海外紀行1 話題の北朝鮮!板門店ツアーに参加した



板門店(PANMUNJOM)は、ソウルの北方約60キロ(北緯38度線の南方5キロ)にあり、1953年7月27日、朝鮮戦争の休戦ラインを中心に南北2キロに渡って設けられた、非武装地帯の真ん中の軍事停戦会議場のある場所。

板門店は、昔はその存在すらあまり知られていない小さな農村にすぎなかったが、南北分断に始まり1950年から3年間にわたる朝鮮戦争の休戦協定がここで調印されてから、一躍世界的にクローズアップされた。





1998年12月、板門店ツアーに友人の「ひさし」と参加した。

板門店に行くには大韓旅行社のツアーに参加するしか方法は無い。大韓旅行社だけが国連軍の特別許可を得て、この異色のツアーを案内している。

料金は一人5500ウオンで、国連軍のキャンプでの昼食が付いている。ツアーはソウルのロッテホテルを9時に出発する。ツアーの所要時間は約7時間かかる。

よく、他の旅行社のオプショナルツアーがあるが料金は約2倍(10000円位)で、自分の宿泊しているホテルからロッテホテルに在る大韓旅行社のツアー出発場所までの送迎が付くだけだ。

我々は、直接大韓旅行社にツアーの申し込みをした。

当日は宿泊しているホテルまで、8時30分に出発場所に行く大韓旅行社のバスに迎えに来てもらい、乗客は我々二人だけでロッテホテルの大韓旅行社のツアー出発場所に向かった。
大韓旅行社のパンフレット






1、ソウルを9時に出発したツアーのバスは、国道1号線を北へ1時間ほど走り碧蹄(ピョクチェ)に着く。

まず、朝鮮戦争(1950−53)に参戦、戦死したフィリッピン軍勇士の参戦モニュメントを見学する。フィリッピンは朝鮮戦争参戦国16カ国の一つだ。

ここを見てから、さらにバスはさらに北上する。

2、次に、韓国軍の肉弾十勇士のモニュメントを見て、そしてイムジン川に架かる「自由の橋」を渡る。

「自由の橋」とは、1953年休戦後13000名の共産軍捕虜がこの橋を渡り自由と身となったのに因んで呼び始められた。

橋を渡ると非武装地帯へ入る。途中検問に合い乗り込んで来た軍人から、ミニスカートをはいた女性のスカートの丈が短いと、厳しい口調で注意を受ける。バスの乗客の間に思わず緊張感が走る。



3、国連軍のキャンプに着き早速キャンプ内で昼食をとった。「ひさし」はこの昼食をうまいとほめた。

そして別室でスライドによる説明を受け、それから、板門店へ行き自由の家の展望台に登る。そこから見た対面は北朝鮮の板門閣。

4、自由の家の展望台から軍事停戦委員会本会議場を見ていると、



5、向こうから、北朝鮮の兵士達がゾロゾロと見学の為か歩いて来るではないか。



6、軍事停戦委員会本会議場に近ずく北朝鮮兵士達。



7、我々も軍事停戦委員会本会議場へ入る為一階に降りると、ガラス越しに北朝鮮兵士達が居るので、一気に緊張感に包まれる。

手前は国連軍兵士だ。相手の攻撃から身を守る為、身体の半分は建物に隠れている。



8、軍事停戦委員会本会議場に入るとテーブルの中央を軍事境界線が通る。

ガイドが緊張した声で、北朝鮮兵士を挑発しない様繰り返し念を押す。目を合わせてもいけないと言う。

9、軍事停戦委員会本会議場の中で記念撮影の友人の「ひさし」



10、窓の外から我々を珍しそうに見る北朝鮮兵士。手前のマイクが軍事分界線だ。

11、北朝鮮兵士の軍服は冬なのに木綿の粗末なもので、彼らを近くで見ると、頬っぺたを赤くした純朴そうな田舎の青年(少年)だった。もっと写真を撮ろうしたがガイドに止められる。



12、展望台から見た、北朝鮮の荒涼とした大地。



13、展望台から見た、「帰らざる橋」の向こうは北朝鮮だ。国連側と
北朝鮮側の警備哨所がこの橋の両側に対峙している。



14、展望台から見た、北朝鮮の「宣伝村」が映画のセットのように見える。



15、国連軍の兵士と記念撮影の
「ふうみん」

16、「ポプラ事件」の現場。1976年8月、帰らざる橋のたもとにあるポプラの木を切ろうとした米軍の将兵二人が、北朝鮮の兵士に斧で殺害された。・・・合掌。

板門店ツアーのバスは、一路ソウルに向かって帰路につく。緊張感のある異色のツアーだ。機会のある方には是非お勧めです。





板門店の地図





翌日、東大門近くの冷麺専門店で昼食を摂った。さすがに本場だ、とてもうまかった(マシッソヨ)

帰国時の金浦空港で「ひさし」と「ふうみん」アンニョンヒ ゲセヨ(さようなら)