イサーンの大地走行2000キロプラス タイ(イサーン)のクメール遺跡
タークワイ Prasat Ta Khwai




道路の突き当りがタークワイ遺跡の入り口。 左側の空き地に車を停める。右側の建物は公衆トイレ





遺跡名
タークワイ Prasat Ta Khwai
(カンボジア名は Prasat Ta krabey)
場所 スリン
Surin

Tambon Bak Dai, Amphoe Phanom Dong Rak, Chang Wat Surin 32140
位置情報 14.352720, 103.373666
創建年代 12世紀ごろ
見学日 2017年11月
配置図



コメント

●概要…タイとカンボジア国境線上に一基の祠堂が建っている。思っていたよりも大きな建物で高さは20メートル以上あるだろう。

祠堂に彫刻類は一切なく、一見シェムリアップのタケオ(Ta Keo)に似ている。タケオは、スールヤヴァルマン5世が11世紀前半に創建した神殿だ。

この祠堂をクメールの建築学的に見ると、砂岩造りで四方に出入り口を設けてある。その出入り口に前室を設け、構造的に補強した様式は12世紀前半のものであり、タケオとは1世紀の違いがある。

むしろ、ここから西に12キロほど離れた国境地点のタームアントム(Prasat Ta Muan Thom)との近似性を感じる。

散乱した砂岩の構造材は自然に落下したものか?それとも戦闘でか?・・・2011年4月22日の早朝、タイの声明によると、カンボジア軍は重武器でタークワイ遺跡地区で発砲した。 カンボジアの報道官は、タークワイの祠堂が破壊されたと報じた。

祠堂内部の中心には、白い岩が地中から突き出ている。これは、自然石をリンガに見立てたタームアントムに似ている。これが、リンガだとしたらタークワイ遺跡はシヴァ神殿となる。

●行き方…24号線から2397号線に入る。2397号線を走っていると、「TA KHWAI SANCTUARY」との標識が出ている。ここを右折して少し走ると、また標識が出ているので、左折すると13キロほどでタークワイ遺跡に着く。

この辺りの道路はカンボジア国境近くとあって、防衛上の理由からかグーグルマップに明確に記されていないので迷う。ドライブには最新の注意が必要だ。

●一口メモ… 「ふうみん」は両国兵士の記念撮影した。お互いの兵士はフレンドリーで、国境線上の緊迫感はなかった。

タークワイ(Prasat Ta Khwai)への思い

タークワイ(Prasat Ta Khwai)を知ったのは、「Shinji」さんの掲示板への 2006/8/23 の投稿だった。
そして、「T.I.」さんが実際に訪問した詳しい様子を 2007/01/07 に投稿してくれた。
その投稿を受けて、「ふうみん」もこの遺跡の近くを何度も走ったが、タイ語が全く分からないのでタークワイへの訪問は無理だった。
数年前に、「東南アジアの遺跡を歩く」の著者の高杉さんから、タークワイへ行けますよ!とのメールをもらい、実際に行った話を直接会ってお聞きした。
イサーンに行く機会があれば、ぜひともタークワイを訪問したいと思っていた。



[378] Shinji 2006/08/23 21:50:31

ブリラムのクメール遺跡というと、在野の考古学者の Asger Mollerup 氏が遺跡のGPSデータを公開しています↓
http://www.sundial.thai-isan-lao.com/buriramkhmersites.html
GPSと地図を頼りに遺跡を目指してオリエンテーリングするのも一興がありそうです。

彼とはたまにメールのやり取りをするのですが、なかなか精力的に遺跡調査をしているようです。レアモノとしては、Ta Phraya の北、ダンレック山脈の頂に位置する Prasat Sra Chaeng や、Ta Muan の東12km、やはりダンレック山脈の頂に位置する Prasat Ta Khwai の話が面白かったです。

前者はサケオ観光地図(サケオ県の主要観光地に設置されている看板)には載っているものの、けっこうな山登りが伴う超マイナースポットです。後者は国境線を跨ぐような位置にあるので、訪れるには然るべき紹介状と国境警備官のエスコートが必要です。



[650] T.I. 2007/01/07 10:21:05

T.Iです。
バンコクでテロが発生した当日、何も知らないまま、家族は無事帰国しました。
私のタイの任期は、1月末までですので、家族が帰国してしまったし、最後の追い込みで、また、遺跡めぐりに出かけてきました。
写真は、Shinjiさんの情報にあったPrasat Ta Khwaiです。
国境を警備している軍の最初の基地(No.2602の看板あり)まで車で、山の麓に飛び石状態にある第2の基地までバイクで、そして遺跡までは徒歩で登りました。
この遺跡自体、タイ領か、ガンボジア領か決着がついてなく、かつ、周辺には、地雷が埋まっており、最初の基地以降は、銃器を持った軍の兵士の同行となります。
(参考までに、基地の隊長、兵士は、英語はしゃべれませんでした。)
発見されて間もない遺跡ですが、欧米人、タイ人は、年間、調査目的の人も含め100人程度訪れているとの事。日本人も、誰か調査等で訪れているはずだと思いますが、同行した兵士は、私が初めてと言ってましたので、もし、本当であれば、少し嬉しく思ってます。
Dangraek山脈自体は、タイ側から溶岩がガンボジア領に流れて固まったような地形(私の勝手な想像です。)をしてますので、タイ側は、なだらかな斜面ですので、大した体力は無くても登れる山のように感じました。
(兵士の足は早く、約1.5km, 30分程度の登山。多少、足場が悪い所あり。雨季は、登れないとの事。)
しかし、怖いのは、やはり周辺に地雷が残っている事。また、Jangleの中なので、毒蛇、マラリア蚊等の危険は、想定する必要があるのかもしれません。
(タイ国内の、低くても道無き山を、現地の子供達に案内されて登った事がありますが、この子供達は怖くないのかと感じた事があります。私は、大人になって、ちょっとした草むらに入る事自体が怖い。)
将来的に、第2の基地(今は電気も着て無い。)まで、良い道ができる事はあるかもしれませんが、遺跡自体、岩と木に囲まれた狭いスペースに目いっぱい立っているように見えますので、地形的にでかい道はつけれそうにない、つけて欲しくないと言うような感じです。
ニンジャQさんが、そろばんを教えられているクーイ族(スワイ族)と、この遺跡の名前のTa Khawi(タイ語で水牛)、Ta Sawai(クメール語でマンゴ)と関係あり??
兵士は、遺跡を見つけたのが、Sawaiさん(ニックネーム)で、今はなまってKhawiと呼んでいるんだと言ってました。本当??
でも、遺跡を造ったのは、クーイ族の方と思います。

写真
国境警備兵がいろいろと尋ねてくる この階段を数分歩くとタークワイ遺跡だ
タークワイ遺跡に到着
祠堂の高さは20メートル以上あるだろう 祠堂の石組
祠堂は南向きに建てられている まぐさ石や側柱に彫刻はない
白い自然石をリンガに見立てたのか? 祠堂内部の石組
散乱した石材 前室の石組
カンボジアの兵士 タイとカンボジアの兵士と記念撮影
遺跡の建造石材は近くの岩から切り出した 彫りかけの尖塔の蓮の花






イサーンの大地走行2000キロプラス タイ(イサーン)のクメール遺跡