イサーンの大地走行2000キロプラス チャンパ遺跡への招待 INDEX
ドンジュオン遺跡


水田越しにドンジュオン遺跡らしきものが見えた

遺跡名
ドンジュオン (Dong Duong)
様式 クアンナム遺跡群 (Quang Nam)
創建年代 9~10世紀
場所 クアンアムダナン省タンビン県ビンディン村
入場料
配置図 「Cham Art River Books」より

発掘調査時の写真(チャンパ彫刻博物館蔵)
コメント
概要 860年ごろカウターラ王家を廃して、インドラヴァルマンⅡ世(Indravarman Ⅱ)が即位し、875年にインドラプラを都とする新王朝が創設された。877年、占城(せんじょう)からの貢物があった事が唐の記録に残っている。

ドンジュオンは東を正面として三つの寺苑からなり、東西1.3キロという大規模な寺院だった。

碑文によれば、ドンジュオンは仏教に帰依したチャンパの歴代の王の崇拝の場だった。ドンジュオンという言葉は、「ジャーン(ヤーンのドン)」(神の野)という意味から来たといわれる。中国人は「東陽」と呼んだ。

当時のチャンパ王国にとって、仏教の聖地ドンジュオンはヒンドゥー教の聖地ミーソンと並ぶ聖地であった。このドンジュオンは、バガン、ボロブドールと並び東南アジアの三大仏教施設といわれている。

ここドンジュオンは10世紀後半から貿易拠点として、また最高級の沈香の産地としてスマトラの三仏斉と並ぶ名声を得る。しかし、982年中国から独立した北部のベトナム(大越)軍の侵略によりインドラプラの都は破壊された。
行き方 ホイアンから1号線を南下しハーラム(Ha Lam )の街中の交差点を右折し、19号線を15キロほど走った右側にある。
一口メモ この遺跡はベテランドライバーも知らず、携帯で問い合わせをしたうえで、走行中何人もの人に聞いてやっと遺跡を見つけた。

ハーラム(Ha Lam )の街中の19号線を15キロほど走る。


何人もの人に聞いてやっと遺跡への道を見つけたが道が悪い。

細い農道を走る。


車を村の広場横に停める。


車を置いて歩いて遺跡に向う。


崩壊したレンガの上に道がつけられている。

このレンガが1000年以上も昔の遺跡の一部だと思うと、何か申し訳ない気がする。


歩いて行くと、ドンジュオン遺跡に唯一残された、第一寺苑内の碑文庫が木々の間から見えて来た。


第一寺苑内の碑文庫は、添え木で補強されている。


かろうじて残った第一寺苑内の碑文庫の一部。基壇と身舎にわずかに残されたレリーフが見られる。

…しかし、わずかに残ったこの部分だけでは、どんなに想像力を働かせても当時の姿を思い浮かべることは不可能だ。

後は、昨日見学したチャンパ彫刻博物館の貴重な彫刻類から推測するしか方法はない。


円柱の一部。

書かれている文字はいたずら書きではなく、調査時のもののようだ。


ドンジュオン寺院配置図 875年、ミーソンにかわってドンジュオンに東西1.3キロにおよぶ巨大な寺院が建築された。 ○印は第一寺苑内の碑文庫。かろうじて残ったのはその一部に過ぎない。


土に埋もれた遺跡の一部の砂岩。


車に戻ると、ドライバーは近所の人と話をしていた。

後ほどドライバーに話を聞くと、先ほどのおばあさんの話では、ドンジュオン遺跡はアメリカ軍により破壊されたという。

本には対仏戦争により破壊されたと書いてあるが、本当のところはどうなのだろう?


チャム彫刻博物館に展示してある、祭壇基台装飾。

9世紀後半。

ドンジュオンの美術様式の三大特徴として、民族性をはっきりと表わした土着的特徴、螺旋形花葉装飾彫刻、極めて重厚な装身具などが挙げられる。


ブロンズ像。 ターラー(多羅菩薩として救済すべき衆生を教化する)。

9~10世紀。

1.2メートルの豊満な胸を持った神像だ。


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