローが走る。まるで、絵に描いたような光景だ。


■6:28

朝日を浴びて、逆光のタオスラナリ像。



■6:37 近くのお堀は朝日に輝いている。早朝の静かなコラート市街を走ると、歴史を感じさせる光景が展開する。


■6:51

そして朝食だ。さすがシマターニは、種類、味とも申し分がない。

本当にタイのホテルの朝食は素晴らしい。

ホテルの宿泊代は、デラックスルームで47ドル(約5000円)だ。


■7:30

今朝はホテルのロビーで、現地の日本人旅行代理店コラートマガジンの関口さんに会う。

今日から5泊のホテルの宿泊券をもらうためだ。スリン2泊、シーサケット、ウボン、アランヤプラテートが各1泊。

それぞれの都市のトップクラスのホテルが5泊で、5550バーツ(約15000円)だ。

1泊当たり3000円で、しかも二人分の朝食込みとは、非常にリーズナブルだ。


■コラートマガジンの関口さんから色々と情報を聞く。

カオプラヴィハーンの閉鎖が解除されたとの噂を聞いて、役所に確認の電話をしたが、昨日は日曜の為連絡が取れなかったという。「ふうみん」は、閉鎖が解除されたという噂に一途の望みを託す。

面白かったのは、タイでは出版物などは校正という作業が無く、間違っていてももそのまま流通してしまうとの事。

また標識などは、古い標識を撤去せずに新しい標識を設置するので、古い標識と新しい標識が混在しているという。まさにタイの面目躍如だ。

これからタームアン遺跡に行くというと、関口さんも行ったことが無く、大学の教授を乗せて行った事のある運転手がとてもわかりずらい場所にある。と言っていたとの事、などなど。


■8:30

関口さんと別れ、8時にホテルを出発した。

朝のラッシュで混雑するコラート市街を抜け、陶器の街ダーンクウィアンを通る。

そして、24号線に出て一路東へと快調に走る。


■9:07

ブリーラムに入った。

遺跡の看板を見ると、少しづつ気持ちが高揚してくるのが分る。


■9:34

ナンロン市街のガソリンスタンドで休憩する。

1年半前、最初のイサーンの旅で日本のツアー客と一緒になったガソリンスタンドだ。

とても懐かしい。


■10:14

再び24号線を進みプラコンチャイを右折して、219号線に入る。

ここの24号線の標識は、新しい219号線ではなく、古い2075号線のままだった。

今朝ほどの関口さんの話が、頭の片隅を過ぎる。


■10:51

219号線を南下すると、タームアン遺跡の標識があった。

左折して、カンボジア国境を平行する224号線を走る。

224号線を20キロ程進むと、右折の看板が出ている。

この看板には、タイでは珍しく11キロとの距離表示があった。

間違わずに遺跡まで行けそうだ。



■11:02 2407号線を10キロほど走ると、左側にタームアン遺跡があった。3つの遺跡群の最初の遺跡だ。

タームアン遺跡は、あのクメール王朝最強の王ジャヤヴァルマン7世の造った「王道」沿いの宿駅(宿泊施設)である。


■11:04

窓は片側のみで、紅土(ラテライト)を使用した建造物に白い砂岩の窓枠が調和して美しい建物だ。

長い拝殿と塔からなり、塔の部分は高さ13メートルだ。

内部に入ると、迫り出し構造がよく分る。

宿泊施設は木造建築だったため、今はその痕跡すら残っていない。


■11:10

まぐさ石が一箇所残っていた。



■11:15 数百メートル進むと、右側にタームアントッチ遺跡があった。

とても綺麗な遺跡だ。これは、ジャヤヴァルマン7世の造った「王道」沿いの施療院で、祠堂と経蔵を紅土で囲み手前には20メートル四方のバライがある。


■11:17

祠堂も完全に復元されている。


■11:21

「yayo」もお気に入りのようだ。

ただ、経蔵内に緑色の蛇がいたので少し気味悪がっていた。


■11:25

タームアントッチ遺跡から少し進むと、地雷注意の看板が出ている。

よく見ると、日の丸が描かれている。

JAHDS(ジャッズ)という、人道目的の地雷除去支援の会という日本のNPO団体の看板だ。


■11:28

さらに進むと道路は無くなり、そこにタームアントム遺跡はあった。

この舗装された道までが、タイ領か?

下記に掲載した、「Shinji」さんご指摘の舗装道路の終点の下り坂の先に遺跡がある。

ここが国境の分水嶺なのか?



■11:29 修復前、この遺跡はタイのクメール遺跡の中で一番美しいといわれた遺跡だ。前述の二つの遺跡よりも古い11世紀のバプーオン様式の寺院。


■11:30

このカンボジア国境に接する遺跡は、1980年代クメールルージュに占拠され破壊された。


■11:31

貴重な彫像はダイナマイトで外され、売り飛ばされたという悲しい歴史を持つ。

これは、つい最近の出来事だ。


■11:33

南側の20段の階段を下りると、森の中に小道が続いており、20~30メートル先に有刺鉄線がある。

そこはカンボジア国境だ。当然ながら対人地雷、不発手榴弾等があり中には入れない。

1000年前の遺跡に佇み、ほんの数十年前との歴史の対比は、照りつける太陽の下、複雑な思いが交差する。

とりあえず、マルローの「王道」に書いてあったシャム国境の遺跡を無事に見られて満足感で一杯だ。


■11:37

タームアントム遺跡のカンボジア国境について「掲示板」に書いたところ、バンコク在住の「Shinji」さんから下記の書き込みがありました。

貴重な情報なのでご紹介します。

[107] Shinji    2005/07/08  08:01:45

カンボジア政府が(非公式に) Prasat Ta Muan Thom と Prasat Sadok Kok Thom の領有を主張した時に、タイ政府は、後者に対しては一笑に付したのに対して、前者に対しては「国境線は未画定である」として修復作業を中断したというのは、それだけ「微妙」な状況を認識しているのでしょう。

Prasat Ta Muan Thom への舗装道路の終点まではタイ領内である事は問題ないのですが、当の遺跡はそこからやや下り坂の斜面を歩いて到達する事になります。

要するに、ここで分水嶺を越えるわけです。





■11:47

祠堂内には、自然石のリンガ、聖牛ナンディン、ヨニが一列に並んでいる。


■12:23

近くの国境沿いに、バイベーグ遺跡がある。

先程来た道を戻り、そして224号線を15キロ程走る。

そこを左折して、ダート道を5キロ程行った所に遺跡はあった。



■12:33 11世紀のレンガで出来た3基の祠堂が建っているが、祠堂の破損が激しい。

最初のアンコール都城からの「王道」は、この遺跡を経由していたと言う。その後、道の平坦なタームアン経由になり、早い時期に忘れ去られたのだろう。



■12:36 遺跡自体はたいした事が無いが、周りを見渡すと、北海道のような青い空と白い雲の下のたおやかでゆったりとした風景の中に、遺跡の朽ち果てた砂岩が多数散乱している。

さわやかな風に当たりながら、この景色を見ていると歴史の「栄枯盛衰」を感じる。多分昔はかなり大規模な遺跡だったのだろう。


■13:28

遺跡めぐりに夢中になってしまい、気が付いたら一時近くになっていた。

そろそろ、昼食にしよう。

219号線を北上し、24号線を右折してスリン方面に向う。

ガソリンスタンド横に東屋風のレストランがあったので入る。


■13:29

外の日差しは鋭いが、萱葺屋根の中は扇風機の風で十分だ。

先程のタームアン遺跡のデジカメ画面を見ながら、「yayo」と話が弾む。


■13:44

「雷魚のフライの餡かけ」をメインに、「ソムタム」と「カオパッド」とビールとコーラで昼食だ。

旨いタイ料理にビールを飲みながらの昼食。

遺跡めぐりの間の楽しいひと時だ。


■14:51

ゆっくり昼食をとった後、バーンプルアン遺跡を目指す。

24号線を東に進み、プラサートの街を右折して214号線を走るとまもなくあった。

遺跡の入口で30バーツの入場料を取られた。

上部の無い砂岩の1基の祠堂が建っている。11世紀のバプーオン様式のものだ。



■14:52 ここには素晴らしいまぐさ石のレリーフが残されている。


■14:53

こちらは破風のレリーフ。

ゆっくりと鑑賞する。



■15:41 214号線を30キロほど南下すると、国境のチョーンチョムに着く。いってみれば、この214号線は現代の「王道」だ。

カンボジアに陸路の入国はアランヤプラテートが一般的だが、このチョーンチョムもある。チョーンチョムは新しく開放的な雰囲気を持ったボーダーだが、タイのパスポートでなければ簡単にカンボジア入国できないみたいだ。越境を断念してスリンに向う。


■15:42

チョーンチョムの脇には国境警備隊の駐屯地があった。

国境を強く意識する。


■16:28

214号線を戻り、プラサートの街の中を走っていると遺跡の看板が見えた。

左折して田舎道を走る。そしてダートに道を行くと、そこにタノング遺跡はあった。

11世紀のバプーオン様式のもので、紅土の基壇しか残っていない。


■16:32

遺跡の中では、子供達が椰子の木に登り鳥の雛を取っていた。

その横では牛が草をかんでおり、のどかな光景だ。


■16:32

捕まえた雛鳥。今夜の夕食なのかな?



■16:42 夕暮れのイサーンの道をスリンに向う。陸稲の緑が目に優しい。

いくら見ても飽きない「ふうみん」の好きな情景。


■16:43

道にはみ出した食堂。

最初目にした時はビックリしたが、なれて来ると日常の風景だ。


■17:16

1年半ぶりのスリン、とても懐かしい。

スリンの駅前の風景。


■17:44

ベッカセームホテルにチェックイン。

最初スリンに来た時に、このホテルの近くのレストランで昼食を摂った。

その時このホテルを見、今度来た時に泊まりたいと思っていた。

部屋に入ると、思っていた通りホテルの質感は落ちる。ま~あ、仕方が無い。


■18:16

スリンの街の夕暮れ。

ひと休みした後、フロントの横のタイマッサージ店でマッサージを受ける。

二時間300バーツ。

「yayo」のマッサージ師は旨くなかったと不満顔だった。


■20:56

夕食はナイトマーケットの屋台にしょう。

場所はホテルから近い。


■21:03

一通り見た後、一番旨そうな屋台でガイヤーンを2人前と、ソムタム、カオニャオを頼む。


■21:08

そして「ふうみん」は、他の屋台からカキのオムレツを買い、商店からビール2本とコーラを買ってテーブルに運ぶ。

これが今夜のメニュー。


■21:23

屋台の裏のテーブルで、ナイトマーケットの人々を見ながらの食事もまたいいものだ。


■21:32

ソムタム屋台のおばさんがポーズをとってくれた。

後ろはおかしそうに笑う「yayo」。

屋台の人とふれあいも出来、全部で190バーツの楽しい夕食だった。


■21:45

そろそろマーケットも終わりの時間だ、スイカとトウモロコシを買って、ホテルに帰る。




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