三内丸山遺跡・縄文時遊館
(02-02)


「三内丸山遺跡」の遺跡展示室は、「縄文時遊館」として整備されていた。

「縄文時遊館」は、遺跡の南側にある車寄せと遺跡の間に縄文時遊館が設けられており、縄文時遊館を通って遺跡に入る形となっている。縄文時遊館には遺跡の発掘品の一部が展示されているほか、土産物店、トイレなどの設備が設けられている。

2019年4月から遺跡と時遊館を「三内丸山遺跡センター」として、有料化されることになった。



・見学日 2022年10月31日


世界遺産「三内丸山遺跡」の三内丸山遺跡センターの「縄文時遊館」に到着。

四半世紀前に何度か見学に訪れたが、縄文時遊館はなく見学は無料だった。


縄文時遊館の内にある「さんまるミュージアム」には、三内丸山遺跡からの出土品約1700点が展示されている。

約4200年前の栗の木柱。


岩偶。  縄文時代前~中期


土偶。 縄文時代中期


大型板状土偶。
重要文化財 

縄文時代中期


三内丸山遺跡のシンボル的土偶で、全長32センチの日本最大級の大型板状土偶。

板状土偶は円筒式土器文化に伴って前期の終わり頃からつくられ、次第に各部が立体化していく。


・・・このムンクの叫びを想起させる表情は何なのか?


こちらの土偶たちも、表情は暗い。


「ふうみん」は、かなりの数の土偶を見てきたが、こんなにも悲しく暗い表情の土偶はここだけだ。


悲しく叫ぶ土偶たち。


整理作業室。

土器の接合や復元、実測などの作業をしている。


一般収蔵庫。

高さ4メートルの棚に、たくさんの土器が収蔵されている。


「縄文トンネル」のタイムトンネルを抜けて、「三内丸山遺跡」へ入る。今日は見学に絶好の秋日和だ。


南盛土。

生活廃棄物が積み重ねられた盛土。

時代順に土器や石器などを発掘できた。


大型竪穴建物。この建物の長さ約32メートル、幅約10メートルの大きなものが復元されている。このような建物は、集落の中央付近から見つかることが多く、集会所、共同作業所、共同住宅などの説がある。


大型竪穴建物の内部。


六本柱建物。

地面に穴を掘り、柱を建てて造った建物跡。

柱穴は、直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートル、中には直径約1メートルのクリの木柱が入っていた。

地下水が豊富なことと木柱の周囲と底を焦がしていたため、腐らないで残っていたという。

この建物の復元方法に関しては、色々と問題があり、中途半端感は否めない。


大型掘立柱建物跡は、ドーム状の建物内に保存してある。

地下水が豊富なことも、クリの柱が残っていた一因だ。


大きな岩に刻まれた石碑の前で1998.3.31撮影の家族写真を思い出し、感慨にふける「ふうみん」と家人の「yayo」。




晩秋の光を浴びる「三内丸山遺跡」を後にする。



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