イサーンの大地走行2000キロプラス タイ(イサーン)のクメール遺跡
サドックコックトム Prasat Sadok Kok Thom




カンボジア国境を背に、参道からのサドックコックトム





遺跡名
サドックコックトム Prasat Sadok Kok Thom
場所 サケオ
Sakeo

Prasat Sadok Kok Thom
Khok Sung, Amphoe Khok Sung, Chang Wat Sa Kaeo 27120
位置情報 13.843610, 102.737318
創建年代 バプーオン様式
Baphuon Style
見学日 2005年6月
2007年9月
2017年11月
配置図



コメント

●概要…937年にジャヤヴァルマン4世によって建造されたが、いったん崩壊し1057年に再建された。

また、歴史上貴重な碑文を刻んだ2つの石碑があることで有名だ。

一つの石碑は、937年の創建時にジャヤバルマン4世がこの石碑をサドックコックトムに埋めるように命じた。

もう一つの石碑は、1053年にウダヤーディチャヴァルマン2世が建てた。この石碑にはクメール王朝の歴史が刻まれている大変貴重な資料だ。

なお、サドックコックトムとはクメール語で「水草で覆われたおおきな水源」を意味する。

●行き方…アランヤプラテートから348号線、3379号線、3397号線を通り約35キロで着く。

カンボジア国境沿いの3446号線はゲートが閉まり通行不可だった。

●一口メモ…日本のJAHDSの地雷除去作業が2004年1月に終了し、進入道路は綺麗に整備されていた。

1970年〜80年にかけてのカンボジア内戦とその後のクメールルージュの駐屯所してのタイ軍との戦闘等により遺跡の破壊は広がった。

2007年9月、2017年11月の訪問時の写真…下記に掲載してあります。

写真
進入道路は整備されたばかりだ 修理中の中央祠堂
連子窓越しに見た中央祠堂 破風の修復に、はめ込む代用の石が悲しい
まぐさ石も一部残されていた 砂岩の建物と偽窓の連子がいい
入口からカンボジア国境方面を望む 遺跡の横にはこれから修復する石がたくさんあった
遺跡の修復が行われていた。真新しい砂岩が多いのが気になる

■2007年9月訪問時

サドックコックトム遺跡で確認したい事があった。アンコールの泰斗、石澤良昭教授の本「アンコール・王たちの物語」に次のような記述があった。

…スドック・カック・トム遺跡はタイ=カンボジア国境線上のタイ側に数メートル内側のところある

ラテライトの参道が切れた先に、カンボジア側に向って細い道が続いている。その細い道に沿って歩いて行った。100メールも歩くと道はだんだんと細くなり、道の脇には地雷が埋まっているようだ。その先まで行って確かめるのは断念したが、少なくとも、石澤教授の言う様な「国境線上のタイ側に数メートル内側」と言う事は無い。
ラテライトの参道 細い道の先はバライがある
重機で修理中の遺跡 歴史的に貴重な二つの石碑
プラチンブリーの博物館にサドックコックトム遺跡出土のまぐさ石があった。半分欠けているが、多分中央に神像があり、脇にガルーダが彫られている。バプーオン様式(1017〜1097年)のものだ。

2017年11月訪問時の写真
サドックコックトム遺跡に10年ぶりに訪れたら、駐車場の場所が変わり整備されていたので少しまごつく。周りには、資料館や土産物屋らしき建物が建築中だ。
バライの大きさは200メートル×400メートル 参道は発掘調査の真っ最中だった
中央祠堂が復元されていた。新たな白い砂岩が多いのは興ざめだが、創建当時を偲び感動を覚える
復元されていた中央祠堂






イサーンの大地走行2000キロプラス タイ(イサーン)のクメール遺跡