イサーンの大地走行2000キロプラス タイ(イサーン)のクメール遺跡
タームアントム Prasat Ta Muan Thom




屋根の梁の跡とナーガのレリーフ





遺跡名
PRASAT TA MUAN THOM
タームアントム Prasat Ta Muan Thom
場所 スリン
Surin

Prasat Ta Moan Thom
Kouk Mon, カンボジア
位置情報 14.349152, 103.266365
創建年代 バプーオン様式
Baphuon Style
見学日 2005年6月
2007年9月
2009年1月
2017年11月
配置図



コメント

●概要…タームアン、タームアントット遺跡と異なり、11世紀に建てられた規模の大きなバプーオン様式のヒンドゥー教のシヴァ神殿だ。

神殿は南向きで、回廊の中に主祠堂と2基の祠堂があり、裏にはバライを持つ。

●行き方…24号線から219号線を南に下ると224号線と交差する。ここを左折して、224号線を17キロ走ったバーン・ターミアンの2407号線(標識あり)を右折して、10キロほど走った森の中にタームアン遺跡群がある。

タームアントット遺跡から1キロほど南に進むと道路は行き止まりになる。そこにタームアントム遺跡はある。

●一口メモ…
*国境問題について

カンボジア政府が(非公式に) Prasat Ta Muan Thom と Prasat Sadok Kok Thom の領有を主張した時に、タイ政府は、後者に対しては一笑に付したのに対して、前者に対しては「国境線は未画定である」として修復作業を中断したというのは、それだけ「微妙」な状況を認識しているのでしょう。

Prasat Ta Muan Thom への舗装道路の終点まではタイ領内である事は問題ないのですが、当の遺跡はそこからやや下り坂の斜面を歩いて到達する事になります。要するに、ここで分水嶺を越えるわけです。

(掲示板へのShinjiさんからの書き込み)

タ・ミエン遺跡群のその先には道はなく、密林の先にカンボジアが。ガイドのタイ人に聞くとカンボジアの国境までの距離は「4km」とさて?

(掲示板への大和さんからの書き込みを要約)

タイの書籍の左の配置図では、南側のラテライトの階段から数十メートルの所が国境になっているが、本当のところはどうなんだろうと思う?

(「ふうみん」独白)

*2007年9月に再訪…遺跡には誰もいず、前回と変わりが無かったが、カンボジア国境の警備小屋は撤去されていた。国境情勢の変化を感じた。

*2009年1月に訪問…上記2007年9月訪問時に比べ

・先ず最初に感じたのが新たに「地雷の標識」が設けられていた。
・国境警備員が2名配置されていた。
・カオプラヴィハーンが閉鎖中のためか観光客が多かった。
・カンボジアにファランの観光客が国境を越えて入り、カンボジア人と記念写真を撮っていた。
・タイ人観光客がバスで見学に来ていた。
・国境紛争中の状況とは思えぬ以前と同じくのんびりしていた。

国境紛争のさらなる激化を懸念する状況ではない様子だった。

写真
2407号線の終点まではタイ領だ、その先は?微妙だ 主祠堂を正面、南から眺める
回廊内の露出した岩盤をリンガに見立てている もう一つの祠堂はクメールルージュに破壊された
南側のラテライトの階段、撮影者の後ろはジャングルだ 南側の階段の横から見た警備所とカンボジア国境
青空にナーガが映える
シヴァ神殿の象徴のリンガを置くヨニ
連子窓は下部の一部分だけ残っている
偽窓の連子はきれいに残っていた 剥がされたのか自然の破損か?
綺麗に残ったレリーフ 見事な石組みとレリーフ
タームアントム遺跡は、まさにカンボジア国境の分水嶺上に位置する
主祠堂のまぐさ石には彫りかけのカーラ?の顔が残されている

2009年1月訪問時
国境警備員が2名いた カンボジア領内で記念撮影のファランの観光客
見学のタイ人観光客 駐車場の観光客のバス

2017年11月の訪問時の写真
タームアン遺跡群に行くため、2407号線を走っていると検問所のゲートが閉まっている。

検国境警備兵にパスポートを取り上げられ、このパスポートは帰りに返却するという。

タームアン遺跡群は4度目の訪問になるが、こんな事は初めてだ。

・・・検問所で国境警備兵から、パスポートを返却されて、ホットする「ふうみん」。
主祠堂と観光客とカンボジア兵




タームアン遺跡群の配置図




Google Earth で見ると、Ta Muan Thom は、国境線を越えてカンボジア領になる(2008/8/4)







イサーンの大地走行2000キロプラス タイ(イサーン)のクメール遺跡