ビルマ国境の情景 Ⅰ







ラノーン(Ranong )


ラノーン(Ranong)市内に入り、明日に予定しているビルマへの日帰り旅行の為、イミグレと船着場の場所を確認しにラノーン港に向う。ラノーン港の魚市場の隣にビルマ行きの船着場があり、沢山のロングテールボートが舫われていた。少し離れた場所に在るイミグレの建物も確認した。

当日ラノーン港の船着場に向うが、途中からすごい雨になる。これでは、ロングテールボートに乗ってのビルマ日帰り旅行は無理だろう。船着場に着くとロングテールボートに、対岸のビルマのヴィクトリアポイント(コートーン)に行く乗客の姿が散見される。皆、傘をさしている。我々は傘も無いし、レインウエアも無い。やはり、この雨では無理だ。残念だが今回のビルマ行きは断念した。(2007/08)




ラノーンの街の高台にある、許泗漳(きょししょう)の住居が公園になったナイカーイラノーン(Nai Khai Rannong)。広東省出身の許泗漳は、ラノーン県の隣のパンガー県で成功をおさめ、官位を得て王室専属のスズ採掘業者になった。そして、1854年にラーマ4世(モンクット)は許泗漳をラノーンの国主とした。ナイカーイラノーンは独得の建築様式の建物だ。許泗漳の出身の広東省の様式なのかな?(2007/08)



ファチの丘(Khao Fa Chi)


4号線から、ファチの丘(Khao Fa Chi)の細い道を登る。段々と狭くなり、対向車が来たらすれ違えない道だ。ここから眺望した、タイとビルマ国境の写真をタイの旅行雑誌「Trips Magazine」で見て、以前から是非行きたいと思っていた。

ファチの丘の頂上から眺めた景色。クラブリ川(右)とラーウン川(左)の合流地点が一望でき、向って右側の対岸がビルマになる。残念ながら靄っているが、先程までは全く見えなかったのだから文句は言えない。こんな景色を眺望していると、改めてタイの辺境に居るな~あと、強く実感した。(2007/08)




ラーウン川に架かる橋から、タイとビルマ国境を望む。正面でクラブリ川と合流する。クラブリ川の向こう側の山並みはビルマだ。

この河口近くに、第二次世界大戦時の旧日本軍の基地があり、ビルマに進駐している部隊の補給を行う港として使用した。その時の軍艦の残骸があると言う。(2007/08)



クラブリ(Kraburi)


クラブリ(Kraburi)市内の交差点。この少し先ががクラ地峡(Kra Isthmus)だ。クラ地峡とは、タイ湾とアンダマン海に挟まれたマレー半島の最狭部を形成している陸地部分の事で、幅わずか44キロしかない。(地峡とは、海峡の逆で水域にはさまれて細長い形状をした陸地の事。)(2007/08)



バーンイートン(Ban I-Tong)


ピロック(Pilok)の村バーンイートン(Ban I-Tong)の入り口のゲート。

3272号線をそのまま道なりに走って来たら、国境警察(BPP)の詰め所に出た。ここで、タイ側の道路は終る。やれやれ、やっと着いた。と言うのが正直な感想だ。目の前の3272号線の道路には、無常にもゲートが閉まっている。切通しの向こうはビルマになる。ヘッピリ腰で恐る恐るゲートに近いた。(2007/09)


Shinji さんからの掲示板への投稿 2007/02/23

Pilok ですが、まあ、面白い所です。何が面白いかというと、
1.途中の山道がエキサイティング
2.天気が良ければ、ビルマを見下す景色がグッド

1について、途中の道路が細くてクネクネしているのはオートバイにとっては問題無いんですが、自動車の場合は車幅とかハンドルの切り返しとかの点で神経が疲れるかも知れません。

2について、Pilok はとても雨が多い地域で、天気が悪いと景色が見えず、行く価値が半減します。標高は900mぐらいなんですが、雨雲が引っかかるというか、霧が出る事が多いです。

Pilok は行政的には tambon (sub-district) の名前で、その下に ban (village) がいくつかあります。R3272 の果てにあるのは Ban I-Tong (または Etong)という村です。




ゲートに近づいたら、タイの国境警察の私服の警官が出て来て、何とゲートを開けてくれた。そして、自分の後について来いと言う。願っても無い事だ。直ぐに、「ふうみん」と「yayo」は警官の後に続いた。 ビルマ側に入ると二棟のバラックがあり、一棟は監視所で、ゴリラの様な顔をした警備兵が怖い目つきで、こちらを睨んでいる。その前を、タイの私服警官は軽く手を挙げて挨拶し、100メートルほどビルマ領内に入った。

タイの私服警官が崖の下を指差したので、見るとビルマ軍の基地がある。ヘリポート、兵舎、パゴダ等。これは軍事機密ではないのかな?見てもいいのかな?と、頭の中を疑問がよぎった。でも、ここまで来たんだ。見るだけ見よう!

はるか彼方に山々を望む、ビルマ領内の素晴らしい景色を眺める。手前から延びる道路は、先程まで走って来た3272号線で、この道路は国境を越えてビルマに入り、はるか首都ラングーンまでつながっている。このゲートを通れるのはパイプライン関係者だけだと言う。(2007/09)




丘の上に面白そうな寺が見えるが、ここはビルマ軍の管轄下だ。写真を撮っていると、ビルマの兵隊から大声で怒鳴られた!慌てて車に入り、逃げる様に発車した。(2007/09)



スリーパゴダパス( Chedi Sam Ong )


323線終着のビルマ国境のスリーパゴダパス(Three Pagodas Pass)に向う。日本軍が建設した泰緬鉄道の、スリーパゴダパスの駅名は三塔峠だ。323線のスリーパゴダパス近くでタイ警察の検問所があった。「ふうみん」たちはノーチェックだったが、国境に向う緊張感が漂う。この高揚する気分が、非日常的で心地よい。…やはり国境マニアの素質があるのかな!

スリーパゴダの周りを道路が一周しており、右側にイミグレがある。また、半分近くを土産物屋が占めている。(2007/09)




スリーパゴダパスの土産物屋の裏には簡単な塀があり、その向こうはもうビルマだ。覗いていると、ビルマのダート道を二人乗りのオートバイが走っていた。(2007/09)



サンクラブリ(Sangkhlaburi)


広大なカオレム湖はダム湖で、カオレムダム(Khao Laem Dam)は1983年に建設された。そのダム湖沿いにサンクラブリの村はある。ソンカリア川を挟んで、東側がサンクラブリ(行政区)、西側がモンの村となっている。そのソンカリア川に架かるモン族の木造橋に行く。

この全長850メートルの木造の橋は二代目との事。対岸はモンの村 Ban Wang ka だ。入り口の食堂から眺めた木造橋の全景。旅の情緒をそそられます。(2007/09)



メーソット(Mae Sot)


メーソットを流れるモエイ川のタイ・ビルマ国境に、モエイ川友好橋(Moei River Friendship)が1997年に架けられた。その橋の上をモエイ川対岸のビルマのミャワディー(Myawadi)に向って夕暮れの中を帰る人々。(2006/11)



ワットプラタートドイディンキゥ(Wat Phra That Doi Din Kiu)


メーソット市内の105号線から11キロ北西に入ったところに、ワットプラタートドイディンキゥはある。麓から20分ほど歩くと目指す巨岩があった。この巨岩は崖の上で絶妙のバランスを保っている。その上には黄金の小さなチェディー(仏塔)と小さな仏像が置かれている。

この寺院までの道は、カレン民族同盟(KNU)に対してミャンマー政府軍の攻撃が行われると通行不能となる。巨岩を後から眺めると、朝霧の向こうにモエイ川とビルマの深いチークの森の景色が見える。(2006/11)



メーラーキャンプ(Mae La Camp)


タイ最大の難民キャンプのメーラーキャンプ。ここには約7万5千人の難民が収容されているという。このキャンプはシャン統一革命軍(SURA)やミャンマー政府軍の戦いから逃れて、難民となったカレン族のキャンプだ。このようなキャンプがタイ国内に幾つかあり、20万から30万人が収容されているという。さらにキャンプに収容されていない難民を含めるとタイ国境に200万人もいるとも言われている。

写真はその中で象徴的な難民キャンプで、小山一つが難民キャンプだ。圧倒される現実の世界に、先程会った子供たちの笑顔がオーバーラップする。予備知識が全く無く、過酷な現実を眼前に突きつけられた「yayo」は、しばし声が出ない。少しは知識のあったつもり「ふうみん」も全く同じだ。

難民キャンプの後の山の向こうがビルマだ。この山はミャンマー政府軍からのミサイル攻撃を除ける盾になる。彼らの持っている旧式のミサイルでは、山を越え急角度でキャンプに命中させる事はできないという。

この光景を前にして、だから、ヤワな日本から旅に出て厳しい現実と向き合うことが必要だと思う。世界には戦争や犯罪や差別や対立が充満している。この景色を眺めていると、日本の憲法9条擁護の理想論的なマスコミの論調には、本当に辟易する。(2006/11)




暗然たる思いで難民キャンプを眺めていると、子供たちが歩いて来た。にこやかな笑顔で「バイバイ」と声を掛けて来る。思っていたよりも、着ている物もきれいで屈託の無い明るい笑顔。

しかし、このあどけない笑顔の子たちが大きくなって、自分達に課せられた運命を知った時、どう生きて行くのか?そんな事を思うと、なんとも救われない気分だ。(2006/11)



ターソーヤン(Tha Song Yang)


ターソーヤンに左折して、ゲートをくぐると広場に出た。広場には白い時計台が建っていた。街の突き当たりまでの1キロ足らずの道を走ると、モエイ川が流れていた。この川の向こうの側はビルマだ。そこには美しい田園風景が展開していた。(2006/11)



メーサリット(Mae Salit)


105号線と1267号線との分岐点のメーサリットに売店と食堂を兼ねた店舗があった。ここで昼食を摂る。食堂の裏をモエイ川が流れている。川の向こうの側はビルマだ。(2006/11)





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