旅を終えて



金戒光明寺の「会津墓地」には、352霊が祀られている。



京都と下関の光と影
昨年の冬、「北九州・男旅」で下関を観光した。そして、今年は同じメンバーで京都を観光したが、この2つの都市で歴史の面白さといおうか、光と影、特に今回の京都では影の部分を強く感じた。

まず、京都大原の「寂光院」である。寂光院は、平家物語に登場する「建礼門院徳子」の隠棲の地として知られている。

建礼門院徳子は、平清盛の娘で安徳天皇の生母である。1185年、昨年見学した下関の壇ノ浦で、平家一門は滅亡した。この時、徳子は生き残り侍女の阿波内侍とともに尼となって寂光院で余生を送った。

その御庵室跡に立つと、まさに平家物語の「諸行無常」を感じざるを得ない。

この寂光院の本堂は、2000年5月9日の放火で焼失した。堂内にあった徳子と阿波内侍の張り子像(建礼門院の手紙や写経を使用して作ったものという)も焼けてしまったという。

寺の名前の「寂」の字が、心に染み入る、寂しい寺である。

建礼門院徳子の陵墓は宮内庁の管理下にあり、境内から切り離されている。



続いて、「金戒光明寺」を見学した。金戒光明寺は、会津藩主松平容保が1862年9月に京都守護職に就任すると本陣となった。

会津藩士1,000人が金戒光明寺に常駐し、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き治安の維持に当たらせた。

境内の墓地の片隅に「会津墓地」があり、幕末の動乱でなくなった戦死者等352名が祀られている。

昨年訪れた下関の城下町長府の「維新発祥の地の碑」を始め、明治維新の立役者の像などが誇らしげに建っている。輝かしい歴史がそこにはあった。

敗者である幕府軍の中心をなした会津藩の墓地は、まさに負であり、歴史の影の部分である。

通常、歴史は勝者の正当性を記したものに塗り替えら、敗者の歴史は片隅に追いやらてしまう。だから、歴史は両面から眺めるとより面白い。

それは歴史だけでなく、すべての事柄に通じる事だろうと思う。

しかし、馬券を色々な面から検討すると、迷った挙句にかえって当たらないんですよネ~。
2016年6月
「ふうみん」


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