4、韓国>ソウル>1997・03


朝起きて豊田(ブンジョン)ホテルの窓からソウル市街を眺めると
もうもうと黒煙が上がっていた。かなり大きな火事だったと思う

朝鮮総督府の解体工事現場に立つと、今まで見えなかった勤政殿や
修政殿が見え、その背後に北岳山(プガクサン)が見える





家人の「yayo」をつれて、久し振りにソウルに行った。「yayo」は初めての韓国だが、「ふうみん」はかなりの回数韓国に行っており、ソウル市街の地理は大体分かるし、ハングルも少し読めた。(今はもう忘れたが・・・)

ホテルは料金の安い豊田(ブンジョン)ホテルにした。朝起きて豊田ホテルの窓からソウル市街を眺めると、もうもうとすごい黒煙が上がっていた。かなり大きな火事だと思うが、その詳細については分からない。

少し前までは、景福宮(キョンボックン)の正面の光化門からすぐ正面に、あまりにも堂々とそして立派な朝鮮総督府の石造建築があった。日帝36年間(満で数えると35年弱)のシンボルとして君臨していた。

その、朝鮮総督府の解体工事現場の瓦礫の前に立つと、今まで見えなかった勤政殿や修政殿が見え、その背後に北岳山(プガクサン)が見える。

景福宮は、南に大河の漢江(ハンガン)をいだき、北に高山の北岳山を背負う、風水での明堂の地であることが分かる。

韓国人が、朝鮮総督府の石造建築を解体する気持ちは分かるが、同じ植民地支配を受けた台湾に行くと、台北の観光コースの中に台湾総督府が入っており、いつもその前で記念写真を撮る。そして台湾人のガイドは得意そうに総督府の建物の説明をする。

朝鮮総督府の石造建築は、歴史的、建築学的にもとても貴重だと思う。この立派な建物の破壊について、移築するとか他に何か方法が無かったのかと釈然としないのは、「ふうみん」が日本人だからであろうか?・・・