行程1日目>東北道、八戸道を北上し、久慈へ



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■3:15

歳をとると朝が早い。4時半に起きて、5時に家を出る予定だったが、2時過ぎに目が覚めた。

もう一眠りしようと思ったが、家人の「yayo」も起きていたので、少し早いが出発だ!

9月29日(日)の3時に自宅を出て、「東名横浜町田IC」に入り、青森県八戸を目指して走る。


■5:22

自宅から2時間半運転し、流石に疲れてきたし、お腹も減った。

那須高原SA」で、朝食を摂ろう。


■5:31

「ふうみん」はまる天そば、「yayo」は掻き揚げうどんを注文。

その掻き揚げの大きさにはビックリ!沼津港の「丸天」の掻き揚げを思い出す。

味は、まあ!こんな物でしょう。値段は600円。


■9:00

北上JCT。

東北道を青森に向かい直進する。


■9:22

東北道紫波SA」でコーヒータイム。

ここで、給油する。自宅から552キロだ。

ガソリンは@161円と、相模原の自宅周辺のスタンドに比べ10円以上高いが、仕方が無い。


■10:17

岩手山(2058m)を、左手に眺めながら快調に飛ばす。


■10:35

安代JCTで、東北道と別れ「八戸道」を初めて走る。

「ふうみん」は、平成10年に半年ほど青森市に単身赴任していた。

その時には、まだ八戸道は全線開通していなかった。


■11:15

八戸道八戸IC」を出る。

自宅を出てから8時間15分と、思っていた以上に順調なドライブだった。


■11:27

先ずは、「是川縄文館」を見学しよう。

是川縄文館は、是川遺跡や風張遺跡などを通して、東北地方の縄文文化を発信する施設。

平成23年7月に開館したばかりの真新しい建物だ。

入場料は250円だが、SAでもらったパンフレットで無料だった。


■11:34

遮光器土偶」が展示してあった。遮光器土偶は、縄文時代晩期のものが多い。

完全な状態で発見される事は稀で、体の一部が欠損していたり、切断された状態で発見される。

「ふうみん」は、遮光器土偶は木造の「亀ヶ岡遺跡」からだけ発掘されたと思っていたので、浅学を恥じる。


■11:44

ポーズをとる土偶」。

竪穴住居跡から出土し、両膝を折って座った状態で、左手を左頬にあてがっている。

顔立ちは粘土紐で、はっきりと作られており、耳飾りをしていたようだ。

この土偶は、本来「国宝級」だが、全身が揃っていない為、下記の「合掌土偶」が国宝に指定されたという。

…掃除のおばさんに聞きました。


■11:47

国宝・合掌土偶」。

平成21年3月に国宝に指定された。

座った状態で、両腕を膝の上に置き正面で手を合わせ、指を組んだポーズを取っていることから「合掌土偶」といわれている。

風張遺跡からは、約70点の土偶が出土しているが、完全な形をしているものはこの土偶だけだという。


■12:30

昼食に「八食センター」に来た。

今日は日曜日とあって、駐車場はイッパイだ。地元ナンバーが多いので、味の方は期待出来るかな?

一番人気の回転寿司「八食市場寿司」の前には、長い行列が出来ていた。

15分ほど待って店内に入る。


■12:51

「本マグロのカシラ」。

これは、脂が乗って絶品でした。

続いて、「本マグロのホホ」を注文したが、筋が多くイマイチ。

この「本マグロ」産地は、何と!地元八戸港ではなく、はるか彼方の長崎産とはネ…


■12:59

本日の目玉、「大間マグロの赤味」。

店員に「大間から冷凍トラックで運んできたの?」と聞いたら、「築地から来ました」との事。

大間と八戸、同じ青森県ではないか?と、何か釈然としなかった。

お値段は、ビールを2本飲んで腹いっぱい食べたが、7500円と決して安くなかった。


■14:10

蕪島神社」。

「蕪島」は国の天然記念物「ウミネコ」の産地。

「蕪島神社」は、金運、商売繁盛の神社。

蕪(カブ)と株(カブ)の語呂合わせで、「株あがり御守」を購入。ご利益は有るのかな?


■14:12
東日本大震災の足跡
蕪島神社、階段津波浸水高

階段を登る途中で、東日本大震災の足跡を見つけた。

津波が海抜5.3mまで来たという。


■14:16

蕪島神社の上からは、八戸市街が見渡せる。

八戸市の広報誌の写真からは、東日本大震災の被害の大きさを知ることが出来る。


■14:39

種差海岸・葦毛崎展望台」。

種差海岸は、今年5月「三陸復興国立公園」に指定された。

葦毛崎展望台は素晴しいビューポイントだ。

この海を眺めていると、東日本大震災の悪夢あったとは思えないたおやかな顔をしている。

大自然の残酷な一面を垣間見た思いだ。


■14:47

東山魁夷の「道」
昭和25年、第6回日展出品。
東京国立博物館所蔵。

東山魁夷は作品「道」について、種差海岸の風景が元となったと述べている。

「ひとすじの道が、私の心に在った。夏の早朝の野の道である。青森県種差海岸の牧場でのスケッチを見ている時、その道が浮かんできたのである。


■14:49

正面の丘に灯台の見える牧場のスケッチ。その柵や、放牧の馬や、灯台を取り去って、道だけを描いてみたらーと思いついた時から、ひとすじの道の姿が心から離れなくなった。…」

青森県立美術館 パンフレット



■14:59 「種差天然芝生地」。

種差海岸の代表的景観で、天然の芝がなだらかな起伏へて水際まで広がっている。思わず深呼吸したくなる。


■15:13

熊野神社」。

源義経が平泉から逃れ、最初に辿り着いたという由緒ある神社。

義経北行伝説では、青森の「義経寺」が有名だ。


■15:25

浜小屋」。

江戸時代末期に建てられた、国の重要有形民族文化財。


■15:27
東日本大震災の足跡
厳島神社の鳥居流失

「弁天島」は当初は島だったが、今は大久喜漁港と陸続きになっている。

そこにある「厳島神社」の鳥居は、東日本大震災で流失し建て直されたいう。

鍵が掛かっており、立ち入り禁止だった。


■15:49
東日本大震災の足跡
川尻川水門と堤防

東日本大震災の津波は9.5mで12mの川尻川水門を越える事はなかったという。

2009年10月、高さ12m、長さ1390mの傾斜型防潮堤と、川尻川水門が完工した。

この立派な水門と堤防は、今回の災害に間に合ったのだ。


■15:56
東日本大震災の足跡
津波浸水想定区域

久慈市に向かう国道45号線には、この様な標識が目立つようになって来た。


■16:26

今晩の宿、久慈市の「侍の湯 きのこ屋」に到着。

この宿は以前、「北限閣」という国民宿舎で久慈市が運営していた。

営業休止後、地元の要望によりシイタケ栽培会社が運営する事になった。

その為、宿の敷地が広く遊歩道もあり眺望も良い。



■16:34 ロビーから太平洋を望む。ここからの日の出が見たくて、この宿を選択した。


■16:42

部屋に荷物を置き、遊歩道を歩く。

リアス式海岸の雄大な景色を眼下に眺めるが、写真ではその雄大さを表現できない。


■16:51

遊歩道を降りていくと「横沼漁港」に出た。

そこに一組の母と子が、熱心に海を眺めていた。

話を聞くと、海で漁をしている「おじいちゃん」の船を眺めていた。


■16:51

漁をする「おじいちゃん」の船。


■16:52
東日本大震災の足跡
侍浜・横沼漁港

この浜も東日本大震災の被害に遭い、漁港の建物が流失した。

その跡には、新しい建物が建て直されていた。


■16:55

「yayo」が、花を指差して「浜菊」だといった。

悲惨な現場の後には、何かほっとするネ。


■18:29

夕飯は海の幸と、名物の「きのこのハンバーグ」。

なかなか美味しかったが、刺身が乾いていたので、その分は減点。


■18:41

久慈市の地酒「福来」の熱燗ををいただく。ガラスのお猪口の大きさが飲んべにはうれしい。

1合瓶に、ちゃんと180mL入っているのがいいネ。

この宿の風呂は天然温泉ではなく、人工温泉だがなかなかいい風呂だ。

寝る前に、腰痛の為ゆっくりと浸かろう。




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