旅を終えて



城下町長府のバス停近くにある「維新発祥の地」の碑。



関門海峡の歴史的面白さ
下関駅からバスに乗車して城下町長府を目指した。その途中で、道路標識にハングルが併記されているのに気がついた。ローマ字ではなく何故ハングルなのだろう?と、ふと疑問に思った。そうか、関釜フェリーが通っているからだと納得。

関釜フェリーは、韓国のフェリー会社との共同運航により、夜行便を毎日一往復運航している。運賃は9000円で、各港を19時に出発して翌朝8時に到着する。直線距離で200km弱である。

改めて、韓国との距離の近さと韓国人観光客の多さを実感した。そう言えば、江戸時代に朝鮮通信使が日本に上陸した地点も堂崎の浜(下関)だった。

また、1800年前に中国の秦の始皇帝の子孫・功満王が、日本への帰化を求めた豊浦宮は長府にあった。仲哀天皇に蚕種献上したとの伝説がある。

神功皇居の熊襲征伐も下関から船出をし、元軍の使者が来たのも室津(下関)だった。ザビエルの本州への第一歩も下関だった。

(関門海峡)

源平合戦の壇ノ浦の戦いで平家は滅亡し、その近くの船宿から発った武蔵は、関門海峡に浮かぶ巌流島で小次郎と対決した。

幕末、馬関戦争で連合国の艦船により馬関海峡の砲台は破壊された。下関の伊藤家本陣にはシーボルトや吉田松陰も泊り、坂本龍馬は西郷隆盛を待っていた。高杉晋作は長府の功山寺で兵をあげる(功山寺挙兵)。

春帆楼での伊藤博文と李鴻章による日清講和条約の締結。昭和初期の門司港の旧大連航路上屋は、大連・欧州航路などで40航路が就航する国際旅客ターミナルだった。

そんな事を思うと、この地はまさに歴史の交差点といえる。これから、小説やドラマ等で関門海峡近辺が出てくると、状況を理解するのに役立つだろう。

今回の旅は、グルメや競馬の面白さの他、歴史の舞台となる地点の面白さを再認識させてくれた旅でもあった。

・・・これで競馬で勝っていれば、と思うのはチト欲張りですかネ。
2015年3月
「ふうみん」


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