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ホテルの食堂にて
チョムスランホテルのまずい朝食を食べていたら、隣のテーブルから日本語が聞こえた。話の様子では、日本の本社から来た会社の人間が、昨晩このホテルに泊まり、朝、現地の駐在員が車で迎えに来て話し込んでいる様子だった。
そういえば、イサーンの商工業の中心地のコラートには日本の企業が多く進出している。道路沿いに日本の会社の看板を多く見た。
ホテルを出発
ホテルを8時に出発だ。今日はパノムルン、ムアンタムの両遺跡を回り、一路ウボンラーチャターニー(ウボン)までの450キロの長距離ドライブになる。気を引き締めて行こう。
市内から224号線に出て15キロ行くと、昨日来た陶器の町のダーンクウィアンを通過する。
そこから15キロ行って交差する24号線を左折すると、この道はウボンまで400キロをほぼ一直線に続いている。
まさに、24号線はイサーンの大地を疾走する為にある道だ!
24号線は片道1車線だがよく舗装されているので、平均時速100キロで走行する。
ガソリンスタンドにて
一時間程走った辺りで、セブンイレブンを併設しているガソリンスタンドがあったので、給油と休息の為に立ち寄る。ガソリンは1リットル15バーツぐらいで日本の約半値である。
この、ガソリンスタンドのトイレの横の水場で、車の窓を拭くためにダスターを洗っていると、後ろで日本語がした。
振り返ると日本人の団体客がバスから降りており、バスは2台で「全日空ツアー」の客だった。
連れションをしながら、ツアー客と話をすると、今日は、これからパノムルン、ムアンタムを見学してからピマーイへ行き、今晩はアユタヤに泊まるとの事。
昨夜のコラートの宿はロイヤルプリンセスだったと言う。どうりで、私達がロイヤルプリンセスの予約が取れなかった訳だと納得出来た。
「yayo」はトイレの個室に入っていた所に、急に大勢の日本語が聞こえてビックリしたといった。
パノムルンへ
パノムルン、ムアンタムへは24号線を数十キロ走った所に大きな標識があり、この信号を右折し十数キロで着いた。途中左折個所を間違い無ければ大丈夫だ。
パノムルンは「大きな山」という意味で、標高383メートルの死火山のパノムルン山にある。我々は遺跡の最初のゲートに、40バーツ払い入ってしまった。
ここは裏口のゲートで、山の頂上で神殿の裏に出てしまった。本当の入口はあと数百メートル先に行った所にあった。
しかたなく、神殿から160メートルの参道を入口まで降りて、再度神殿まで登ることにする。汗はかくが人の倍も神殿を見学することが出来る。
この遺跡の建立時期は、11〜12世紀でアンコールワットと同時期になり、クメール王国の絶頂期らしい重厚な造りと規模を誇る。
遺跡の素晴らしさはもとより、山頂からの景色がまた素晴らしい。遠くドンラック山脈を望む、その向うはカンボジアだ。
ムアンタムへ
ここから、8キロ程山を下るとムアンタム遺跡がある。
案内所の裏の駐車場に、車を止めて案内所に入ると、我々を見て直ぐに日本人と分ったのか、係りの女性が日本語のビデオを流してくれる。ビデオを鑑賞し係員にお礼を言って遺跡公園に30バーツ払い入る。
ムアンタムは「低い町」という意味で、ムアンタム遺跡はパノムルン遺跡より古く、10〜11世紀の建立とされるヒンドゥー寺院だ。
120メートル×170メートルのラテライトの壁に囲まれ、遺跡公園としてきれいに整備されている。ムアンタム遺跡公園の中は全く人影が無く、ゆっくりと遺跡内を見学して戻ってくると、先程の「全日空ツアー」ツアー客が来た。
ツアー客に引率のガイドは、時間が無いので遺跡の最初の門の前で引き返すという。何とも慌ただしいツアーだ。やはり旅は、気ままな個人旅行に限る。
入口の所には、なんと先程のガソリンスタンドより1台多い3台ものバスが並んでいた。こんな僻地にまで、観光ツアーが組まれているとは小さな驚きだった。
一路スリンへ
昼前にムアンタムを出て、今来た道を戻る。24号線から214号線でスリンへ向い途中で昼食を摂る事にする。
24号線をひたすら走る。一直線の道路、陸稲の黄金色、木々の緑、青い空と全く同じ風景が果てしなく続く。イサーンの風景を満喫するが、思わずつぶやいた「ドライブにも飽きたが、風景にも飽きた。」
スリン市内は、数日前まで行われていた象祭りの余韻が残っていた。駅前の近くで車を停めてレストランを捜し回った。
日差しが強く歩き回って捜す事はあきらめて、車に載ったまま街中を捜す。ベッカセームホテルの近くにレストランを見つけて入った。
もう午後2時を回り、店の中はガランとしていたが、バックパッカーらしい白人男性とタイの女性のカップルが2組、離れて座っていた。
こんな田舎のレストランに、白人のバックパッカーが女ずれでいるとは!…現地で調達したのか、バンコクから連れて来たのか?マ〜ア、彼らにしてみれば余計なお世話だろう。
昼食は、お決まりのイサーン三点セットのガイヤーン、ソムタム、カオニャオである。なかなか美味かった。
シーサケット経由でウボンへ
食後、226号線でシーサケット経由ウボンラーチャターニー(ウボン)へ向かう。15キロ行った所に、篭のブトム村があると聞いていたので、立ち寄ろうと気をつけて運転していたのだが、通りすぎてしまい残念だった。
226号線は、日本の地方国道といった感じの道である。シーサケットの市内を抜けるが、ウボンはまだまだ遠い。
日が陰り始めた頃、やっとウボンの隣のワーリンチヤムラープ市に入った。ウボンまで後少しだと思ったところ、市内の道路標識に英語表記が無くなり、タイ語表記だけになった。
さて困った。これでは全く分からず、この辺を何度か行ったり来たりした。悪い事に、日はつるべ落としに暗くなり、車は帰宅ラッシユに巻き込また。
やっと、広場を見つけて売店のおばさんに聞くが分からず、通りすがりの女の人に聞くと、言葉は通じないが、親切に身振り手振りで教えてくれた。
後で分かったが、この広場はウボン駅で、226号線からウボン市内入る幹線のウッパラート通り(2178号線)は、一方通行で入れず迂回するしかない。これでは、誰でも道を間違えると自分自身納得出来た。
ウボン市内を目指し、3キロ走った所でムーン川を渡る。〜MoonRiverの誘惑〜の感傷に浸る間も無く、ラッシュのウボン市内に入る。
ネヴァダグランドホテルへ
目指すネヴァダグランドホテルはガイドブックの地図に無く、事前に旅行社に問い合わせても地図は無く、何度かウボン市内の通行人に訪ねた。
現地の人は外国人に初めて接するのか、照れながらも親切に教えてくれた。
やっと、市内の外れの右側に目指すネヴァダグランドホテルがあった。道路から奥まった所にあったので、先ほど通ったが気が付かなく、通り過ぎていた。
ネヴァダグランドホテルにチェックインするが、言葉が通じず手間取る。
ホテルの室内は広く、バスルームは4畳半位あった。目の前にプールがあり、ウボン市内が一望出来る。
一休みして、夕食にホテル周辺を探索したが、良い所がなくホテルのレストランに決めた。この、レストランでは歌謡ショー(多分、これがモーラムだと思う)を催行していた。
我々の他数十人の白人観光客がいて混雑していた為か、ショーの歌手も替わりばんこに食事を運ぶ手伝いをしていた。いかにも田舎らしくてほのぼのとした感じだった。
先程の探索で、ホテルの周辺にタイマッサージ店はなく、諦めて明日のカオプラヴィハーンへの2時間の走行に備え、早めに就寝。
本日の走行457キロ…お疲れ様でした。 |
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チョムスランホテルとレンタカー
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ダーンクウィアンを通過する
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24号線を快適に走る
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24号線を走りブリーラムに入る
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ガソリンスタンドのトイレ
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パノムルン遺跡の山の頂上神殿
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頂上神殿まで160メートルも続く参道
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山頂からの景色が素晴らしい
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誰もいないムアンタム遺跡公園
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ムアンタム遺跡公園
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イサーンの典型的な風景、陸稲の黄金色木々の緑
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スリン駅前の象
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スリンのレストランとレンタカー
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道路標識はタイ語表記のみになった。全く分らず
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迷い込んだ広場はウボン駅だった
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ムーン川を渡りウボン市内を走る
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ネヴァダグランドホテルにチェックイン
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