イサーンの大地走行2000キロプラス チャンパ遺跡への招待 INDEX
銅塔


小さな丘の上に銅塔は建っていた

遺跡名
銅塔 (Chanh Tien)
様式 ビンディン遺跡群 (Binh Dinh)
創建年代 13~14世紀
場所 ビンディン省アンホン県ハンハウ社
入場料
配置図 「チャンパ王国の遺跡と文化」より
コメント
概要 銅塔はカンティエン(仙女の翼)塔、またはコンガイ(少女)塔とも呼ばれている。ここにはかってチャンパ王国のチャンバン(Cha Ban)都城があった。

北ベトナム(黎朝)の軍事的圧力から逃れるため、1000年ごろチャム族の王スリヤンプクヴァルマンはホイアン近郊のチャキェウ都城からここに遷都した。

チャンバン都城は1471年までの4世紀以上も存続したが、黎朝の聖宗皇帝がチャンパを征服とともに崩壊した。その後チャンパ人による都城の建設は行なわれなかった。

13世紀初頭に入るとミーソン遺跡は顧みられなかった。ということは、チャンバン都城内に新王宮に仕える神殿があった可能性がある。
行き方 クイニョンの北27キロ地点にある。1号線を北に走りザップザ町を過ぎたところの分道を左折して1.5キロ走ると小さな丘の上にある。
一口メモ 銅塔の入口には錠がかけられいたが、よく見たら鎖をかけてあるだけなので、鎖を外して中に入った。

小さな丘の上に銅塔は建っていた。その入口には錠がかけられ、ドライバーは入れないという。

「ふうみん」がよく見たら、鎖をかけてあるだけだ。


鎖を外して中に入ると、そんな歴史の生き証人の祠堂が一基、ポッンと建っている。

銅塔東側正面。


1960年代にモルタルを使用して基壇の一部と開口部が補修されたが、その部分を取り除いて本格的な修理をしているようだ。

銅塔東南側正面。前房は完全に消滅している。


四隅の砂岩の石柱はS字形の文様が見られる。


隅尖塔を装飾すると同時に、補強する役割を持つ火炎装飾。

屋蓋の四隅の砂岩はらせん状の炎の形をし、マカラの頭部と連結されている。


遺跡の庭の片隅に、カーラが彫られた砂岩が置かれていた。


銅塔東側正面の手前には板で囲った中にいくつもの砂岩が置かれていた。大事な物だろう。


銅塔のある入口の前は墓地になっており、遠くに金塔が見える。


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