遺跡名 |
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ワット スパタナーラーム Wat Supatnaram |
場所 |
ウボンラチャターニー
Ubon Ratchathani
Tambon Nai Mueang, Amphoe Mueang Ubon Ratchathani, Chang Wat Ubon Ratchathani
34000 |
位置情報 |
15.225762, 104.853424 |
創建年代 |
まぐさ石は、
サンボールプレイクック様式
(Sanbor Prei Kuk Style) |
見学日 |
2017年11月 |
配置図 |
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コメント |
●概要…「Wat Supatnaram」はイサーンで最初に建てられたタマユット派の寺院。 この寺院に来た目的は、「サンボールプレイクック様式」のまぐさ石を見たいからだ。
「ふうみん」は以前も この寺院訪問したことがあるが、何処にあるか分からなかった。今回は、事前に「東南アジアの遺跡を歩く」の著者の高杉さんに会い、本堂とは別の建物にある事を確認して来た。
そのまぐさ石の保管場所は、寺院の博物館にあると確信して迷わずに入る。しかし、博物館の中には、目的のまぐさ石がない。この博物館の中にあると思っていたので、内心焦ってくる。
目的のまぐさ石の載っているタイ語の本を持ち出し、該当ページを開いて受付の僧侶の所に行く。
僧侶は本に掲載されている写真を見て頷き、別棟に案内してくれた。しかし、写真撮影は「ダメ」だという。 |
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(タイ語の本) |
そんな殺生な!わざわざこの本を頼りに日本から来たのに!と訴える。
僧侶は困惑し、責任者である高僧の所に連れて行って頼んでくれた。高僧は本を熱心に眺め、撮影を許可してくれた。「ふうみん」はお礼を述べて深く頭を下げた。
・「Wat Supatnaram」に保管されているまぐさ石
このまぐさ石は、クメールで一番古いサンボールプレイクック様式(Sanbor Prei Kuk Style)だ。ビブンマンサハーンの「Wat Sra
Kaeo」から運ばれて来たという。このまぐさ石に10年越しに会えて感激だ。
扶南の属国であったクメール(真臘)は、北のチャオプラヤ川からムンリバーを伝ってメコンに到達した。そして、600年頃にマヘンドラヴァルマン(質多斯那・チトラセナ)が第4代の王位に就き、メコン中流域からカンボジア北西部までを領域とし、サンボールプレイクック都城の南グループを建立した。
そのマヘンドラヴァルマン王は、コンケーンまで兵を進めイサーンの地に凱旋碑文をいくつか残した。そして、その後にこの地を放棄したようだ。とすると、このまぐさ石はその時代に造られたものなのか。
サンボールプレイクック様式(610〜650年)とは、インドの建築装飾であるマカラを両端に配し、その口から吹き出されたアーチ上に1つか3つのメダルが配置され、下に花輪(蓮の花)が垂れ下がる。しばしば、マカラの上に乗る人物が彫られる。
・「Wat Supatnaram」に保管されているその他の遺物
石碑の碑文は、古代クメール文字でマヘンドラヴァルマン王の凱旋碑文らしい。
付け柱の守門神(ドバラパーラ)は、スリンにあるシーコラプームと同じ頃ものだ。ということは、12世紀のスルーヤヴァルマン2世の治世のものかな。
●行き方…ウボンラチャターニー市内中心部のムーンリバー沿いにある。
●一口メモ…上述したが、遺物の保管所内は撮影禁止なので注意されたし。
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