行程3日目>総社古墳群を見学し、帰路に就く



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草津温泉



■6:53 早朝の草津温泉の「湯畑」を散策に出かける。



■6:53 何時もに比べ、さすがに人出は少ない。


■6:55

「湯畑」の周りを散策する。


■7:09

共同浴場の「瑠璃の湯(湯畑源泉)」がひっそりと建っていた。

草津温泉の共同浴場はかなり入ったが、ここは知らなかったな~あ。



■7:10 田島屋旅館の置物が、いつ見てもいいなあと思う。


■9:24

「飯島館」をチェックアウト。


前橋市総社歴史資料館


■11:13

「前橋市総社歴史資料館」に到着。

展示室では、「総社古墳群」、「山王廃寺」、「秋元氏」についての出土品やジオラマなどを展示している。

見学目的の「総社古墳群」は、大型前方後円墳の5世紀後半から、方墳に変わった8世紀初頭にかけて築かれた古墳群。


■11:15

山王廃寺、塔心礎。

塔心礎とは、建造物の柱などを支える礎石のうち、塔の心柱を支える石で、他礎石より大きく、舎利孔(しゃりこう)という鎮檀具(地鎮のため地下に埋められた品物)を納める穴がある。


■11:17

山王廃寺、鴟尾(複製)。

鴟尾は屋根の棟むな飾かざりで、現存する石製鴟尾はわずか数例のみという。


■11:17

家型石棺(複製)。

愛宕山古墳出土。



■11:23 ガラス越しの庭には、複製の埴輪が置かれていた。



■11:24 古墳群から、出土した埴輪。


蛇穴山古墳


■11:28

先ずは、「前橋市総社歴史資料館」と地続きの「蛇穴山(じゃけつざん)古墳」から見学しよう。

蛇穴山古墳は、総社古墳群の中の最後の古墳。

古墳時代(7世紀末)の建立。



■11:30  「蛇穴山古墳」は、一辺39m前後の方墳で、墳丘の高さは約5m。墳丘の周囲に、二重の周掘を持っている。二重の周掘を含めた一辺は約82mに及ぶ。


■11:30

横穴式石室は、天井・奥壁・左右壁とも面取りされた一石の輝石安山岩で組み立てられている。

玄門は、奥幅90cm、前幅80cm。


■11:30

7世紀末に構築された古墳には、石材加工技術のすばらしさと仏教文化の影響が感じられる。


■11:31

「蛇穴山古墳」の横を、「五千石用水」が通っている。

この用水路を利用して、米の取れ高が五千石増えたことから、この名称がついたという。


宝塔山古墳



■11:33 「前橋市総社歴史資料館」と道路を隔てた所にある「宝塔山古墳」。 宝塔山古墳は、古墳時代(7世紀後半)建立の方墳。 墳丘高12.4m、一辺約60mで、周掘を含めた規模は、一辺約100m。



■11:36 墳丘の上は、総社藩主秋元氏歴代墓地として利用されている。



■11:41 墳丘の南側中腹に横穴式石室をもち、この石室は、羨道・前室・玄室の三部分からなっている。壁・天井には、面取り加工された安山岩が使われており、漆喰を塗った跡が見られる。


■11:42

玄室には、長さ2.3m、幅1.3m、高さ1.33mの家形石棺がある。

石棺の蓋石の側面には、方形の縄掛突起を造りだし、脚部には格狭間の手法が認められる。



■11:44 「秋元山江月院光厳寺」。この山号は、総社城の城主であった秋元長朝、妻の江月院と母親の光厳院の名を連ねて、菩提寺を命名したという。


総社二子山古墳



■11:53 「総社二子山古墳」は、二段に築造された前方後円墳で構造の異なる2つの石室をもっている。石室はともに江戸時代に開口し、出土品の一部は東京国立博物館で所蔵してる。


■11:54

この古墳は、総社古墳群中最大の規模であり、有力な豪族が存在したことを物語っている。

墳丘全長は、89.9m。前方部は、幅61m、高さ8m。後円部は、直径44m、高さ7m。

古墳時代(6世紀後半)の建立。


愛宕山古墳


■12:00

「愛宕山古墳」は、一辺約56m、高さ8.5mの方墳。

古墳時代(7世紀前半)の建立。



■12:01 石室が見学できるはずだが、古墳に登る道が分からず断念する。 


遠見山古墳



■12:10  「遠見山古墳」へたどり着くのは難航した。南側から入ったが、道が狭くすれ違えない。それらしき脇道を入ったが、他人の土地で、目の前の古墳にはたどり着けない(写真)。北側の城川公民館から、やっとたどり着けた。


■12:16

「遠見山古墳」は、5世紀後半頃に造られた前方後円墳で、総社古墳群の中で最も古い古墳。

墳丘の長さは約70mで、周掘を含めると全長100mを超える大型古墳。



■12:17 ここからは、人物埴輪などの遺物が出土している。また周掘には6世紀初頭に噴火した榛名山の火山灰が堆積していたことが確認できる。

なお、 江戸時代に築造された総社城の城内にあり、墳丘が遠くを見るための櫓として利用されたことから、この名がつけられた。


帰宅へ


■13:17

「道の駅 玉村宿」で昼食を摂る。

季節限定の冷やし中華が美味しかった。

この道の駅に連接して「高崎玉村スマートIC」がある。


■13:48

「高崎玉村スマートIC」から、関越道に入り、圏央道「相模原IC」を目指して走る。




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