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ナーンシーダ遺跡(Nang Sida) |
ナーンシーダはワットプーの南1キロにあるが、この木橋を渡るために車では行けない。
トゥクトゥクを置いて遺跡までは歩く。10分ほどだ。 |
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右にプーカオを見、のどかな田園風景の中の小道を歩く。 |
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ナーンシーダへの標識があった。もう直ぐだろう。 |
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鉄条網で囲まれたナーンシーダ遺跡内に入ると、リンガの境界石が建っていた。 |
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ナーンシーダ遺跡は右に砂岩の主祠堂と左側にはレンガの崩れた建物(経蔵?)がある。また、参道やリンガの境界石やバライが残されている。 |
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砂岩で出来た主祠堂の正面。 |
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入口のビラスター(付柱)にレリーフがあるが判然としない。 |
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ビラスター上部の装飾は11世紀頃の様式だ。 |
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祠堂内の拝殿には遺物が置かれていたが、特に目ぼしいものは無かった。 |
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左側のレンガ製の崩れた建物(経蔵?)はワットプー遺跡と同じく主祠堂よりも古く建てられたものではないだろうか?
その後、横に11世紀頃に砂岩の主祠堂が建てられたと思う。 |
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遺跡の崩壊はすざましい。
砂岩のブロックが崩れて落ちている。 |
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崩れたブロックの間に偽扉があった。
凸部分に花の紋様が彫られていた。
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崩れた砂岩のブロックの下に素晴らしいレリーフがあるかも知れない。 |
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主祠堂後部から、前方の拝殿を望む。 |
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長い参道が残されている。
その先にはバライがある。 |
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リンガの境界石等に記号が書かれていた。
近いうちに修理が行なわれるのか? |
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参道の横から眺めると、かなり大きな遺跡だったと思われる。 |
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ナーンシーダ遺跡からの帰り道、トゥクトゥクの運転手の「khao」は、葉の付いた木の枝を帽子代わりにして歩いて行った。
この後、タオタオ遺跡(Thao
Tao)に行きたかったが、オフロードバイクでなくては行けないと言われ断念する。 |
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トモ遺跡(Tomo) |
再びメコンをフェリーで渡り、小雨が降って来た13号線を南に10キロほど走ると、右側にトモ遺跡へ「VAT TOMO →」という表示の看板が立っている。 |
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赤土のダート道をトモ遺跡へ向けて走る。
途中で牛の群を追い越す。 |
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トモ遺跡はメコン左岸のトモ川の河川敷の林の中にある。
入場料、10000キップ。入場券にはOumung Monument と書かれている。
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メコンに沿った河川敷の林の中を歩く。「ふうみん」の他、誰もいない。 |
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ナーガが出迎えてくれる。 |
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リンガの境界石は中ほどから折られていた。 |
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地面にまぐさ石が置かれてあった。
レリーフは三頭象アイラーヴァタに乗るインドラ神。 |
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砂岩のフレームの祠堂がポッンと建っている。
9世紀~10世紀のバケン(Bakheng)様式で、ヤショーヴァルマン1世(YashovarmanⅠ)の時代に建てられた。
周りの地べたには、遺跡の残骸が放置されている。 |
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破風のレリーフ。
棍棒を持ったヴィシュヌ神。 |
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破風のレリーフ。
ナンディンに乗るシヴァ神。 |
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祠堂の中には、シヴァ神の顔を彫り込んだムカリンガ(Mukhalinga)がポッンと建っていた。 |
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祠堂の内部。 |
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地面に置かれたまぐさ石。 |
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近くにある崩壊の激しい祠堂。 |
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遺跡の外れにリンガの境界石が建っていた。 |
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遺跡のすぐ横を流れるメコンの支流トモ川。このトモ遺跡はトモ川の河川敷にある。 |
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赤土のダートを走り13号線に向う。
今日は充実した1日だった。
さあ、パクセに向けて帰ろう。 |
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150枚余りの写真と図版でお送りした
「ワットプーへの招待」を終わります。
ぜひ機会がありましたら訪問方お薦めします。 |
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「ふうみん」 |
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