イサーンの大地走行2000キロプラス イサーンについて私が知っている二、三の事柄
01、イサーンの語源
「yayo」 ふうみん Q&A
タイの中で東北部だけ「イサーン」って呼んで、他の北部や南部や東部は、そのまま呼ぶのはどうしてなの?
やはり歴史的に見ても「イサーン」は、タイ族固有の国とは違う国という意識があるんじゃあないかな。「イサーン(Isaan)」って呼ぶのは、かってカンボジアの一部とタイの東北部を支配していた、モンクメール語族の王国「イーシャーナ(Isana)」を意味するサンスクリット語に由来という説があるんだ。
その、「イーシャーナ王国」っていつ頃の国なの?
イーシャーナ王国は、1世紀から6世紀にかけて栄えた扶南(ふなん)王国の前の王国名というんだけど?
ずいぶん昔の王国の名前なのね。前に教わったクメールの歴史にも出ていなかったし、私は歴史に登場する王国は扶南からだと思っていたわ。
そうだよね。「ふうみん」もこのイーシャーナ王国を調べたけど分らないんだ。当時の文字による記録が無いために、中国の文献にたよるしかないんだ。 文献によると、3世紀の中頃に呉の使節として朱応と康泰を扶南国に派遣したとある。7世紀に扶南の北部に成立した真臘(しんろう)は、都をイーシャーナ・プラ(伊奢那城)に定め、イーシャーナヴァルマン王(伊奢那先代)は616年に中国に使節を送った。そして真臘はほどなく扶南を併合してしまう。余談だが、この併合された扶南だが、542年にタミル人のクドゥクルが百済使の一人として、扶南の「財物と奴」を倭国に献上してきたことが「日本書紀」に見え、文献に表れたイサーンと日本との最初の関係の記述なんだ。
ふ〜ん。扶南なんて日本と全く関係ないと思っていたわ。その扶南の都や王の名前もイーシャーナって云うのは興味深いわね。扶南を併合した真臘が、確かクメール王朝の始まりね。
あと有力な説として、「イサーン」の語源は古代インド語の東北を意味する「イーシャーナ(東北)」の古代インド語のタイ・ラオス語式発音からイサーンとなったとも言う。
古代インド語といえば。先程のイーシャーナ王国も古代インド語(サンスクリット語)ね古代インドの影響力は大きいのね。確か、イーシャーナってヒンドゥーの神様がいたわね。
イーシャーナは「支配者」の意味で、「リグ・ヴェーダ」ではルドラ神の別名として用いられ、のちにはシヴァ神を意味するようになったといわれているんだ。もっと調べていくと面白いことが分ったんだ。
どんな事が分ったの?
前に密教はヒンドゥーの影響を受けた話をしたけど、空海が製作したと云われる「十二天」の方角を守護する八神の北東を護るのが伊舎那天(イーシャーナ)なんだ。という事は「ふうみん」はこの説が正しいと思うね。
クメールの遺跡もそうだけど、タイの事を調べるには、ヒンドゥー教や仏教の発祥地の古代インドを勉強しないといけないんだ。
古代インドだけじゃあないんだ。中国も大事なんだ。興味深いのは、ナムチャオ(Mam Chao)と呼ばれるタイ族が中国の雲南や四川に住んでいた。その、タイ族が南下した民族大移動を促した原因が、鎌倉時代に日本にも来た「元寇」だったんだ。元のクビライは、最大の制圧目標である南宋を背後から攻撃するために雲南へ遠征軍を送った。この雲南進攻が、タイ族などの南下に拍車をかけることになったわけだ。
それすると、今のタイ国のタイ族は中国の「元」に追われて南下して今のタイに来たのね。さっきのインドといい中国といい、すごい影響があったのね。
そう、だから東南アジアの大陸部は、インドとシナを併せて「インドシナ半島」って云うんだよ!
最後に、タイ王国に併合された「イサーン」はその後どうだったの?
18世紀に、フランスがラオスをインドシナ連邦に組み入れて、タイがラオスとの東北部の国境線を明確にする必要に迫られるまで、「イサーン」はタイの歴代王朝からかなりの自治を任されていたんだ。そんな事も「イサーン」がタイの中で異色な地方と云えるんだと考えられるね。「イサーン」が今の県(ジャンワット)制度に組み入れられたのが1933年と最近なんだ。
イサーンの歴史年表
西暦(年) 事項
1世紀頃 「扶南」興る
3世紀前半 「扶南王」范蔓がマレー半島を服属させる
3世紀中頃 「呉」が朱王と康泰を扶南に派遣
514年 最後の「扶南王」ルドラヴァルマン即位
7世紀初め 「真臘」建国
616年 「真臘王」イーシャーナヴァルマンが初めて中国に遣使
707年 「真臘」分裂
802年〜
850年
第1代、ジャヤヴァルマン2世即位。「クメール王朝」創始
889年〜
910年
第4代、ヤショーヴァルマン1世登位。アンコールを王都と定める
11世紀 タイ族の集団移動開始
1080年〜
1113年
第16代、ジャヤヴァルマン6世即位。ピマーイが建立された
1113年〜
1150年
第18代、スーリヤヴァルマン2世即位。アンコールワットの造営
1181年〜
1220年
第21代、ジャヤヴァルマン7世即位。アンコールトムの造営開始
13世紀初め ジャヤヴァルマン7世、アンコールトムを完成
1238年 イントラチット王が「スコータイ王朝」創始
1296年〜
1297年
周達観、元朝の使節に同行しアンコール訪問。石造金箔のこの大都市を「富貴真臘」と褒め称えた「真臘風土記」を書く
1350年 ウートーン王が「アユタヤ王朝」創始
1431年 アユタヤの攻撃によりアンコール王都陥落


空海が製作したと云われる「十二天」
東方 帝釈天(インドラ)
東南 火天(アグニ)
南方 閻魔天(ヤマ)
南西 羅刹天(ラクシャサ)
西方 水天(ヴァルナ)
西北 風天(ヴァーユ)
北方 毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)
北東 伊舎那天(イーシャーナ)

梵天(ブラフマー)
地天(プリティヴィー)
日天(スーリヤ)
月天(チャンドラ)


イサーンのロゴ
TAT(タイ国政府観光庁)発行のISAN MAPの
バーンチャン遺跡の壺と恐竜と唐辛子のロゴ




  

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